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CASE 02‐LINE‐(上)

 シンクロ率三〇パーセント。

 茶色い襤褸布に細い刃が突き刺さる。

 学校の屋上で愁斗が低く呻いた。脇腹を片手で押さえながらも、残った手で妖糸を操り続ける。少しでも隙を見せればやられてしまう。

 愁斗は強く唇を噛み締めた。脇腹を貫く激痛のためではない。屈辱に対する怒りのためだ。

 完膚なきまでの敗北。

 戦いははじまったばかりであった。それにも関わらず愁斗は敗北を認めざるを得なかった。だから逃げたのだ。尻尾を巻いて逃げる負け犬のように。

 頭の中で相手の言葉がリフレーンされる。

 ――僕は確立の糸が見えるのさ。


 雲ひとつない青空の下で、愁斗はコンクリートに横たわりながら天を仰いでいた。

 屋上には愁斗以外の者はない。時折感じる気配は風が奔り抜けるものくらいだ。そもそも屋上への唯一の出入り口は鍵がかけられ、人が来ることなどまずないはずだった。――はずだった。

「おまえもサボり組か?」

 と男の声が愁斗に問いかけた。

「うん、そんなところかな」

 青空を背にする男子生徒に視線を合わせ、愁斗は曖昧に返事を返した。

 この男子生徒が屋上に侵入して来たことはわかっていた。だが、その時は敵との戦いの最中――逃亡の最中であり、男子生徒に気をとられている暇などなかったのだ。

 愁斗の横に腰を下ろした男子生徒は、愁斗の顔を覗き込んで人懐っこい笑みを浮かべた。

「転校生だよな?」

「だから?」

 愁斗の態度は少し喧嘩腰であったが、男子生徒は気にする風もなく、白い歯を見せて笑った。

「前の学校でなにやらかしたんだよ?」

「え?」

「前の学校で問題起こして、こっちに来たんだろ?」

「ただの転校だよ」

 季節外れの転校生の噂は瞬く間に学年中に広まり、今は学校中に広がっている最中だった。

「隣のクラスに美男子様が転校して来たって聞いたんだけど、ひと目でおまえだってわかったよ。噂で聞くより綺麗な顔してやがるぜ」

「そんなことより、なんで僕が問題児なんだい?」

「季節外れの転校に、屋上で授業サボりってきたら、優等生とは言えないだろ。んで、前の学校で問題起こして、こっち来たんじゃないかって思っただけ」

「あぁ〜」

 愁斗は深くため息をついた。

 確かに転向早々午後の授業をふけたのはまずかったかもしれない。初日からこれでは悪評も立つだろう。この場所に長居をするつもりはないので、察して気にする問題でもないが。

「初日からサボりなんて大した度胸だよな」

「……別に」

 別に度胸がどうこうと言った問題ではない。予期せぬ遭遇により、止むを得ない状況に陥っただけのことだ。

 愁斗は勢いよく立ち上がり男子生徒に背を向けた。かまわれるのがめんどうくさいというのもあるが、それ以上に今は少し気が立っていた感情を押さえはするが、それでもなにがきっかけに感情の糸が切れるかわからない。今はひとりでいたい気分だった。

 だが、愁斗の背中に声がかかる。

「授業出るのかよ?」

「いや」

 気のない返事をした。それでも相手が付け入るのには十分で、男子生徒は話し続けてくる。

「転校して来たばっかなんだから、授業くらい出ろよ。でないと、教師に目付けられるぜ。なんでも第一印象って大事だぜ」

「君こそ授業に出たほうがいいよ」

 と返事をしてしまったのが間違えだった。いや、返事をしなくとも結果は同じだったかもしれない。

 男子生徒はニコニコしながら愁斗の真横に歩み寄った。

「ヒマなら俺が街を案内してやるよ」

「今から?」

「どうせ授業サボるんだろ。だったら俺と遊びに行こうぜ」

 考えるまでもなく、その誘いを断るはずだった。なのに、愁斗の口から出た言葉は、

「どこに行く?」

「そうこなくっちゃ!」

 万人受けする人懐っこい笑みを浮かべる青年を見ながら、愁斗は微かに口元を緩ませた。愁斗がこんな暖かい笑みを浮かべることは珍しい。それだけの魅力をこの男子生徒は持っているのだ。

「俺の名前は西岡大吾」

「僕の名前は秋葉愁斗。よろしく西岡君」

「うげぇ、きもちわりぃ。君付けなんてよしてくれよ」

 愁斗はまた笑った。

 空で輝く太陽は、まだまだ高いところで微笑んでいた。


 案内と言っても、この町にはわざわざ案内までされて行く場所はなかった。

 小さな商店が軒を並べる商店街。そこを一歩抜ければすぐに住宅街に立ち入ってしまう。目だった物もない、平凡な町だった。

 この定食屋のカレーがうまいだの、この肉屋のコロッケは一流だの、このパン屋のサンドイッチは間食に丁度いいだの、西岡の案内する場所は、どれも食べ物に関係する場所ばかりであった。

