二人での忘れ屋、始動
涼しいから冷たいに変わりつつある風を感じ、羽織っていたストールを引き寄せる。空には雲がかかり、頼りになる明かりは王宮から漏れ出る光のみだ。
王宮の裏側にある噴水のある公園を、シェルリアは木の陰に隠れて盗み見る。二週間前にも一度来ているはずなのに、何とも落ち着かない。
決して王宮の警備をしている騎士に見つからないか心配しているわけじゃない。前回とは違い、しっかりと見張りに見つからない抜け道を教えられている。
シェルリアが落ち着かない理由はただ一つ。もう関わりたくないと思っていたセドリック・ランベルの登場を待っているからだ。
今日は『忘れ屋』に初めて同行する日であった。
コツコツとシェルリアの背後から規則正しい靴音が聞こえてくる。ビクリと小さく肩を震わせたシェルリアは、ゆっくりと振り返った。
「こんばんは、リアさん。お待たせしてすみません」
薄暗いところからスッと現れたのは、黒いマントを羽織り、黒の仮面を手に、甘い笑みを惜しげもなく振る舞うセドリックであった。
「……っ! こ、こんばんは」
リアという呼び名にシェルリアは若干反応が遅れる。
確かに偽名を教えたのはシェルリアなのだが、リアでいる必要があるのはセドリックの前だけ。王宮ではセドリックにでくわさないよう細心の注意を払っているため、チェルシーの部屋で無謀な提案を受けて以来初めて顔を合わせたのである。慣れないのも仕方がない。
「風が冷たくなってきましたね。寒くはありませんか?」
「あ、はい。いや、ちょっと……」
「小屋は暖めてきましたから、依頼人がいたらすぐに移動しましょう」
セドリックがあまりにも自然すぎて、シェルリアは内心戸惑っていた。チェルシーの提案を受け入れた時もそうだが、セドリックの考えが全くわからない。
王女の提案を断れるはずがない、と言われてしまえばそれまでなのだが、シェルリアが正体を知ってしまったからといって、世間には『セドリック・ランベルが忘れ屋である』ということは内緒のはずだ。
「あの……本当に私が一緒にいてもいいのでしょうか?」
シェルリアは思わず問いかける。
僅かに逃げ腰なシェルリアに、セドリックは眉尻を下げ、困ったような笑みを浮かべた。
「駄目と言われたらどうするんです?」
「あ、いや、それは……困ります」
チェルシーに言われた手前、シェルリアに選択肢はない。もちろんそれはセドリックにも言える。
オロオロと瞳を揺らし挙動不審になったシェルリアを目にし、セドリックは、はははっーーと普段よりも砕けた笑い声をあげた。
「大丈夫。そんなことは言いませんから。チェルシー殿下の思いつきに付き合わされるのは慣れてますしね」
シェルリアはキョトンと間抜けな表情でセドリックを見返す。いつもの貴公子然としたセドリックからはかけ離れた姿に、シェルリアは衝撃を受けていた。
そして、同時に少しだけホッとした。彼も自分と同じように、今回のチェルシーの提案に戸惑いはしたのだと思ったからだ。
突拍子のない出来事をあまりにもすんなり受け入れられると、逆に不信感を抱くもので、セドリックが自分と近い心持ちだったとわかっただけで、少し肩の力が抜けた気がした。
自然と強張ったシェルリアの顔も解けていく。
「チェルシー様は昔から?」
「ええ。無茶なお願いも散々されました」
この前のチェルシーとセドリックの掛け合いを思い出したシェルリアは、容易に幼い二人が想像できて、思わず笑いをこぼした。
そんなシェルリアを見て、セドリックはふっと息を吐き出し口元を緩める。
「やっと笑ってくれましたね」
セドリックの言葉にシェルリアはハッとして頬に手を当てた。
「ずっとリアさんの表情が固かったから」
「そ、それは……」
色々とありすぎてセドリックに不信感を抱き、警戒していたからだ、とはさすがに言えず、シェルリアは口籠る。
そんなシェルリアの姿に、セドリックは申し訳なさそうに眉を下げた。
「私がリアさんに何をしたのか、今もわかりません。けれど、もし酷いことをしたというなら謝ります。すみませんでした」
真摯に頭を下げてくるセドリックに、シェルリアはなんと言えばいいのかわからなかった。
シェルリアが彼に腹を立てているのは確かだ。けれど、酷いことをされたからではなく、告白紛いのことをして動揺させたというのに、出来事以前にシェルリアのこと自体も忘れてしまっているからなのである。
「別に酷いことをされたわけではありません。ただ……」
「ただ?」
「覚えていないというのはあまりにも無責任だと思っただけです」
シェルリアの言葉を受けたセドリックが、一歩距離を縮めてくる。金色の瞳に真っ直ぐ射抜かれたシェルリアは、その真剣な眼差しから目が離せなくなった。
「何があったのか、教えてはくれませんか?」
「……お断りします。どうしても知りたいのなら、ご自分で思い出してください」
どちらかといえば思い出して欲しくない、と思いながらシェルリアは言葉を吐き捨てた。折れてなるものかという小さな意地もあったのかもしれない。
けれど、シェルリアのその意地は、セドリックの悲しそうな表情で急激に萎んでいった。
「……それはできません」
「え?」
「私の頭の中では、その時の記憶がすでに消えてなくなっているはずですから」
強い風が二人の間を吹き抜け、ガサガサと木々たちが大きな音を立てて暴れ出す。金色の髪がセドリックの顔を隠し、今の彼の表情はわからない。
唖然としたまま固まっていたシェルリアの頭が再び動き出したのは、遠くで鳴り響いている真夜中を知らせる鐘の音が聞こえてきてからだった。