悩みの小部屋
「シェルリア、どうかしたの?」
侍女長へのおつかいから帰ってきてからというもの、仕事はこなしているが心ここに在らずといった様子のシェルリアを見かねて、休憩に入ってすぐに声をかけたのは同僚のミリアだった。
「なんだかずっとボーッとしているかんじでしたね」
おやつの籠を手に近づいてきたレイヤが心配そうにシェルリアを見つめている。
ここはチェルシー付きの侍女に与えられた小さな休憩部屋だ。
部屋にあるのはテーブルと椅子が六脚、お湯が沸かせる程度の小さなコンロと菓子類が置かれた戸棚が一つだけである。
侍女などの王宮に仕える者達用に軽い食事もできる場所は用意されているが、大勢と顔を合わせるのも面倒で、シェルリア達はチェルシーの部屋近くに簡易的に作られた休憩部屋をよく利用していた。
ちなみに、レイヤなどの婚約者探しを目的としている者にとっては、広い休憩場所も大切な出会いの場である。
シェルリアを椅子に座らせ、シェルリアの隣にミリアが、向かい側にレイヤが座る。
声をかけられたシェルリアは眉を八の字にし、視線を下げた。
「……もし、大事な出来事を忘れてると一方的に怒っていた人が、もっと大事なことを忘れているのに気づいていないとしたら、どう思う?」
「なんだこいつ、と思う」
「まぁ、そうですね」
シェルリアは二人の回答にガクリと肩を落とす。
当然といえば当然で、シェルリア自身も同じことを思ったからだ。
「それに加え、その人が大きな嘘をついていたら?」
「関わりたくないわ」
「信用できないですもんね」
シェルリアは堪らずテーブルに突っ伏した。ミリアとレイヤは不思議そうにシェルリアを眺めている。
「なに、シェルリアは誰かに嘘ついてるの?」
「それも、大事なことを忘れてるんですか?」
反応を見れば一目瞭然でその人物がシェルリアだと示している。
少し考えればわかることなのだが、現在のシェルリアは頭がいっぱいいっぱいで、指摘されて初めて気づいた。情けなくてシェルリアの目尻に涙が浮かぶ。
「……これがバレたら大変だよね」
若干震えた声がシェルリアの口から漏れた。
「早めに謝ればいいんじゃない?」
「そう簡単に言わないでよぉ」
名前が偽りだとバラす許可はチェルシーから出ていないし、何かを知っている様子のこれまたチェルシーは教える気がないようである。
シェルリアがセドリックに謝るには、教えられることがなさすぎる。
「でも、嫌われたくないんですよね?」
レイヤからの質問に、シェルリアはガバッと勢いよく顔を上げた。ミリアとレイヤがビクリと跳ね上がる。
「な、なに!?」
「嫌われたく、ない?」
唖然とした様子のシェルリアに、ミリア達は哀れんだ眼差しを向ける。
「だって、嫌われていいなら悩む必要ないじゃないですか」
今度こそシェルリアは衝撃を受けた。シェルリアの頭の中では、そのような答えが導き出せていなかったからである。
シェルリアがこんなにも悩んでいる原因は、つい数刻前に廊下であった出来事だ。
セドリックがシェルリアと過去に会っていたかもしれないという衝撃の事実が転がり出てきたかと思えば、塞がりきっていない傷を作った人物の一人であるネリーが登場。
ブレーキがかかることなく話は転がり、最後になにも言わず去っていくセドリックとネリーの背を見送ったシェルリアの中で湧き上がった感情は一つではなかった。
きちんと仕事をこなし、大好きだった彼の心まで魅了したネリーに対する劣等感。セドリックと並んでも見劣りしない容姿への敗北感。
過去に己とセドリックが出会っていた可能性があることへの驚きと困惑。そして、クリスティーナとセドリックの関係も気になってしまった。
けれど、何よりもシェルリアの心が揺れたのは、なにも言わずに去っていくセドリックの後ろ姿だった。
セドリックは優しく、気遣いのできる人だ。普通ならば、なにも言わずに去っていくことなどないだろう。
つまり、セドリックはシェルリアに何かを思い、声をかけないという選択をしたのだ。
その結論に至った時、シェルリアは無意識に身を震わせた。
もしかしたら、何か落胆させてしまったのか。不快な思いをさせたのか。呆れてしまったのか。
答えがわからないことへの不安がシェルリアを襲う。
シェルリアはただセドリックの考えていることを知ろうと頭を悩ませていただけのつもりだった。
もし、シェルリアのような人物がいたら他者はどう思うだろうとミリア達に聞いたのだ。
けれど、ミリア達が導き出した結論は、セドリックの気持ちではなく、シェルリアの気持ちであった。
「私、嫌ってたはずで……たしかに良い人なんだろうなと思い始めてはいたけど……」
名乗ってすぐに告白紛いのことをするセドリックに不信感を抱いていたはずなのに、と考えて、初対面ではなかったかもしれないことに気づいたシェルリアは頭を抱えた。
もう何が何だかわからない。いや、正確には、自分のセドリックに抱いている気持ちの答えがわからなかった。
「なんだかよくわからないけれど、それだけ頭を悩ませるってことは、その人はシェルリアにとって特別ってことじゃないかしら?」
「とく、べつ?」
「深い意味はないわ。友達だって赤の他人と比べたら特別じゃないの」
ミリアの言葉に「なるほど」と納得しかけていたシェルリアにレイヤが笑顔で爆弾を落とす。
「女なら友達ですけど、男なら好きな人にもなりえますよねぇ」
「うえっ!?」
「えっ! まさか、その相手って男なんですか!?」
ミリア達の目がギラリと光った、ようにシェルリアは感じた。反射的に立ち上がったシェルリアは、素早い動きで部屋の入り口へと走る。
「ちょっと待ちなさい、シェルリア!」
「詳しく聞かせてください、先輩!」
叫ぶ二人に申し訳なく思いつつも、根掘り葉掘り聞かれては堪らないとシェルリアは一目散に部屋を出たのであった。