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CASE 05‐潮騒の唄‐(1)

港ではなく漁村。

 観光地ではなく寂れた場所。

 コンクリの壁に打ち付ける波が風にさらわれ、潮騒の臭いが鼻を刺激する。とてもじゃないが、爽やかな香りとはいえなかった。

「……腐臭に似てる」

 愁斗しゅうとは小さな船着場から遠くの海を眺めていた。

 海をはじめてみた。

 しかし、感動できるような景色ではなかった。

 空を映したような濁った海水。

 海岸の横を通る道を愁斗は海を眺めながら歩いた。

 すぐそこの浜辺ではフナムシたちが群を成し、なにかあるたびに一斉にざわめき移動する。フナムシの量は、普段ここに人があまり訪れないことを物語っていた。

 8月の暑い時期だというのに、観光客の影はひとつもない。その要因は今日の曇り空だけではないだろう。やはりここは観光地ではないのだ。

 愁斗がここに来た理由も、もちろん観光目的ではない。

 理由を述べるとすれば、海に呼ばれたとでもいうのだろうか。ふと、気がつくと海を眺めていたのだ。

 愁斗はひとりだった。その姿を大人に見られたら、声をかけられてしまうに違いない。愁斗はまだ10歳にも満たない子供だ。

 幼い頃に家族を襲われ、父は行方不明、母は死んだ。そして、愁斗は魔導結社の施設へと送られた。

 魔導傀儡師である父を持つ愁斗はその才能を見出され、魔導に関する戦闘訓練をあくる日もあくる日も受けた。

 死と直面した訓練を受けるうちに、愁斗は自然と精神を閉ざす術を学んだ。

 施設を逃げ出してから6ヶ月も経たないが、やはり愁斗の瞳はそこらの子供のとは違う。残酷な悪魔ではなく、冷酷なマシーンの瞳。9歳の少年が宿す若さに輝く瞳はそこにはなかった。

 後ろからなにかが近づいてくるのは、500メートル以上後ろに近づいていたときから気づいていた。気にするほどでもないと愁斗は思っていた。世界に住む大半の人間は人を殺さないからだ。

 しかし、それは愁斗の予想を反した。

 自転車のベルを鳴らし愁斗を呼び止める。

 他人に関わるという思考が愁斗からは抜け落ちていた愁斗を殺そうとする者だけが、愁斗と関わりを持とうとするわけではない。思いやりなどで他人に関わるという思考が愁斗にはなかったのだ。