 西岡は嫌な顔をして不意に足を止めた。それに合わせて愁斗も足を止める。すぐに愁斗は西岡の視線の先を眺めた。――男が三人。

 他校の学生服を着た三人組が、愁斗たちの前方から歩いてくる。どいつも目をぎらつかせ、肩でもぶつかろうものなら、すぐに顔面に拳が飛んで来そうだ。

 相手が近くに来ないうちに、西岡は愁斗に小声で話しかけた。

「東のゴリラだ。目が合っただけで因縁つけられる。Uターンして道を引き返そう」

 愁斗は無言で同意し、Uターンして歩き出す西岡の背中を追った。

 少し早足で歩きながら西岡は横にいる愁斗に小声で説明をする。

「通称東のゴリラ、喧嘩常習犯さ。この駅前通りはあっちの学校のやつらもいっぱいいるからな。くだらない縄張り争いがあるんだよ」

 確かに三人組の真ん中にいた大男はゴリラに似ていたように思えた。

 殺気がする。それに足音。愁斗は危険をいち早く感知して後ろを振り向いた。

「おい西岡待て!」

 声をかけてきたのはゴリラだった。

 しまったという表情をして西岡も振り返った瞬間だった。西岡の頬に巨大な拳が叩き込まれ、彼は歩道に腰から倒れてしまった。

 殴られた西岡は頬を手で押さえながら立ち上がった。その顔は笑っていた。人懐っこい笑みだった。殴られてもなお、西岡は笑い続けていたのだ。

「痛いじゃないですか、中邨さん。俺なんかしました?」

 中邨というのはゴリラの本名だ。

「とぼけんじゃねぇぞ!」

 ゴリラはいきなり雄たけびをあげた。

「こないだはよくも俺に恥をかかせてくれたな!」

「俺はなにもしてないっスよ。中邨さんの勘違いじゃないっスか?」

 人懐っこい笑みを絶やさず西岡は人語でゴリラに話しかけるが、やはり人語では通じないようだ。頭に血を昇らせたゴリラは、横にいる子分二人を顎で使った。

 野猿みたいな顔をした二人が西岡に飛び掛かったが、ここで奇妙な現象が二匹の猿に襲いかかったのだ。二匹の猿は金縛りにでも遭ってしまったように、身動きを止めてしまった。そして、猿は猿回しにかかった。

 まずは手始めに猿たちは阿波踊りを踊りはじめた。

 勝手に動く手足に恐怖し、猿は叫んだ。

「た、助けてくれ、身体が勝手に、動く」

 額から玉の汗を流し、恐怖に引きつった顔で猿は踊り続ける。

 近くでその奇行を眺めるゴリラは目を白黒させ、西岡もきょとんとしている。この場で平然と冷めた表情をしているのは愁斗だけだ。

 二匹の猿は互いの服に手をかけた。なにをするのかと目を見張ると、猿たちは互いの服を脱がしはじめたではないか!? なんとも目を覆いたくなる、醜いストリップショーのはじまりだ。

「わぁ〜っ、やめてくれ!」

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 猿たちは顔面蒼白になりながら、一匹は叫び、一匹は念仏を唱え始めた。幽霊の仕業と思ったのかもしれない。普通のものが見たら、そう思うのが当然なのかもしれない。

 靴を丁寧の脱ぎ、上着を脱がされ、気づいたときには二匹とも、あと一枚の大事な部分を隠す布を残すのみだった。最後の一枚を脱がされまいと、呪縛を破り必死に抵抗する。が、それもまた猿回しの芸。愁斗によって猿を操る妖糸が緩められては縛られる。

 いつの間にか辺りには人だかりができていた。

 買い物途中の主婦から、学校帰りの女子高生。猿のストリップショーでも、人は寄ってくるものだ。

 いつの間にか、ひとりの観客になって笑い転げている西岡の背中に声がかかる。

「行こう」

 声をかけたのは愁斗だった。

「誰かが警官を呼んだらしい」

 愁斗は遥か前方を指差して言った。

 自転車に乗った警察官がこちらに向かって来る。

 西岡とともに足早にこの場を後にする愁斗は、最後の仕上げと猿のパンツを下ろしてやった。

 歓声とも悲鳴ともつかぬ声を背中で感じながら、愁斗はこの場をあとにしたのだった。

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