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CASE 06‐渦潮の唄‐(完)

 彪彦に続いて亜季菜と伊瀬も屋上に駆けつけた。

「伊瀬クン、あの蒼い玉がアレじゃないの?」

「かもしれません」

 真珠姫の持つ蒼い玉に2人の視線は注がれた。

 龍神を操ることに神経を集中している真珠姫は、周りの様子が見えていない。今が龍封玉を奪うチャンスかもしれない。

 伊瀬が走った。

 魔法陣の上に立つ真珠姫に飛び掛ろうとした。

 その足が不意に止まる。

 他の者も戦いながらも視線はそちらに配っていた。

 海面から躰を出す怪物が、浅い湿地を這うように迫って来る。龍神だ、龍神がすぐそこまで迫っていた。

 このときやっとテーマパークに避難勧告が出て、四六時中やっていたニュースの怪物が現実にいるという恐怖でパニックになった。

 このリゾート全体の入場者数は年間で約2500万人、1日平均7万人もの人が訪れる。夜10時に閉園することや、近隣ホテルの宿泊数を考えると、数万もの人を一斉に避難させなければならなかった。

 避難勧告をリゾートに通達したのは日本政府だが、その遅れは有事は有事と言っても相手が生物であったことが要因だろう。進路の予想ができても、いつ進路を変えるともわからず、東京湾に隣接している県民たちを全員非難させるのは不可能である。ギリギリまでの見定めがあったと思われる。