 振り向くと、そこには自転車に乗った制服姿の男がいた。警察官の制服だ。

 地元の駐在警官だろうか。

「どうした、母ちゃんとはぐれたか?」

 無視しようかと思ったが、愁斗は小さく首を横に振って見せた。

 関わりになりたくない。けれど、それが無理なことは警官の態度からもわかった。

「じゃあどうしてひとりなんだ? おまえこの辺りの子供じゃないだろう?」

 この警官は納得できる答えをもらうまで、愁斗の近くから離れないだろう。

 相手を納得させるだけの言葉を持ち合わせていない愁斗は黙り込んだ。

 鋼の瞳に警官の姿が映し出される。

 警官は無意識に怯えた。

 相手が怯えていることは愁斗も察していた。自分が異質な存在であることを知っているのだ。

 黙りこんだ二人の空気を打ち砕くように、野太い男の声がした。

「駐在さんどうしたんだ?」

 無精ひげを生やしたタンクトップの男。浅黒い肌と隆々とした腕の筋肉を見て、この辺りの漁師ではないかと想像ができた。

 しかし、男は片足を引きずるように歩いていた。

 二人の傍に来た男は警官に軽く会釈し、愁斗の頭に大きな手をポンと乗せた。

「どっから来た?」

 警官と同じ質問をされた。

 外の町からこの漁村に来るものは少ない。よそ者が来たというだけで、小さな噂になるようななにもない場所なのだ。

 大柄な男を愁斗は見上げ、鋼の瞳で男の眼を捕らえようとした。

 男は動じず、怯えることもなかった。

 すぐそこにいる警官よりも、強い精神を持っていると愁斗はすぐに判断した。

 警官が愁斗に覚えていることは、男にも伝わっているようだ。

「駐在さんは仕事を続けてくれよ。俺がこの子の面倒見るからさ」

「そうかいそりゃよかった。仕事が忙しくて、この子ばっかりに構ってられなかったんだ。それじゃノブさん頼んだよ」

 自転車のペダルに力を込め、警官は身のこなし素早く去ってしまった。

 二人が残され、愁斗は足早にこの場から去ろうとしていた。それを男の大きな躯が遮った。

「俺の名前は伸彦のぶひこってんだ。おまえの名前はなんつうんだ?」

 愁斗は足を止めたが言葉は返さない。けれど足を止めただけで、大きな歩み寄りだ。

 なにも言わない愁斗に伸彦が一方的に話しかける形になる。

「両親と一緒じゃないのか?」

 愁斗は首を横に振った。

「家出でもして来たのか?」

 そう質問しながらも、ただの家出少年ではないことはわかっていた。

 また首を横に振った愁斗に伸彦は顎をしゃくって見せた。

「うちに来い、とりあえず」

 愁斗が答えを出すまで少し間があった。そして、出された答えは愁斗には珍しい答えだったのだ。

 縦に頷く愁斗を見た伸彦は破顔した。とても豪快な笑みだ。

 潮風のにおいがした。

 海に停泊している小型船が大きく揺れている。遠くの海は荒波を立て、空はどんよりと曇っていた。それでいて、辺りは静けさに満ちている。

 ――嵐の予感。


 愁斗が連れてこられたのは木造モルタル塗りの平屋建てだった。

 海から吹き付ける潮風のせいか老化が早く、とても古い家のように見える。嵐でも来たら屋根が飛ばされてしまいそうだ。

 小さな家の中には子供がひとりいた。

 年のころは愁斗と同じか、それよりも少し上だろう。

 子供は物静かに部屋の隅に座って本を読んでいた。愁斗たちが家に入ってきたときも、視線を少し向けただけですぐに伏せてしまった。

 そこにいる子供と親を見比べた愁斗は静かに呟く。

「似ていないですね」

 疑問を聞き返すような顔をした伸彦はすぐに笑って表情を変えた。

「俺と海男うみおのことか? 見た目も性格も海の男とは思えないがな、目元なんかは俺そっくりだろ?」

 本を読みながら目を伏せている海男。目元が似ているかどうかは、ここからでは判断がつかない。

 伸彦と海男の身体つきを比べる限りでは、似ても似つかない親子に見える。細い海男の二の腕は普段から使われていないらしく、体全体も細身で筋肉質な伸彦とは比べ物にならない。

 海男をひと目見たときから愁斗は伸彦との親子関係を疑っていた。血が繋がっているか、それだけの問題ではない。特殊な気配を愁斗は感じていたのだ。

 家が大きく揺れた。

 外を吹く風は強さを増し、嵐がすぐそこまで迫っていることを感じさせた。

 木造の窓から外の景色を眺めていた伸彦は窓をぴしゃりと閉めた。

「嵐が来たら外に出れないな。嵐が過ぎるまでゆっくりしてくれよ。なにもない家だけどよ、雨風くらいは凌げる」

 掘っ立て小屋のようなこの家が嵐に耐えられるのか。伸彦の言葉には嘘偽りはなかった。

 雨風が次第に強さを増し、荒々しく家の外壁を叩くと、家は物音を立てながら揺れる。それでも家は倒れることなく立ち続けている。

 家の中では特に目立った会話はなかった。物静かに本を読み続ける海男と積極的にしゃべろうとはしない愁斗。たまに伸彦が話をするが先が続かない。

「おめえと海男だったら似たもの同士だから、少しは気が合うかと思ってけど駄目だな」

 伸彦の眼には二人の少年が映っていた。どちらも背格好の割に大人びた雰囲気がある。この大人びた雰囲気がどこから来ているのか。それを考えると伸彦は恐ろしい気がするのだった。

