CASE 01‐紫怨‐(4)
学校からの帰り道。二人は前のように楽しくおしゃべりをしながら帰っていた。その途中で香穂は急にこんな話を切り出した。
「あのねぇ、奈那子ちゃん」
「なに?」
「わたし、奈那子ちゃんと秋葉くんをくっ付けようとしてるうちに、自分でも秋葉くんのことが好きになっちゃったんだよね」
それは奈那子にとって衝撃的な告白となった。押し込めていた感情が再び湧き上がって来た。
香穂は奈那子と秋葉の仲をくっ付けようと秋葉に何度も接触しているうちに、自分も秋葉のことにいつの間にか惹かれていた。だが、これを奈那子は親友の裏切りとしか思えなかった。
奈那子は怒りを覚え、その怒りを顔に出してしまった。しかし、夢の中だったのかもしれないが、香穂を一度殺している後ろめたい気持ちから、すぐに笑顔で怒りの感情を誤魔化した。
潤んだ瞳で奈那子を見つめる香穂は震える声で言った。
「わたしはね、奈那子と秋葉くんがくっ付いてくれるのが一番嬉しいの、だから、わたしのことなんて気にしなくていいから。これからも、わたしは奈那子のためにがんばるね」
これは、自分が身を引くからということなのだろうか? 少なくとも奈那子はそう理解した。
奈那子は気ゆっくりと気を沈め、香穂が秋葉を譲ってくれると言ってくれたことにほっとした。
あの保健室で秋葉からYESと言ってもらえなかっただろうとあの時は思っていたが、今は何でそんなことを思ったのか奈那子にはわからなかった。自分は秋葉と付き合えるかもしれないではないか。ライバルも一人減ったのだし……。
誰もが心の内に持っている闇の種。闇の妖花が奈那子の心に咲いた。
不安そうな顔をしている香穂に奈那子は笑って見せた。その笑顔の奥にある感情は……?
「香穂、あたしたち、いつまでも友達だよね!」
「うん!」
笑顔を浮かべる香穂を見て、奈那子は何を思う?
互いを笑顔で見つめ、この二人を繋ぐモノはいったい何なのだろうか?
人の心は複雑で、そして単純なものだ。世界は矛盾に満ちている。
仲の良さそうに見える二人が楽しそうに歩いている。
香穂が前方の人だかりに気がついて指をさした。
「奈那子ちゃん、あれ見てよ、何かなぁ?」
「何かしらね?」
「ちょっと行ってみようよ!」
香穂に腕を掴まれて、奈那子は人だかりに走って行った。
人だかりの中心に誰かがいるらしいが、よく見えない。
香穂は奈那子腕を引きながら人の中を掻き分けて中心に進んだ。
人だかりの中心にいた人物を見て、奈那子ははっとした。あの人見たことがある。
大きな鍔のある黒い帽子から白銀の髪が胸元まで流れていて、身に纏っているものは黒いインバネスと呼ばれるコート。いつか奈那子がぶつかった人物だ。
中性的な妖艶な顔を持つその人物は操り人形を使って人形劇をしていた。
奈那子の脳裏に恐怖で顔を歪ませながら香穂が屋上から落ちたあの時の表情が再び思い出された。やはり、奈那子は一度死んだ。
人形遣いの指先がしなやかな動きを見せ、幻想的な世界を創り出す。
生きているように動き出す二体の人形に、奈那子は魅了されて目が離せなくなった。
劇はラストシーンであった。そして、そのシーンはあのシーンに似ていた。
人形遣いは一言もしゃべらずに人形を動かしている。だが、ここにいる全ての人々には台詞がなくとも、人形が何を言っているのか不思議とわかってしまった。
音も情景も感情までもが人形の動きだけで伝わって来る。まるで、この人形遣いは魔法使いではないかと思ってしまうほどだ。
夕焼けに染まる空の下、ひとりの女の子が友人を屋上に呼び出した。
女の子は好きな人を奪われたと友人を一方的に攻め立てる。
友人は泣きながら女の子に何かを訴えかけるが、女の子は聞く耳を持たなかった。
――そう、この人形劇はあの時の再現だった。
奈那子が香穂のことを殺してしまったあのシーンの再現をしているとしか思えない内容だったのだ。
人形劇は進んでいく。
奈那子は恐怖した。目を離すこともできず、釘付けになりながら見てしまった。目を離そうとしても何かに惹きつけられてしまうのだ。
人形遣いの指が激しく動き、女の子の人形が友人の人形を突き飛ばした。その瞬間、友人の人形を操っていた糸がプツリと切れて、人形は地面に落下した。
人形が地面に落下する時、実際には聴こえない悲鳴が聴こえたような気がした。
ここいた人々は悲惨な顔をして、身を凍らせてしまった。誰もが悲痛な叫びを聴いてしまったのだ
妖艶な顔をした人形遣いが奈那子を見つめ、そして、微笑んだ。
「いやーっ!」
蒼ざめた顔をした奈那子は無我夢中で走り出した。
果たして奈那子は何から逃げようとしているのか?