 自衛隊と在日米軍との連携によって、すでに攻撃態勢の準備はできていた。

 しかし、踏み切れるはずがない。あまりにも人が多すぎる。

 津波がもっとも湾に隣接していたシーに流れ込んだ。茅ヶ崎で起きた大津波に比べれば些細なものだが、それでも人々を混乱させるには十分に足りる。

 東京湾の水深が低く、水の量が少ないためか、大津波を起こせない代わりに龍神は陸に上がった。

 モノレールの路線が破壊され、シー内に侵入した巨体が動く。

 人工的に作られた園内の海は超巨大な龍神にとっては、小さな水溜りでしかなかった。

 とぐろを巻くだけで敷地の大半を占拠し、尾の先を少し振るだけで巨大な建物が破壊される。

 まさにその光景は黙示録である。

 巨大な怪物によって脆くも破壊される世界。

 ゾーラは紫苑の妖糸を躱して、科学が破壊される様を見つめていた。

「この場所では物足りなかったようだ」

「なにが物足りないだ!」

 紫苑は怒りを露にした。静かな怒りではなく、爆発するような怒り。それは紫苑には珍しいことであった。

 怒りに任せて振るう妖糸は深い〈闇〉を纏い、泣き叫びながらゾーラに襲い掛かる。

 瞬時にチェーンで弾いたはずの妖糸は勢い治まらず、翻ったゾーラのマントを軽く斬った。

 斬られたのはマントの先だったが、その断面が少し腐ったのをゾーラは眼にした。愁斗の放った妖糸が物を腐食させたのだ。

 一方、伊瀬は再び真珠姫から龍封玉を奪おうとしていた。これ以上世界を壊させはしない。

 相手の手を掴もうと伊瀬が手を伸ばした瞬間、真珠姫の眼がカッと見開かれた。

「邪魔はさせぬわ!」

 長い爪を持った手が振り上げられ、伊瀬の顔面を抉ろうとした。

「伊瀬さん!」

 紫苑は叫びながら妖糸を放った。放った妖糸は目の前のゾーラではなく、真珠姫の振り上げられていた手首を飛ばした。

 元は瑠璃の躰であるが已むを得ない判断だった。

 真珠姫の手首を飛ばし終えた紫苑にゾーラのチェーンが襲い掛かる。

 それを避ける余裕など紫苑になかった。

 キラと戦っていたはずの彪彦が鉤爪から魔弾を飛ばした。

 魔弾は振るわれたチェーンを弾き返して紫苑を守った。

 彪彦はそのまま敵をゾーラに代えた。

「わたくしがお相手しますよゾーラさん」

 残されたキラが怒鳴る。

「おい、オレを放置すんじゃねぇ!」

「二人一緒にお相手するに決まっているじゃありませんか」

 丸いサングラスを直しながら彪彦は口元を緩めた。

 紫苑は伊瀬を助ける為に真珠姫に立ち向かった。

 腕を落とされた真珠姫は憤怒していた。

「おのれ人間めッ!」

 真珠姫の肉体が膨れ上がり、角ばった骨が筋肉の下から盛り出し、躰を強靭な鱗が覆った。尻からは長い尾が生えており、それを千切って槍とすると、新しい尾がすぐに生えてきた。過去に戦ったときのように、驚異的な再生力は健在であった。

 紫苑が繰り出す妖糸の雨を真珠姫の槍がことごとく弾く。

 その紫苑の技を見て、憎悪が真珠姫の底から沸々と湧き上がった。

「まさか……別人に決まっておる!」

 真珠姫の脳裏を掠める幼い子の残像。

 紫苑は低く声を響かせる。

「生きたまま蟲に喰われた悪夢を再現するか?」

 それは過去に真珠姫が愁斗に葬られたときの恐怖だった。

 急に真珠姫は壊れたように笑い出した。

「ほほほほっ、ほーほほほほっ、なんという好機。うぬにまた出逢えるとは、嬉しいぞ、妾は嬉しいぞよ」

 真珠姫は龍封玉を口に含み、咽喉を大きく動かして呑み込んだ。

 心底から真珠姫に漲る力。

 姫でありながら雄々しく槍を構えて真珠姫は嗤った。

 紫苑と真珠姫が対峙するときも、猛威を振るう龍神は暴れ狂っていた。隣接する二つのテーマパークを横断しながら、その進路を東京都心に向けていたのだ。

 今度はすでに避難勧告が広範囲に出されていたが、それでも避難には時間がかかる。再び自衛隊や米軍は地団太を踏むことになると思いきや、米軍は被害を『最小限』に留めるために攻撃を開始したのだ。

