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CASE 03‐紅蜘蛛‐(上)

 影の悪戯か、蒼白い仮面が嗤ったように見えた。

「貴様に召喚コールを見せてやろう」

 召喚とはそこにいながらにして、時間と空間を超越し、超常的な力を持つ異界の住人をこの世に呼び寄せること。そして、〈それ〉を使役することができれば、あらゆる望みが叶えられると云われている。

「傀儡師の召喚を観るがいい。そして、恐怖しろ!」

 紫苑の妖糸が空に奇怪な魔方陣を描いていく。

 その魔方陣はまるで巨大な網のようであった。

 網目のような紋様から、〈それ〉の呻き声が聞こえた。

 そして、〈それ〉は汚らしい嗚咽を漏らし、この世に巨大な怪物を生み堕としたのだった。


 真夜中の峠を一台の真っ赤なフェラーリが走り抜ける。

 一寸先が闇という状況で、車のライトだけが頼りだった。それにも関わらず、フェラーリを運転している女はアクセルを強く踏む。いつ事故が起きてもおかしくない状況だった。

 ヘアピンカーブに差し掛かっても、女はスピードを緩めることなく、ハンドルを激しく切ってカーブを乗り切ろうとした。

 タイヤが悲鳴を上げ、道路に黒い跡が伸びる。

 車体はガードレースすれすれのところを抜け、どうにか直線道に入ることができた。ガードレールを突き破り、谷底に落ちていたら、まず助からない。落ちた衝撃で死ななかったとしても、真冬のこの時期では、暗闇の中で凍え死ぬのがオチだろう

 熱を帯びてハンドルを握る女に対して、助手席にいる青年の眼は冷めていた。

「亜季菜さん、もっとスピードを落としてください」

「ふっ、嫌よ。峠に来るとあたしの魂に火がつくの。走らずにはいられないのよ!」

 再びタイヤが悲鳴をあげた。

 車内にGがかかり、シートベルトをしていても、身体が左右に引っ張られてしまう。

 どうにか今回も谷底に落ちずに済んだ。

「もしかして亜季菜さんって、若いころ走り屋だったんですか?」

「今も十分若いわよ。峠に通っていたのは免許取立てのガキの頃の話」

「いくつの時に免許取ったんですか?」

「十八になってすぐ」

「なるほど」

 免許を取ってすぐに峠に挑む亜季菜の度胸に、青年――愁斗は呆れ返った。今も無茶をするひとだが、やはり昔からなのだと愁斗は納得し、彼は口を噤んで亜季菜の運転に身を任せた。

 いくつものカーブを抜け、そのたびに車体はガードレールを突き破りそうになったが、亜季菜の運転テクニックは神業と言えた。

 加速を続けていたにも関わらず、ガードレールに車体を擦らせることもなく、峠越えは間近に迫っていた。

「亜季菜さん、ブレーキを踏んで!」

 愁斗が叫び、車のライトが照らす前方に突如カーブが現れた。闇で見えなかったのではない。この峠を走りなれた亜季菜はそのことをよく知っていた。もう、カーブはないはずだったのだ。

 ブレーキを踏みながら、亜季菜はハンドルをめいいっぱい切ってカーブを曲がろうとした。

「なんなの!?」

 悲痛の混じった声で亜季菜は叫んだ。ハンドルが動かない。いくら力を込めても腕が震えるだけで、ハンドルは一向に動かなかった。

 悲鳴をあげるタイヤに混じって、甲高い女の笑い声が聞こえた。

 闇に浮かぶ亡者の顔を愁斗は見た。

 次の瞬間、車体はフロントからガードレールを突き破っていた。

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

 女の絶叫と共に赤いフェラーリは真っ暗な谷底に落ちていったのだった。


 眼を開けると、辺りは闇だった。その闇に浮かび上がる顔を見て、亜季菜は声があげてしまった。

「きゃっ!」

 そして、眼をぱちくりさせて、恥ずかしそうに声を漏らした。

「……あ」

 亜季菜の眼前に浮かび上がった顔は愁斗のものだったのだ。

「亜季菜さんの運転が乱暴だから――と言いたいところですが、悪霊かなにかの仕業でしたね」

「あたしのフェラーリは?」

 ここで初めて亜季菜は自分が宙ぶらりんになっていることに気がついた。

 片手を挙げた愁斗が残った手で亜季菜を抱えている。例え女性と言えど、中学生の愁斗が抱きかかえるのは無理がある。それを成せる業は、愁斗の操る妖糸が二人の身体をしっかりと固定しているからだ。宙で留まっていられるのも妖糸の成す業だ。

