プロローグ
恋愛長編作品です。
不定期更新になるかと思いますが、大切に書ききりたいと思っています。
目指せ! ほっこりじんわり恋愛小説!
よろしくお願いします。
誰にだって、忘れてしまいたい記憶の一つや二つ、あるものだと思う。
今まで通りの平穏な暮らしが、知ってしまったことで送れなくなったとき、とか。
立ち直れないくらいに悲しい出来事があったとき、とか。
それに、震えるくらい腹が立つ出来事があったとき、も。
さわさわと木の葉に優しい音を奏でさせる風は、肌寒い空気と相まって、火照った身体の熱を少しだけ下げてくれるけれど、それ以上の速さで、再び身体は熱くなっていく。
真っ黒な空を幾多もの眩ゆい星々が飾りつけようと、彼女の目に映りやしない。
月明かりにぼんやりと照らし出された彼女の赤い瞳に浮かぶのは、大きな怒りと小さな悲しみだ。
彼は出会った時から優しかった。領地から親元を離れ十二歳で学院に入り、右も左もわからなかった時、十五歳の彼は、不安そうな少女に気さくに話しかけてくれた。
彼は伯爵家の次男だけど剣術に優れていて、将来は騎士になると子爵令嬢である少女に夢を聞かせる。会うたびに笑いかけ、心配してくれる彼に恋をしないはずがなかったのだ。
彼が卒業してから会えなくなって六年。十七歳で第三王女の侍女として王宮で働き始めた頃、立派な騎士となった彼に再び出会ってしまった。
それからの日々は、本当に素敵な思い出だ。
支えるアルリオ王国第三王女チェルシー様は、少し不思議なところもあるけれど、素晴らしい人だし、仕事もやりがいがある。彼とだって、王宮で会えば言葉を交わし、王宮の外でお茶だってした。
こんなに幸せでいいのだろうか、と思っていたのだ……二年間も。
小さな庭にある、石で作られた丸い噴水の縁に座る彼女、シェルリアは、待ち人が現れるのを今か今かと待ちわびていた。
ボーン、ボーン……
遠くの方から深夜十二時を知らせる鐘が聞こえてくる。
シェルリアはすくっと立ち上がると、肩から落ちそうになったストールを直し、胸の前で手を組んで、落ちついた声色である言葉を告げた。
「大切な記憶よ、消えないで」
お願いだから出てきて、とシェルリアは心の中で唱える。
すると、かさかさと茂みから音が聞こえてきた。
「その記憶、聞かせてください」
心地よいテノールボイスを響かせ現れたのは、黒いマントを羽織った、背の高い男。暗い茂みから月の下へと出てきた彼は、癖のある金色の髪を輝かせる。
けれど、シェルリアの視線を釘付けにさせたのは、髪色でもなければ、彼の纏う神秘的な空気でも、口元に浮かべた笑みでもない。
非現実的な世界へ誘うには十分すぎるもの。それは、目から鼻にかけてを覆う黒い仮面であった。
「初めまして。私が『忘れ屋』です」
先ほどまで静かに揺れていたはずの木の葉が、大きな音を立てる。
仮面の奥にある金色の瞳が、ふわりと細められた……気がした。