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衝突

 どうしてこうなった、とシェルリアは思っていた。目の前を歩く彼の白いローブの裾が揺れているのを、シェルリアは黙って見つめる。


 シェルリアはチェルシーが言っていた紫苑を見にきただけだった。ちょっと見たら帰ってこよう、という軽い気持ちで図書館裏にやってきたのだ。


 その軽さがいけなかったのだろうか。まさか、こんなにも広く、様々な植物があるなんて思わなかったし、今一番会いたくない男に出くわすなんて……それも何故か紫苑のある場所まで案内されるなんて夢にも思わなかった。


 もちろんシェルリアから頼んだわけではない。できれば何も言わずに去ってくれ、とすら願ったほどだ。誰に見られるともわからぬ場所で、いらないやっかみを受ける不安材料を欲しがるシェルリアではない。

 けれど、自分よりも地位の高い者からの質問に無視を決め込むほどの勇気もシェルリアは持ち合わせていなかった。



『何をお探しに?』

『えー、あぁ……紫苑です』

『そうですか。 紫苑はあちらですよ? ご案内しますね』



 あまりにも会話が短すぎてシェルリアは拒絶の言葉を挟めなかった。いや、ここはセドリックのエスコートがスマートすぎたのだと思っておこう、とシェルリアは心の中で言い訳をする。



「紫苑がお好きなんですか?」



 突然話しかけられたことにシェルリアはビクリと肩を僅かに揺らす。セドリックが振り返らないことに、シェルリアは安堵の息を吐き、意識して明るめの声を出した。



「特別好きというわけではないんですけど、少し思い出のある花なんです」

「思い出ですか……素敵ですね。今がちょうど見頃ですから」

「ええ、そうですね」

「ありました。こちらです」



 そう言ってセドリックが指し示した先には、シェルリアの背丈以上に成長した紫苑があった。緑の葉の上に薄紫の花が咲き乱れ、黄色と薄紫色のコントラストが実に美しい。

 ほぉーっと感嘆の声を漏らしたシェルリアは、そっと紫苑に近づいた。



「久しぶりに生花を見ました」

「美しいですよね。私もとても好きです」

「え?」



 シェルリアはセドリックの言葉が『忘れ屋』での出来事と重なり、思わず聞き返してしまった。セドリックへと視線を向けたシェルリアの視界に、切なげな眼差しを紫苑の花に向けているセドリックの横顔が映る。



「私もこの紫苑の花には大切な思い出がありまして」



 そっとセドリックの手が優しく花に触れる。まるで花に愛を囁いているかのようで、シェルリアは何故か胸を締め付けられる思いにかられた。



「……素敵な思い出なんですね」

「はい。絶対に忘れない、特別な思い出です」

「忘れ、ない」



 セドリックの言葉が心に刺さる。

 自分へ向けたあの告白紛いの言葉も、その言葉を吐いた相手の事も記憶にないような振る舞いをするくせに、よく自分にそんな言葉をはけるわね、とシェルリアはじわじわと怒りに近い感情が湧き上がってきた。


 決してセドリックの告白が嬉しかったわけではないし、彼とどうなりたいという期待もシェルリアにはない。けれど、人違いにしろ、勘違いにしろ、何か一言くらい言うべきではないか。

 まるで全てを忘れてしまったかのようなセドリックの振る舞いが、シェルリアには理解できない。それとも、自分より地位の低い女はフォローする価値がないとでも言いたいのだろうか。



「……馬鹿にしないで」

「え? すみません、聞き取れなくーー」

「馬鹿にしないで、って言ったの!」



 ボソリと呟いたシェルリアの言葉を聞き取れず、シェルリアの方へと顔を向けてきたセドリックに、シェルリアは投げつけるように言葉を吐き捨てた。



「私は愛してた男が別の人を愛しているのにも全く気づけないような愚かな女よ。とびきりの美人でもないし、貴方のように秀でた何かを持っているわけでもない。だけど、貴方に心を弄ばれていいと思うほど落ちぶれているつもりはないわ!」



 シェルリアは『忘れ屋』へ相談に行った時、恋人だと思っていた相手からの裏切りに傷ついていたのだ。そんな相手に「付き合ってくれ」と言っておきながら、次の日会った時には「勘違い」と言って済まされた。そして今も、セドリックは平然とシェルリアに話しかけている。

 もはや馬鹿にされていると思っても仕方がないだろう。


 一方、シェルリアの言葉を受けたセドリックは、唖然とした表情のまま固まっていた。ただ花の咲く場所へ案内しただけなのに、何故自分は怒鳴られているのか。なんだこの状況は、といった感じである。



「ちょっと待ってください。貴女は突然何を言いだしているのですか?」

「何をですって? こんな状況でまだシラを切ると?」



 シェルリアはあり得ない、と鼻息荒くセドリックを睨みつける。すると、先ほどまで柔らかな空気を纏っていたセドリックも目を細め、シェルリアに鋭い視線を返してきた。



「シラを切るの意味が理解できません。私が貴女に何をしたと?」



 シェルリアは衝撃のあまり息を止める。本当にセドリックは覚えていないらしい。



「紳士? ……呆れた。これのどこが紳士だって言うのよ」



 思わずこぼれたシェルリアの本音を聞き取ったセドリックは、ぐっと眉間に皺を寄せた。美しい顔立ち故に迫力倍増である。



「先程から失礼では?」



 けれど、領地では野山を駆け回り、男の子相手でも喧嘩をし、王都に来てからは貴族社会にもまれ、失恋まで経験した女は、そんな男の表情一つでビビることなどなかった。

 売られた喧嘩は買うとでも言うように、シェルリアは満面の笑みを返す。



「失礼なのはそちらかと。忘れているフリかと思っていれば、本当に覚えていないなんて、驚きすぎて言葉も出ませんわ」

「覚えて、いない?」



 セドリックの顔に影が差し、急激に勢いがしぼんでいく。その様子を見たシェルリアは、もう話すことはないと踵を返し、図書館に続く扉へと足を進めた。



「き、君! ちょっと待ってくれ!」



 セドリックの呼び止める声が聞こえてきたが、シェルリアに止まる気はなかった。


 図書館に入ろうとシェルリアが扉に手をかけた時、風が勢いよく吹き抜けた。ガサガサと大きな音を立てる薬草の香りがシェルリアの鼻をかすめていく。

 故郷と同じ大好きな香りが、嫌いになってしまいそうだった。



 振り返ることなく扉を開け、中へと入っていったシェルリアが、草花の陰で頭を抱えうずくまっていた男の姿に気づくことはなかった。

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