「フェラーリは谷底です。僕と亜季菜さんを固定して車内から脱出しました」

 谷底と聞いた亜季菜は足元に広がる闇に眼を見張ったが、一寸先は闇で何一つ見えなかった。

「なにも見えないわ。どうせなら爆発炎上してくれればよかったのに。映画なんかだとすぐ爆発するのにね」

 滅多なことをいうものではないが、今の亜季菜が置かれている状況を考えれば頷けるかもしれない。明かりがないのだ。

 夜空で雲が蠢き月を隠す。

 闇が怖い。亜季菜は闇が怖いのだ。昔から闇が怖かったわけでない、愁斗に出逢ってから闇を恐れるようになった。

 世界に二人だけ取り残された感じだった。闇が音を奪ってしまったように、木々のざわめきも、生きとし生けるものが放つ『生命』が感じられない。聞こえるのは自分の心臓の音と凍える息の音だけ。

 恐怖による振るえだけでなく、寒さにも震えていることに気づき、亜季菜は愁斗の身体に両手を廻した。

 二人の身体が密着する。

 愁斗の静かな息遣いが聞こえ、温もりも感じられる。そこにいることを感じ、亜季菜の心に安堵感が広がった。『いる』とわかれば、亜季菜は強い女性に変貌する。

「どーすんのよ愁斗。ずっとこのままでいるつもり? あなたと一緒に心中なんて嫌よ」

「このままだと凍死でしょうね」

「だったら早く地面に降りて、人のいる場所に行くわよ」

「下りても地面があるか確信が持てません」

「なに言ってるの?」

 足元に広がる闇。そこには地面などなく、奈落に続いているのではないかと思わせる。だが、地面がないなどありえないことだ。

「僕はガードレールに糸を巻きつけました。なのに壁がないんです」

 この言葉を聞いた亜季菜は慌てて闇に手を伸ばした。手で辺りを探るが何もない。ガードレールに糸を巻きつけたのであれば、吊られている自分たちは崖の近くにいるはずだった。その崖が存在しないのだ。

「もうひとつ」

 愁斗は落ち着いた口調で言った。

「さっきから糸を地面に垂らしているのに、地面に付いた感覚がないんです。ざっと五〇〇メートルほど伸ばしているはずです」

「そんなまさか?」

「どうしますか?」

「あたしに訊かないでよ。こういうのは愁斗の方が慣れているでしょ?」

 こういうのとは、この手の怪異のことだ。

「じっとしていても凍え死ぬだけです。上と下、どちらに行きますか?」

「どっちに行けば助かりそう?」

「どちらも危険な感じがします。特に下は死の臭いが立ち込めてる」

「じゃあ上ね」

「わかりました」

 ふぅっとエレベーターが上がる時のような浮遊感を亜季菜は感じた。

 身体が上がっていく。

 辺りの気配が変わった。風の流れが違う。妙な圧迫感。そして、水の臭い。

 頭上を見上げると灰色の光が見えた。

 二人は長いトンネルを抜けた。石でできた縁に手をかけて這い出る。二人の通ってきた道は井戸だったのだ。

 愁斗は頭上を見上げた。

「少し空の色が変ですね」

 物悲しい灰色の空が広がっている。曇りではなく、青空が色褪せて灰色になってしまったようだ。

 辺りを一周見渡すと、井戸を囲むように木造立ての廃れた家々が立ち並んでいた。どうやらここは小さな集落のようだ。

 一軒の家から腰を曲げた老婆が出てきた。銀髪のぼさぼさ頭の老婆は桶を持って、井戸に向かってくる。

 腰を曲げて地面ばかりを見ていた老婆が愁斗の前で顔をあげた。

「どこから来なすった?」

「道に迷って、気づいたらここに」

「外から人が来るのは、一年ぶりじゃったかのぉ?」

 老婆はところどころ歯の抜けた口でにこやかに笑った。

 すぐ横でケータイをいじっていた亜季菜は不機嫌そうな顔で愁斗を見つめた。

「圏外でケータイも使えないわ」

「使えたとしても使わないほうがいいですよ。繋がってはいけない場所と繋がるかもしれません」

 神妙な顔つきをする愁斗の発言の意味を亜季菜は理解できなかったが、愁斗の言うことに間違いはないと思い、ケータイをポケットの中にしまい込んだ。

 いつの間にか水を汲み終えていた老婆は顎をしゃくって家を示した。

「狭い家だが、わしの家で休むといい」

「ありがとうございます。その桶、僕が持ちましょう」

 愁斗は老婆の申し出を受け、水の満たされた桶を老婆から受け取った。しかし、亜季菜は嫌な顔をして口を挟んだ。

「あたしは休むよりも、早く大きな町か交通量の多い通りに出たいわ。お婆さん、大きな町にはどう行ったらいいのかしら?」

「山道を十里ほど行ったところに村があるよ」

「十里……十里……四〇キロも先なの!?」

 山道を四〇キロメートルも歩くなど、亜季菜は自分の体力では絶対無理だと判断した。しかも、あるのが『村』ときた。いったいどこに迷い込んでしまったのかと、亜季菜は頭を抱えた。

「亜季菜さん、この方の家で休ませてもらいましょう」

 すでに愁斗は老婆について歩き出していた。今はそうするしかないと亜季菜は思い、老婆と歩く愁斗の後を追った。

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