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CASE 06‐渦潮の唄‐(4)

 伊瀬がキラを追って消えたあと、玄関を開けようと亜季菜は立ち往生していた。

「んもぉ、管理人なんて呼んでる余裕ないわよ」

「あの……私が開けましょうか?」

「できるなら早く言ってよ」

「あまりにも一生懸命な様子だったので声がかけづらくて」

 亜季菜と瑠璃は場所を交替して、ドアに向かって瑠璃の掌が叩きつけられた。

 物凄い打撃音と共にドアがへこむ。

「もうちょっと静かにできないわけ?」

「すみません、でも他に方法が……」

「人が来る前に早くやっちゃって」

「はい」

 再び瑠璃の掌が叩きつけられ、ドアを固定していた留め具が緩んだ。

 続けてもう一度、叩きつけると留め具が飛び、すぐ次の攻撃がドアを玄関に飛ばした。

「入りましょう」

「見た目に反して怪力なのね」

「ごめんなさい」

「別に謝ることじゃないけど」

 2人は土足のまま部屋の中に踏み込んだ。

 瑠璃は迷うことなく廊下を走り、とある部屋のカギが閉まっていることを確かめ、再びドアに掌を喰らわせた。

 今度は玄関とは違い、一発でドアが外れて飛んだ。

 その瞬間、禍々しいまでの鬼気が部屋から吹き込んだ。

 思わず亜季菜は噎せてしまった。

 瑠璃の鋭く眼つきが変わり、部屋に床に描かれた魔法陣の上に揺らめく影を見た。

「やはり貴女でしたか」

「ほほほっ、お主なら来ると思っておったぞ瑠璃姫や」

「――真珠姫」

 瑠璃は禁忌の名を口にした。

 揺らめいていた影は燃え上がるように激しく動き、醜く恐ろしい般若の形相をした真珠姫の顔を笑った。

「ほほほほほっ、恨みを晴らす機会を与えてくれた地獄の鬼に感謝するぞ」

「亜季菜さん、下がっていてください」

 そんなこと言われなくてもわかっている。亜季菜は身を隠すように廊下に出て、顔だけ覗かせて動向を窺った。

 瑠璃は真珠姫を正面に捉えながら、視線を動かして部屋の様子を探った。

 部屋は10畳ほどしかなく近距戦に限られる。床の大半は魔法陣で占められ、壁や天井にはお札が貼られ、窓は完全に塞がれている。

 瑠璃はあることに気付いた。

「もしや、貴女はここから出られないのではないですか?」

 真珠姫が言葉を返すのに、少し間があった。

「……さて、それを知ってどうするのかえ?」

「無駄な戦いはしません」

 瑠璃は前を向いたまま部屋を出た。

 狂気した真珠姫が襲い掛かるも、ドアの前で見えない壁に当たって引いた。

「おのれ、入って来い!」

「嫌です」

 廊下に下がり、瑠璃は亜季菜に顔を向けた。

「どうしましょうか?」

「あたしに訊かれても困るわよ」

「そうですよね、ごめんなさい。では真珠姫、龍封玉はどこですか?」

「そんな物知らぬわ!」

 吠えるように真珠姫は叫んだ。

 だいぶ怒っている真珠姫から、必用な情報を訊き出すのは困難に思える。

 しかし、なんとしても訊き出さねばなるまい。

 瑠璃は部屋の入り口ギリギリに立った。

「龍封玉が盗まれ、貴女がこの世にいる以上、その関連性を疑うのは当然です。早く龍封玉の在り処を言いなさい」

「嫌じゃ、言うてやるものか」

「龍神の力は私たちの手に余ります。眠らせて置かなければいけない力なのです」

「妾の手に余るじゃと? 笑止じゃ、妾を誰だと思っておる?」

「驕り高ぶった咎人です」

 はっきりと言い切った瑠璃の眼前まで真珠姫の顔を迫った。

 まさに目と鼻の先で、歯を鳴らして怒る真珠姫。

 瑠璃はまったく動じず、澄んだ瞳で相手を見据えていた。

 その瞳から真珠姫は目を逸らした。

 あまりに眩しい瞳の輝きに、真珠姫の心に宿る闇が負けた。

「おのれおのれおのれーッ!! 妾と勝負をするのじゃ!」

「嫌です」

「この臆病者め!」

「臆病と言われてもかまいません。戦いは虚しく、悲しみと憎しみしか生みません」

「戦ずして、どうして民がついて来ようぞ。民は強い者に仕え敬うのじゃ!」

