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手紙

 窓から差す月明かりで、ぼんやりと照らされた薄暗い部屋。ベッドに机、ドレッサー、実家とは比べものにならない程小さなクローゼット。あるのはたったそれだけなのに、酷く窮屈に見える小さな部屋は、シェルリアにとって王都で唯一自分だけに与えられた空間である。


 王宮の敷地の端にあるここは、王宮で働く者達に提供される寮で、専属の調理師がいる食堂や談話室などもある。とりわけ、シェルリアが入っている寮は、貴族令嬢専用の場所であるため、部屋にはトイレや洗面所も別に備え付けられている。

 もちろん部屋の大きさは、親の爵位の高さで変わってくるが、平民出身の者達の寮と比べれば、シェルリアの部屋も十分良いものだろう。


 シェルリアの場合、兄のコンラッドが王都にあるモンスティ子爵の別宅で暮らしているので、そこから通っても構わないのだが、時間が不規則かつ、いちいち馬車で通うのが面倒臭いので寮生活を送っていた。もちろんお金をかけたくないという理由もある。



 そんなわけで、シェルリアは疲れ切った身体をベッドの上に投げ出していた。まだ着替えも済ませていない状態で、このようなことができるのは寮生活故だ。実家でしようものなら、長年支えてくれている侍女達に怒られてしまうだろう。



「あぁ……疲れた」



 シェルリアの口からため息と共に重い声が漏れる。


 仕事内容は普段となんら変わらない。もうすっかり慣れたはずだった。

 けれど、身体が非常に怠い。いや、正確には頭が重い。原因など簡単だ。セドリック・ランベルと出会ったあの夜から熟睡できていないのである。あんな非常識な男のせいで、と思うだけで、イライラが募る。



「……そういえば、お父様からの手紙に返事を書いてなかった」



 イライラを払いのけようと、シェルリアは重い身体に鞭を打ち、机へと足を運ぶ。引き出しの中から便箋と封筒、父からの手紙を取り出し、もう一度父の手紙に視線を落とした。


 簡単な挨拶で始まる手紙は、娘の身体を案じる優しい言葉と領地の様子が記されている。相変わらずの様子にシェルリアの表情が緩んだ。

 そして、最後の一文。父がこの手紙で一番伝えたかったこと。


『今年の命日には帰ってこれるだろうか?』


 できる事なら帰ってきてほしいという気持ちが伝わってくる言葉だった。



「里帰りかぁ……」



 シェルリアは手紙から視線を外し、天井を見上げる。

 紫苑の花が終わりを告げる頃。それは母の命日が近いことを意味していた。


 シェルリアの母が亡くなったのは、シェルリアが十歳の時。秋と冬のちょうど中間、寒さが身体に刺さる時期だった。

 その年の夏から秋にかけ、モンスティ子爵領では、子供の流行病が発生していた。発熱や咳、鼻水、発疹が長期間続き、少しずつ免疫力が下がり、死に至る者も数多く、幼いシェルリアもまた患者の一人だった。


 薬草に詳しい者が多く、薬師が他の領地よりいるだろうモンスティ領でも、有効な手立てが見つけられない。のちに新種の病であることがわかった。


 あの頃のことは、幼く、病で苦しんでいたこともあり、シェルリアは記憶が曖昧だ。ただ、モンスティ領を救ってくれたのは特別王宮薬師だったと父に聞かされている。

 特別王宮薬師の調合した薬のおかげでシェルリアをはじめ、領地の子供たちは助かった。領地はお祭り騒ぎだったという。


 それから少し経った時、母が倒れたのだ。倒れてから亡くなるまではとても早かった。詳しい原因は知らない。

 シェルリア達はなかなか母に会わせてもらえず、苦しく悔しかったことをシェルリアは覚えている。


 シェルリアが紫苑の栞をお守りとして大切にしているのだって、母の最後の言葉だったからだ。

 目に涙を浮かべ、申し訳なさそうな表情でシェルリアの小さな手をとった母は、何かを知っているような様子だったが、シェルリアには「あの栞を大切にして欲しいの。愛しているわ、わたくしの可愛い子」とだけしか言わなかった。


 シェルリアは今でも母は自分に何かを隠していたのでは、と思っている。けれど、父も兄も、誰もシェルリアに伝えてこないという事は、事情を知らないか、知らなくていいということ。

 だから、シェルリアは何も聞かなかった。そして、誰から貰ったものなのかもわからない栞を、今もなお大切にしている。



「……王宮で仕事を始めてから、なかなか帰れてないのよね」



 働く前は、この時期になると領地へ戻って、薬草の仕分け作業などを手伝い、墓参りをしていた。紫苑の花だって、領地で目にしていたのだ。今回は王宮の敷地内で見れてしまったが。



「ああぁぁああ……思い出してしまった」



 シェルリアは図書館裏での出来事を思い出し、頭を抱える。


 たしかにシェルリアはセドリックの言葉に腹が立った。穏やかな姿を一変させ、言い返してきたことも。

 だけど、噛みつき返すのはいただけなかったかもしれない、とシェルリアは時間が経つにつれ後悔し始めていた。なぜなら、相手は権力者で、何より王宮で働いている以上、再び会ってもおかしくないからだ。


 貴族社会で生き抜いていきたいのなら、カチンときたとしても、微笑みを浮かべ、笑って流すのが好ましい。どちらかといえばシェルリアはそういった事が苦手ではなかったはずだ。

 だけど、セドリックの言動が異様に鼻についた。男性不信気味になりつつあるからかもしれない。けれどもしかしたら、最初の出会いでセドリックがただの優しく紳士的な男ではないと知ってしまっていたから……



 シェルリアを悩ませる男、セドリック・ランベル。

 女心を全く理解できていない男、セドリック・ランベル!

 非常識にも程がある男、セドリック・ランベル!!



「紫苑の花があの男を連想させるものになったら、どうしてくれるのっ!」



 そんなことになったら、栞を見るたびに思い出してしまう。セドリックがシェルリアにした仕打ちを。そして、その流れでセドリックに相談してしまった彼の事も。



「もう、最悪だぁ……ほんと、最悪」



 何だか無性に泣けてきて、シェルリアは机に突っ伏した。

 シェルリアはどの季節も大好きだ。だけど、肌寒くなってくるこの時期だけは、いつもよりも心が大きく揺れ動く。



「返事は……兄さまとチェルシー様に聞いてからにしよう」



 己を守るように考えることを放棄したシェルリアは、机に便箋を広げたまま席を立つ。ふらふらとした足取りでシェルリアはドレッサーの前に座り、今日こそは熟睡してやる、と寝る支度を始めるのだった。

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