CASE 06‐渦潮の唄‐(6)
紫苑と彪彦は亜季菜たちと合流しようとしていた。
鎌倉駅近くで2人が待っていると、キャデラックが現れて中から伊瀬が降りてきた。
「お待たせしました、どうぞ中へ」
伊瀬は助手席と後部座席のドアを開けた。彪彦が助手席の乗り、紫苑が後部座席に乗り込む。後部座席には亜季菜もいた。
彪彦は後部座席に顔を向けて亜季菜に頭を下げた。
「はじめまして姫野さん、姫野グループ会長の妹さんですね?」
問われた亜季菜が紫苑に顔を向けると、紫苑は首を横に振った。
「亜季菜さんのことを私の口からは話してませんよ」
「じゃあなんでよ?」
それは彪彦が答えた。
「もうお聞きかもしれませんが、わたくしはD∴C∴に所属しております」
「ええ、知ってるわ。愁斗クンからほとんど聞いていると思うわ」
「愁斗さんの周りの環境について徹底的に調べさせていただきました。物凄いパトロンが付いていたものです、貴女が隠蔽していたせいで愁斗さんを探すのに手間取りました。しかし、見つけてしまえば後は芋づる式に調べることは可能です」
その話を聞いて亜季菜は小さく舌打ちした。
愁斗がD∴C∴に監視されていることは、自分も監視されていると亜季菜は呑み込んだのだ。
すでにアクセルを踏む準備をしていた伊瀬が問う。
「話に区切りがついたようでしたら、目的地を言ってください」
彪彦はポケットからケータイを出して、メール本文を伊瀬に見せた。
「ここです、舞浜にある日本最大のテーマパークです」
アクセルにかけていた伊瀬の足が外された。
「おそらく車より電車の方が早いですね」
と、提案しつつも伊瀬は亜季菜の顔色を窺った。
「電車とかありえないわよ、普通列車ってみんな自由席なんでしょう?」
確かに言い方によったら自由席だ。
そのまま亜季菜は続けた。
「ヘリ呼びなさいヘリ」
「停める場所が……」
少し小声で言う伊瀬に亜季菜は大声を出した。
「今の時期冬休みでしょう、学校とかないの学校? 校庭使っちゃいなさいよ」
茅ヶ崎から鎌倉に来る途中、鎌倉駅の近くに学校らしきものがあったことを彪彦が覚えていた。
「ここの道路を海に下る途中にそれらしき物があったような気がします」
亜季菜のゴー合図が出る前に伊瀬はアクセルを踏んでいた。
大きな道路を海沿いへと下り、彪彦が行ったとおり学校があった。
無許可で学校の敷地内に入ってヘリを待った。その間にシュバイツをとある駅で見失った鴉が合流した。
ヘリは車や普通電車に比べて断然早い。
しばらくして遠く上空から猛スピードでやって来たヘリが、小学校で4人と1匹を拾って、軽く時速180キロを越えるスピードで、ほぼ直線で舞浜に向かって飛行した。
冬空は日が落ちるのが早く、すでに辺りは薄暗くなりはじめている。
テーマパーク周辺のパーキングエリアに無理やりヘリを停めさせ、ヘリから降りるとテーマパークに入る前に彪彦が全員を止めた。
「ちょっと待ってください、電話をかけたい相手がいます」
そう言って取り出したのはシュバイツのケータイだった。
誰かに通話した彪彦は無言で相手が出るのを待った。
《おいシュバイツ、今まで何してたんだよ!》
少年の声がスピーカーの向こうから響いた。キラだ。
「残念ながらシュバイツではありませんよ」
《誰だてめぇ!》
「影山彪彦です」
《……マジかよ、シュバイツはどうしたんだよ》
「途中まで追跡していたのですが、電車に乗られたところからわからなくなりまして」
電話の向こうでキラが小声で話しているようだった。そして、何か物音がしてキラではない声がした。
《電話を代わったゾーラだ》
「ゾーラさんお久しぶりですね、お元気にしていましたか?」
《用件を手短に言え》
「このケータイに送られたメールにはリゾートと書いてありまして、ランドですかシーですか、それとも別の場所にいらっしゃるのですか?」
《キミはどこにいるのだね?》
「駐車場です」
《ならばこの場所から見えるかもしれんな。せいぜい頑張って探したまえ》
通話が一方的に切られた。
考え込む彪彦に視線は集中して、彪彦が発する次の言葉に耳が傾けられた。
「もしかしたらテーマパーク内ではないかもしれませんね、それらしい声や音がありませんでした。後ろから聴こえて来る音は強風の音くらいでしたかね」