「私は海男が死んだその日に、矛を捨てました」

 愛する男との間に生まれた息子を失った悲しみは、瑠璃を戦いから遠ざけ年月を重ねた。

 未だに癒えぬ悲しみを瑠璃は背負っていた。

 陸の男を愛したことが罪だった。

 海を捨てて陸で暮らしたことが罪だった。

 生まれて来てはいけない子を産んだことが罪だった。

 そして、平穏に暮らしていた我が子を殺してしまったことが最大の罪。

 いつの間にか、瑠璃は涙を零していた。

「どうか龍封玉を返してください」

「ほほほっ、お主が苦しむ姿のなんと極上なことか」

「私への復讐が目的なのですか? ならば私の命を差し出しましょう。それで終わるのならば、喜んで差し出します」

「喜んでじゃと? お主が喜ぶことを妾がすると思うてか?」

 真珠姫は嘲笑いながら、部屋中を風のように舞った。

「ほほほほほほほっ、愉快じゃ愉快じゃ!」

 その姿を見ながら瑠璃は哀しい瞳をしていた。

 歪んだ真珠姫の心を見ると哀しくなる。その心と触れ合い、正しい道に導けない自分に瑠璃は無力さを感じた。

 海男が死んでしまったときと同じ、無力な自分が哀しかった。

 俯いた瑠璃は急に何者かの気配を感じた。

「きゃ!」

 亜季菜の短い悲鳴。

 振り向いた瑠璃の瞳に映る背の高い男。

 魔導士ゾーラは亜季菜を後ろから拘束していた。

「キラめ、留守番を破約するとは許せん」

 冷静な顔をしながら怒りを口にした。

 亜季菜を人質に捕られ、目の前で瑠璃は身動きを封じられた。

 こんな近くまで迫っていたのに、気配を気づかせなかったとは、かなりの手足れである。

 ゾーラは亜季菜の首に手刀を食らわせ気絶させた。

「瑠璃姫と言ったかね。陸まで追って来るとはな、厄介なことだ」

「龍封玉を返してください」

「奪ったものをたやすく返すと思うかね?」

「だからお頼み申し上げます。どうかお返しください」

 ゾーラはゆっくりと首を横に振った。

「できぬな、あれは世界を導くために必用なのだよ」

「世界を導く?」

「そうだ、愚かな人間どもが知らぬ存在を世に知らしめるために必用だ」

「そんなことをしてなんの意味があるのですか?」

「それは引き金となり、身を潜めていた存在たちが世界の表舞台に出るだろう。そして、異界からも多くの存在が訪れることになる。古い時代は終わり、新たな力により世界は生まれ変わるのだよ」

 茅ヶ崎に現れた龍神はテレビで放映され、それだけでも世界は変わったかもしれない。いや、変わった。

 地上に蔓延る人間は、自分たちを遥かに越えた存在を認め、畏怖し、崇拝し、絶望するかもしれない。

 幻想でしかなかったことが、次々と目の前で繰り広げられ、世界は確実に変わるだろう。

 それが正しいことか、間違ったことか、世界が変わったときに人々は思うだろう。

 多くの人が思うこと。それが正しい道となる。

 ゾーラは自らの行いが正しいと思っている。

「人間は自らが頂点に立つ存在だと驕り高ぶっている。それは目の前に人間よりも力のある存在がいないからだ。それゆえに存在しない神などを崇め、驕りを認めようとせずに偽善で隠すのだ、莫迦らしい」

「驕っているのは貴方ではありませんか。龍神の力は貴方の自由にはなりません!」

「仮にも龍神と呼ばれる存在だが、君たちにとっては神かもしれぬが、広大な宇宙、外宇宙、異界の住人たち、数え切れぬ超存在がいる。あの龍神などせいぜい都市をひとつ破壊する力しかあるまい」

「龍神の力を軽んじることが驕りだというのです」

 なにを持って神とするか?

 人間を越えた存在ならば、それは全て人間にとっての神になりえるか?

 それとも世界を創造したものが神か?

 全知全能の存在なら神と呼ばれるか?

「存在である以上は絶対者ではありえない。崇拝の対象はいても神などおらぬよ。私は龍神の力を軽んじているわけではない、計り知れる存在であるが故に、崇拝はできないということだ。私が驕っているか否か、それは私が成し遂げることを見て判断して欲しいものだ、龍神を操れば文句あるまい」