 厚木の海軍基地から飛び立った飛空部隊が、空に轟音を響かせて龍神に迫り、ミサイルの雨を発射した。

 町が破壊され、硝煙が辺りを包む。

 この世のものとは思えぬ咆哮が天を突いて響く。

 巨大な龍神の頭が硝煙を雲に見立てて空に昇った。

 強靭な鱗には傷一つ付いていない。傷付いたのは逃げ遅れた人々だけだった。

 爆発の煙はホテルの屋上からも見えていた。

 伊瀬は硬い表情をしながら眼鏡を直した。その向かいにはキラが構えていた。

 彪彦はキラを伊瀬に任せ、ゾーラだけに力を注ぐことにしたのだ。

 2本のナイフを構える伊瀬と、2個のヨーヨーを操るキラ。再戦である。

 キラはヨーヨーを操りながら伊瀬と間合いを取る。

「あんときは逃げたんじゃないからな、ここで決着つけてやるぜ」

「一刻を争います、すぐに決着をつけましょう」

「そんなこと言うなよ、ゆっくり遊んでやるぜ!」

 2人が戦う間も、龍神は街を壊し続けている。

 他の者たちの戦いも続いている。けれど、その戦いは伊瀬とキラの戦いに比べ、十分な力が発揮できない戦いだった。

 彪彦の目的は制裁でありながら、拘束を主としていた。

 紫苑は真珠姫を元の瑠璃に戻すため、致命傷を与える攻撃が繰り出せずにいた。

 傷付いてもすぐに再生する真珠姫であるために、多少の攻撃は可能だが殺してはいけない。なにか瑠璃を取り戻す方法はないかと、模索しながら紫苑は槍の追撃を躱していた。

「ほほっ、どうした逃げるばかりでは芸がないぞ!」

 真珠姫の華麗な槍捌きをいつまでも躱しているのは限界がある。

「瑠璃の躰を出て行け」

「もうこの躰は妾のものじゃ、瑠璃など死んだわ!」

 槍が紫苑の耳を掠めた。

 避けながらも紫苑は真珠姫から目を離していない。離したが最期、串刺しにされる。

 真珠姫の顔にはまだ瑠璃の面影がある。まだ瑠璃が消滅したとは思えない。そう信じたかった。

 槍を構えて紫苑に襲い掛かろうとしていた真珠姫が、なぜか驚いた顔をして動きを止めてしまった。

 このとき、葛西を越えて荒川を渡ろうしていた龍神の動きが不意に止まっていた。

 そして、なにを思ったか川を下って東京湾に向かって進み出したのだ。

 真珠姫は必死になって龍神を制御しようとするが、なにか大きな力に阻まれているようにうまくいかない。

 焦る真珠姫を前に紫苑は理解に苦しんだ。なにが起こっているのかわからない。紫苑以上に当事者の真珠姫は理解できなかった。

 なんの力に阻まれているのかわからない。

 まさか瑠璃が力を吹き返したのかとも思ったが、そういう感じはまったくしないのだ。躰はまだ言うことを聞き、真珠姫自身には問題はない。

 なのに龍神は東京湾を渡り広い海に向かって進んでいるのだ。

 戦いなど忘れ、目の前に紫苑がいることなど忘れ、真珠姫は龍神の制御に全神経を集中させた。

 なにか大きな力が働いている。

 このとき、ホテルの屋上にいた誰一人知らない事実であったが、龍神と戦闘を続けている飛空部隊は微かに気付いていた。

 目を疑うことであるが、龍神の頭に人影あるのだ。

 辺りは暗くなっていると言うのに、その色だけは眼に焼き付き離れない。

 鮮やかに紅い影が龍神の頭に乗っている。それは確かの事実だった。

 そんなことを知らない真珠姫は狂気を露にした。

「なぜじゃ、おのれおのれおのれーッ!」

 鮫のような尖った歯を鳴らしながら真珠姫は眼をギラ付かせた。

 龍神に気を取られている今がチャンスかもしれない。今なら真珠姫から瑠璃の肉体と魂を取り戻せるかもしれない。

 しかし、その術を紫苑は知らない。

 どうしていいのかわからず紫苑は立ち尽くしてしまった。

 そのとき、龍神に気を取られている真珠姫の内で、変化が起ころうとしていた。

 自らに起こる変化に気付いて真珠姫は抵抗しようとした。

「おのれ瑠璃姫かっ!」

 肉体の内で瑠璃の魂が必死の抵抗していた。

 やはりまだ瑠璃の魂は消滅していなかったのだ。

「私を……私を……」

 瑠璃の声がした。それを消そうと真珠姫が言葉を被せる。

「勝手にしゃべるでない!」

 まるで腹話術をしているようだ。

「殺して……私はもう消えてしまう……だから……肉体を奪われるくらいなら、私を殺して……」

 これは瑠璃の最期の抵抗だった。

 もう瑠璃に力は残っていない。己の消滅を悟って最期の力を振り絞ったのだ。