東京湾の近いこの場所は風の強い場所も多い。
近くにいることはわかっているが、探すのは困難を極めそうだ。
先ほど彪彦が言ったように、2つのテーマパーク内にいなければ範囲が狭まる。だが、もしもテーマパーク内にいた場合、その人口密集度から探すのは困難を極める。
駐車場でじっとしていてもはじまらず、3組と1匹に分かれて散らばることにした。
紫苑、彪彦、亜季菜と伊瀬、そして上空から鴉が探す。
この場所で彼らはなにをしようとしているのか、そのことから紫苑は考えることにした。
当初の目的地がここと言うことは、目的はテーマパークに集まる大勢の人と考えるのが自然だろう。水辺からも近く人が多く集まる場所だ。
茅ヶ崎の被害から考えて、襲う標的に近ければ自分たちの命も危険に晒される。ならば、テーマパーク内というのは、彪彦の言葉を総合しても考えづらい。
テーマパークの様子が見れて安全な場所。
この周辺には多くのリゾートホテルが存在している。
龍神は海からやって来る。
紫苑は敵の狙いをランドではなくシーに絞った。理由はランドよりシーの方が湾に近いからだ。
景色などを見渡すのであれば、高ければ高い場所のほうが良い。
そして、最後に彪彦が言っていた強風と言うキーワード。
総合して考えるにシーに一番近いホテルの屋上が適当だろう。
紫苑を操る片手間で愁斗はパソコンも操っていた。ネットで自分が推理した場所に当てはまる場所を探す。そして、目星が付いた。
モノレールを使ってリゾート全体囲うラインを走り、ベイサイドステーションから目的のホテルへと向かった。
ホテルの屋上でキラは双眼鏡を覗いていた。光学ズームで遠く海面を眺め、波の動きを見張って胸を高鳴らせていた。
一方ゾーラはキラのすぐ横で、魔法陣を描き再び真珠姫を招喚していた。
「今度こそ私をがっかりさせないで欲しい」
「わかっておる、手はず通り妾を瑠璃姫の肉体に移すのじゃ」
揺らめく影のような真珠姫のすぐ近くには、気を失って縛られている瑠璃の姿があった。
現在肉体を失い魂だけの真珠姫は、瑠璃の肉体を得ることにより、生前の力を取り戻すばかりか、瑠璃の力をも吸収する魂胆だった。
迫る魔の手に気付いたのか、今まで気を失っていた瑠璃が突然目を覚ました。
「ここは……真珠姫!?」
目を開けたすぐ先に般若の形相をした真珠姫の顔があった。
横を見るとゾーラやキラの姿もある。
縛られている瑠璃は首から上しか動かすことができない。絶体絶命とも言うべき状況に追い込まれていた。
真珠姫は邪悪な笑みを浮かべていた。
「今からお主の肉体をもらうぞ」
その言葉に瑠璃は驚きを隠せなかった。
「私の肉体を……肉体を手に入れてなにをする気なのです!」
「ほほほっ知れたこと。龍神を思うが侭に操るためじゃ」
「まだそんなことを……龍神の力を甘く見てはいけません」
「お主こそ妾を甘く見てはおらぬか?」
炎が燃え上がるように真珠姫の影が揺れ、風のように翔ける影は瑠璃の背後に回った。
そして、瑠璃の足元に描かれた魔法陣が淡く輝きはじめる。
ゾーラも瑠璃の背後に立っていた。
「では行くぞ……ハッ!」
ゾーラは掌底で真珠姫を突き飛ばし、瑠璃の肉体へと押し込めた。
大きく肩を揺らした瑠璃。
急に瑠璃は縛られたままの身体で地面を転がり回った。
肉体の中で魂と魂が闘っているのだ。
苦悶する瑠璃の顔の筋肉が動いた。皮が動き、肉が動き、骨格が動いている。
「大人しく消えるのじゃ!」
瑠璃の口から真珠姫の声が発せられた。
その間も瑠璃の顔は変化を続け、瑠璃と真珠姫が混ざったような顔に変化していた。
「やめ…て……ください……」
弱々しい瑠璃の声が零れた。
「ほほほほほっ、そのまま消えてしまえ!」
顔は真珠姫の相が強くなっていた。
「ゾーラ、縄を解け」
真珠姫に命令されゾーラは縄をナイフで切った。
立ち上がった真珠姫の身体は、瑠璃とは比べ物にならないほど豊満で妖しかった。
しかし、まだ微かに瑠璃の面影がある。
ゾーラはそれに気付いていた。
「まだ完全に肉体を乗っ取っていないようだな。あの女の相が残っている」
「案ずるな、この躰の支配者は妾じゃ。彼奴にもう力などない」