 自信を饒舌に口にするゾーラから瑠璃は目を放さなかった。

 瑠璃の瞳には力が宿り、澄んだ輝きは一点の曇りもない。

 当然、ゾーラが動いた。

 掌を瑠璃の眼前に突き出し、人外の呪文を口にした。

 次の瞬間、瑠璃は気を失って後ろに倒れそうになってしまった。

 すぐ後ろには真珠姫が死を持って待ち構えている。

 瑠璃が真珠姫の手に掛る瞬間、ゾーラが抱き寄せて防いだ。

「お前の毒牙にかけられては困る」

「瑠璃姫を妾に殺させるのじゃ!」

「困ると言っただろう。まだ使い道のある女だ。それが済んだら煮るなり焼くなり切り刻むがいい」

 ゾーラは気を失っている2人の女を抱きかかえ、奥の部屋へと姿を消した。


 亜季菜と瑠璃が捕まったとは知らず、伊瀬はキラと戦い続けていた。

 ナイフを武器とする伊瀬の格闘センスは良い。そうでなかればナイフなどでは戦えない。その格闘センスをキラは超えていた。

 息こそ切らせてないが、伊瀬はキラの遊びに付き合わされていた。

 2個のヨーヨーを手足のように操り、一定の距離から伊瀬を決して前に近づけない。

 ナイフは深く刺されば一撃で死を与える。

 その一撃を繰り出す距離に近づけない。

 ナイフを投げれば届くかもしれないが、武器を投げる以上は仕留めなければ次はない。

 チャンスを窺う伊瀬の前で、繰り出されるヨーヨーは一刹那遅れた。

 好機に伊瀬は踏み込みナイフを振るう。

 切っ先がキラの頬を撫で、一筋の赤い線が引かれた。

 お返しにヨーヨーが伊瀬の頬を殴る。

 吹き飛ばされながらも伊瀬は倒れることを耐え、口から血の混ざった唾を吐いた。

 すぐにキラに視線を戻すと屈辱とも取れる行動をしていた。

 キラは片手を休めてヨーヨーの代わりにケータイを持っていたのだ。

「ヤベっ、ゾーラのアニキ……留守番ならしてたしてた……だからさ……うんうん……じゃなくって、今敵と戦ってんの、だから仕方ないだろ」

 相手と会話しながら明らかにキラの手は鈍っていた。

 甘くなったヨーヨーの攻撃を軽やかに躱しながら伊瀬が速攻を決めた。

 一撃目のヨーヨーをナイフで弾き返し、ニ撃目を繰り出せないキラにナイフが迫った。

 ヨーヨーが繰り出せなくとも、避けることはできる。

 飛び退き躱すキラに連撃のナイフが迫り来る。

「おおっと!」

 声をあげたキラの後ろは空だった。飛び退きながら屋上の端まで追いやられたのだ。

 フェンスのない屋上の端で、キラはそれでもケータイから手を離さなかった。

「だから今すぐ帰るって言ってんだろ……ウソじゃねえよ、本当に戦ってんだよ。お前からも何か言ってやってくれよ」

 話を振られた伊瀬は言葉の代わりにナイフで返事をした。

 切っ先は首擦れ擦れで風を鳴らした。

 そして、キラはそのまま後ろに身を任せた。

 背中から地上にダイブしたキラは、瞬時にヨーヨーをベランダのフェンスに引っ掛け、糸を腕に巻いて体重を支えた。ケータイは未だに手から離していなかった。

「おい、逃げたわけじゃねーぞ。帰って来いってうるさいから奴がいるから、そいつと直接話つけて来るだけだからな!」

 キラは大声を出してからフェンスを登ってどこかの部屋に消えた。

 帰って来いということは、あの部屋に戻れという意味だろう。

 あの場所に残してきた亜季菜と瑠璃が心配で、伊瀬は全速力で屋上を出て階段を駆け下りた。

 『帰れ』ではなく『帰って来い』という意味には、『来い』すなわちその場所に人がいることになる。

 第三者に亜季菜と瑠璃が危害を加えられたことを伊瀬は瞬時に想像した。

 あの部屋の前まで戻るとドアが破壊されていた。

 すぐに伊瀬は部屋に踏み込み、廊下の横の部屋から禍々しい気配を感じた。

 部屋を覗くと壁一面に張られた御札と床の魔法陣が目に入る。だが、この場所に真珠姫の姿はなかった。

 部屋を出てリビングまで走った。

 そこには床に寝かされた亜季菜と瑠璃の姿が、そしてゾーラとキラもそこにいた。

 ゾーラは鼻でため息をついた。

「またお客さんかね」

 キラはゾーラの横で伊瀬を力強く指さした。

「コイツだよコイツ、な、オレが言ってたこと信用しただろ?」

「信用したが、玄関を壊されたのは大失態だ。すぐに別の場所に移らねばならない。真珠姫の降霊もはじめからやらねばならぬ」

 2対1の不利な状況に、さらに2人の人質がいることで不利に拍車がかかる。

 それでも伊瀬はこの場を引くわけにいかない。

「お2人を返していただきましょう」

「だとよ?」

 キラはゾーラを見上げて尋ねた。

 もちろんゾーラの答えは決まっている。

「それはできぬ。が、貰って行くのは1人だけだ」

 必用なのは瑠璃だけだった。必要ない人質はただの足手まといだ。

 ゾーラは瑠璃を抱きかかえて背中に背負った。そしてキラに合図を送る。

「人が来る前に引くぞ」

「はいはい」

 人が集まれば厄介だ。

 キラはヨーヨーを伊瀬に放ち、その隙にゾーラが玄関に走った。

 ヨーヨーを躱しながら伊瀬は追おうとした。

 それを許さぬヨーヨーの追撃。

 キラが喚く。

「おいゾーラ、足封じの術ないのかよ!」

「お前のヨーヨーで相手の足を狙え」

「狙ってるつーの!」

 廊下を駆けながらキラは伊瀬の追跡を封じようとする。その2人が全速力で走れないうちにゾーラの姿が消えた。

 階段を跳ねながら逃げるキラを追い詰めようとする伊瀬だったが、その足は階段を下りる前に止まった。

 悔しさを顔に滲ませながら伊瀬は追うことをやめた。

 奴等が逃げた理由は人が集まることを危惧したからだ。それは伊瀬にも言える。部屋に残してきた亜季菜のところへ戻らねばならない。

 伊瀬はすぐさま道を引き返し、亜季菜の身柄を確保するために全速力で走った。

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