 紫苑はゆっくりと手を上げた。

 そして、煌く輝線が世界を翔けた。

 絶叫と共に割られた真珠姫が血を噴き、何かが砕ける音がした。

 脅威の生命を根源たる彼女たち一族が持つ心玉が割られた。

 砕け散る心玉は瑠璃の心を象徴するかのように、美しく輝きながら散って逝った。

 核を失った肉体は急激に干からび、黒い湯気のような霊体が抜け出した。瑠璃は死んだ。しかし、邪悪な真珠姫の霊魂はまだこの世に存在していたのだ。

「おのれ、もう容赦はせぬぞ!」

 紫苑に襲い掛かる真珠姫。

 だが、紫苑は冷酷に言い放った。

「……永劫の闇に苛まれるがいい」

 すでに紫苑は空間を切り裂いていた。

 闇色の裂け目から哀しき鳴き声が聴こえた。

 泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。

 渦巻く悲しみ。

 裂け目から飛び出した〈闇〉は渦をつくって真珠姫の霊体を呑み込んだ。

 歪んだ真珠姫の顔が遠い世界へ引きずられていく。

「呪い殺してやるわ!」

 最期の捨て台詞を吐いて真珠姫は裂け目に〈闇〉と一緒に消えた。

 そして、裂け目は固く固く閉ざされたのだった。

 龍神は大人しく大海原へと進み続けている。

 真珠姫を失い、龍神が暴れることをやめた今、ゾーラとキラは追い詰められた。

 3対2ならまだやれる。

 ゾーラは決して負けを認めようとしなかった。

「お前たち勝ったと思うな、最後に勝つのはこの私だ!」

 そして、事態はまた大きく動こうとしていた。

 物陰に隠れていた亜季菜が何者かに捕まり、屋上に次々と男たちが現れたのだ。その一団を率いていたのはシュバイツ。

「遅れて申し訳ないね。真打は最後の登場するのがセオリーだろ」

「おお、シュバイツ!」

 ゾーラは歓喜を声をあげ、キラも続いた。

「アニキ、おっせーぞ!」

 シュバイツはにこやかに微笑んだ。

「それではゾーラさん、観念してもらいましょうか」

 その言葉にゾーラは一瞬言葉を失った。

「……なんだと?」

「聴こえましたよね、あなたの負けです。ま、早い話が私は寝返ったということですよ」

 そう、シュバイツはゾーラを裏切り、元の鞘に納まったのだ。

 シュバイツが引き連れて来たのはD∴C∴の構成員。みなゾーラたちを追っていた者たちだった。

 そーっとキラはシュバイツに歩み寄った。

「そゆことならオレも」

 キラもゾーラを見捨てた。

「おのれ貴様ラァァァァァッ!!」

 人外の獣と化してゾーラは咆えた。

 味方を失い四面楚歌となったゾーラは握っていたチェーンを捨てた。

 降参したのではない。

「お前たちに私は裁けぬ!」

 背を向けて走り出したゾーラはそのまま屋上から空に飛んだ。

 そのまま下に消えたゾーラ。

 すぐに皆は屋上から身を乗り出して地面を確認したが、辺りはすでに暗がり包まれよく見えなかった。

 その後、隈なく辺りが捜索されたが、ゾーラの死体が見つかることはなかった。

 事件は多くの人々の命を奪い、多くの被害を出し、主謀者の失踪によって幕を閉じたのだった。


 龍神は太平洋に出たのちに深い海の底に沈み、再び人々の前に姿を見せることはなかった。

 例え龍神が海に還ったとは言え、人々は想像を絶する存在を目の当たりにした。

 この事件を切欠に、ゾーラが望んだように世界は変わるかもしれない。

 戦いを望まぬ瑠璃の想いは……。


 暗い部屋の中で、独り愁斗は胸の苦しみを覚えた。


 CASE06(完)

 作品公開の順番が時系列順ではなくて申し訳ありません。

 ここで今までの作品を時系列に並べ替えてみようと思います。


聖歴31年

 愁斗9歳。

「CASE05-潮騒の唄-」


聖歴34年

 愁斗11歳〜12歳。

「CASE03-紅蜘蛛-」

「CASE01-紫怨-」


聖歴36年

 愁斗13歳〜14歳中学2年。

「CASE04-怨霊呪弾-」


秋頃

「夢見る都」


冬休み前

「未完成の城」


12月

「CASE05-渦潮の唄-」


「夢見る都」「未完成の城」は「傀儡師紫苑」の長編です。

 そちらも時間があれば読んでみてくださいね。

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