奈那子を追うものは何か?
香穂は死んだのか、生き返ったのか?
奈那子は香穂を殺したのか、殺していないのか?
これは夢なのか、夢ではないのか?
何が現実なのか?
やはり自分は香穂を殺したのだと奈那子は再確認した。
いろいろな想いが堂々巡りする奈那子。彼女の感情は波を作り出していた。
昨日の屋上での出来事によって引き起こされた奈那子の感情は消えることなく残っている。感情は無理やり押し込められては、何かの弾みで戻って来た。
奈那子はわからなかった。あの人形遣いはなぜあの出来事を知っていたのか? 劇の内容が偶然同じだったのか?
あり得ないと奈那子は心の中で叫んだ。あんな偶然があるわけがない。偶然にしてはでき過ぎている。
あの人形遣いは一部始終を見ていたのか? どこでどうやって?
あの人形遣いはいったい何者なのか?
答えがひとつもでない。
奈那子は学校に向かって走っていた。そう、あの屋上に何か手がかりあるかもしれないと思ったからだ。
正門を通り抜け、校内に入った奈那子は屋上へ向かって階段を駆け上がった下駄箱で靴を履き替えることもしなかった。
空が真っ赤に染まる夕暮れの屋上――あの時と同じだった。
奈那子の視線の先には一部分が抜けてしまっているフェンスがあった。あそこから香穂は地面に落下した。
いろいろなものがあの出来事は現実だったと言っている。ただひとつ可笑しなことは香穂が生きていたこと。それだけが可笑しい。
奈那子は抜けたフェンスに近づいた。そこから下を眺めようとしたが、近づくだけで下を覗くことはできなかった。
屋上に強風が吹き荒れた。
「奈那子ちゃん」
ぎょっと顔をして奈那子が後ろを振り向くと、そこには薄ら笑いを浮かべた香穂が髪の毛を風に揺らしながら立っていた。
香穂がゆっくりと奈那子のもとへ歩み寄って来る。
「ここで奈那子ちゃんがわたしのことを突き飛ばしたんだよね」
「……どうして……それなのに?」
では、どうして香穂は生きているのか?
「わたしは奈那子ちゃんに復讐したくて蘇ったの」
「そんなことが……」
奈那子は目の前にいるものを否定した。五感全てが目の前にいるものを感知していても奈那子は認められなかった。あり得ない。
「わたしね、秋葉くんのことあきらめてないよ。いつも奈那子ちゃんのこと蹴落としてやろうと思ってたの」
「そんな、ど、どうして……やっぱり全部嘘だったの?」
「うん、ぜ〜んぶ嘘だよ、泣いたりしたのも全部嘘。みんなわたしの涙に騙されるんだもん、笑っちゃうよね」
屈託がない純粋な笑顔を浮かべる香穂。何をもって純粋というのか? 香穂の笑顔は異様だった。
愕然とすることしか奈那子にはできなかった。まさか、香穂がこれほど醜い心を持ち合わせていようとは……。
香穂は笑みを浮かべながら奈那子に詰め寄って行く。
「まさか、奈那子に殺されるなんて思ってもみなかったよ。親友だと思ってなのになぁ、あはは」
どこか可笑しい笑い。機械仕掛け人形の歯車が調子を狂わせてしまったようだ。
「来ないで、あたしに近づかないで!」
どんどん後ろに追いやられて行く奈那子。香穂は足を止めることなく奈那子に詰め寄って行く。
「学校の帰り道に、秋葉くんのことが好きだって奈那子ちゃんに言ちゃった時の奈那子ちゃんの顔、絶対忘れない、スゴイ恐い顔してたよ。あの顔を見た時にね、わたしは思ったの……アナタは何度でも機会さえあればわたしを殺す、ってね」
薄ら笑いを浮かべて香穂が足を止めた。それに合わせて奈那子の足も止まる。
「ご、ごめんね香穂……お願いだから許して」
震える声を発する奈那子の目からは涙が零れ落ちていた。自分を悔いて出た涙ではなくて恐怖心から出た涙だった。
「ふふ……許して欲しいの? ヤダよ、許してあげないよ。だってわたしのこと殺したんだもん」
「お……願い……」
風に奈那子の声は掻き消され、香穂は笑っているだけだった。
奈那子のすぐ後ろには真っ赤な夕焼けが広がっていた。一歩でも後ろに下がれば地面に落ちてしまう。
「許して、許してよ」
「ヤダよ」
香穂の手が伸ばされた瞬間、逃れようとした奈那子は足を滑らせそうになって、遥か下の地面を見てしまった。
奈那子は絶句した。遥か先の地面の上で血みどろになって死んでいる人、それは香穂だった。それを見た瞬間、奈那子は悲鳴をあげて気を失い屋上から転落した。
そして、地面に何かが激しく打ち付けられた音がした。