「ならばいいが……ではさっそく龍神を呼ぶとしよう」
ゾーラは蒼く拳ほどの大きさの玉を懐から取り出し、それは真珠姫の掌に握らせた。この玉が龍封玉だった。
龍封玉は龍神を封じた玉。けれど、それ自体に封印しているわけではない。この玉は一種の鍵であり、制御装置でもあるのだ。
人間には発音できないような音で真珠姫は呪文を唱えた。
これとほぼ同時に、大津波を起こして移動する巨大生物によって、東京湾アクアラインの海底トンネルが上から押しつぶされて破壊された。
真珠姫が頭を抱えた。
「無理じゃな、水深が低すぎて泳いでくることができん」
東京湾の水深は30メートルにも満たない。アクアラインの手前までは水深もあり、相模湾から入ってくることができたが、これ以上は泳いで入って来られない。
自衛隊のヘリが海面から巨体をビデオカメラで撮影していた。
その全長は世界最大の豪華客船に迫るほどで、300メートルを越えているのではないかと思われる。それに伴い全高も相当なもので、アクアラインを腹で潰して海面から躰が半分以上出てしまっている。
カメラをズームするとその躰が、岩のような鱗に覆われていることがわかった。まるで岩に覆われた蛇だ。
龍神は蛇のように這いながら進みはじめた。
そのスピードは信じられないほど速く、津波を起こし海底を削って舞浜に向かって進んでいた。
ホテルの屋上でゾーラはまだ肉眼では見えぬ龍神の方角を見ていた。
「あと10分ほどか……泳げればもっと早かったのだがな」
双眼鏡を覗いているキラも愚痴た。
「のんびり這ってなんか来たら、テーマパークで遊んでる奴等に逃げる隙を与えちまうもんな」
この時点では、まだテーマパークに避難勧告は出ていなかった。
龍封玉を胸で抱く真珠姫は目を瞑って呪文を唱え続けている。全神経を集中させて、滝のような汗を噴いている。
ゾーラは何者かの気配を感じて振り向いた。
「誰かね?」
口に巻いたマフラーを強風に靡かせながら、シルエットは凛とその場に立っていた。
「……瑠璃と龍封玉を返して貰おう」
「残念ながら瑠璃と言う海人の肉体は真珠姫に奪われてしまった」
ゾーラの言葉に紫苑は視線を真珠姫に動かした。その姿は以前、幼き愁斗が見たものとは異質だった。言われれば真珠姫とわかるが、どこか違う。
「真珠姫であって真珠姫ではないな」
まだ瑠璃の魂がそこにあるのなら、元の姿に戻すことは可能かもしれない。
以前、龍神を操れるのは海の民だけだと聞いた。真珠姫が持っている蒼い玉が龍封玉であり、真珠姫が龍神を操ろうとしているのは明白だった。
問題はそれをどうやって阻止するかだ。
紫苑は戦闘の構えを取った。
まずは周りを片付けるしかあるまい。
紫苑は地面を蹴り上げ、氣を練り上げて妖糸を放った。まず倒すはゾーラ。
目を見開いたゾーラは常人ではほぼ不可視の糸を見切った。コートを巻くって腰に下げていたチェーンを握り放つ。
銀色のチェーンは鞭のように紫苑の妖糸を弾いた。
双眼鏡で海を見ていたキラは、そのレンズを海から屋上に向け、逆に双眼鏡が邪魔なことに気付いて肉眼で見た。
「ヤベッぜんぜん気づかなかった。いつ来てたんだよ?」
紫苑の登場にまったく気付いていなかったらしい。
こちらに顔を向けるキラにゾーラは注意を促す。
「キラ後ろに気を付けろ」
「はぁ?」
後ろはすぐに空中だ。
押柄な感じでキラが後ろを振り向くと、その瞳に巨大な魔鳥の影が映った。
「ごきげんよう」
手首に黒い翼をつけている彪彦は空を飛び、空中から回し蹴りを放ってキラの顔面に喰らわせた。
「ガァッ!」
アヒルが絞められたような声を出してキラがぶっ飛んだ。
彪彦はひょいと屋上に降り立ち、手に装着されていた大きな翼は、そのまま嘴のような鉤爪に変化した。
地面に肩膝をついてキラは口を手の甲で拭った。
「クソッタレ、よくもやったな!」
「わたくしが降りるのに邪魔でしたので、思わず蹴り飛ばしてしまっただけですよ」
「くだらねージョーダン言いやがって、死ね!」
パーカーのポケットからヨーヨーを取り出してキラが彪彦に襲い掛かる。
一方、紫苑とゾーラの戦いも続いていた。
薄闇の空の下、戦いはまだまだこれからだった。