 今までずっと本を読んでいた海男が突然に立ち上がった。

 そして、愁斗が静かに呟いた。

「唄が聴こえる」

 その言葉に伸彦はゾッとした。

「唄なんて聴こえるもんか、外は嵐だぞ」

 吹き付ける風と雨の音。

 海男はふらふらと夢遊病のように玄関へ歩いていた。

 血相を変えた伸彦が海男の腕を掴んだ。そのとき、信じられないことが起こったのだ。

 細い身体の海男が大柄な伸彦を殴り飛ばしたのだ。そんな力が海男のどこに秘められていたのか、驚かずにいられない。

 轟々と強烈な雨風が家の中に吹き込んできた。

 玄関から伸彦が素足のまま出て行ってしまった。

 慌てて伸彦も素足のまま玄関を飛び出し、辺りを見回すが海男の姿はすでにない。

 伸彦のすぐ横を愁斗がすり抜けようとしていた。

「探してきます」

 そう言って愁斗は駆け出していった。

「おい待て!」

 伸彦の声は愁斗の背中に向けたものだった。声は雨風に掻き消され届かない。

「ちくしょ」

 小さく吐き捨てた伸彦は玄関まで引き返し、急いで履物を履いて海男と愁斗を探しに出た。

 雨が顔を激しく打ちつけ視界を遮る。

 二人はどこにと辺りを見回すが人影すらない。海の恐ろしさを知る者が嵐の日に外に出ているはずがない。海岸沿いに近づけば高波に呑まれ、一瞬のうちに命の灯火を掻き消されてしまう。

 唄が聴こえた。

 嵐の中だというのに、澄んだ女性の歌声がどこからか聴こえてくる。

 伸彦は首を激しく横に振って唄を掻き消そうとした。

 唄は耳を塞いでも脳に直接届いてしまう。

 この辺りの船乗りならば、この唄の正体を誰も知っている。しかし、誰もそのことを口に出すものはいない。人間が決して踏み入れてはいない領域なのだ。

 気がつくと、伸彦は浅瀬近くに来ていた。普段は岩肌が見え、沢蟹や小魚が泳ぐこの場所だが、今は水量が増して高波が目の前まで迫ってくる。

 唄はさきほどより大きくなっていた。

 近くにいる。

 海男と愁斗と、もうひとつ違う存在が――。

 眼を凝らす伸彦の目に少年の影が見えた。

「ここは危険だ、早くこっちに来い!」

 伸彦の怒鳴り声に反応して振り向いたのは愁斗だった。

 愁斗はちらりと伸彦の顔を見ただけで、すぐに岩陰に消えてしまった。

「クソッ」

 吐き捨てながら伸彦は愁斗の影を追う。

 愁斗の消えた岩陰が曲がると、そこには海水の通る洞穴があり、その洞穴を避けるようになぜか周辺だけ波が穏やかだ。

 地元の者は決して足を踏み入れない洞穴。足を踏み入れれば必ず祟りが起こるとまで言われている。――唄はこの奥から聴こえた。

 伸彦は意を決して洞穴の中に足を踏み入れた。

 洞穴の中は膝まで水かさがあり、横幅は5メートル以上、高さも3メートル以上はあると思われる。外の荒波が流れ込んできても不思議ではないが、やはりここには不思議な力が働いているように思える。

 普段は中まで光の差し込む洞穴だが、曇天が陽を遮ってしまい、中は不気味に暗く口を開けている。しかし、伸彦は懐中電灯を持っていた。最初からここに来なくてはいけないことを知っていたのだ。

 奥に進むライトが人影を捕らえた。

 一人目は愁斗。その奥にいるのは海男だ。

「早くこっちに来い!」

 伸彦の叫びに耳を傾けるようすはない。

 ライトを奥に照らしながら伸彦が駆け寄ろうとすると、愁斗が大声で叫んだ。

「来ないで!」

 細い輝線が手から放たれた。

 刹那、奇声にも似た女の叫び声が洞穴に木霊し、伸彦は慌てて大きく跳ね上がった水しぶきにライトを当てた。

 なにかにライトが反射し、七色の光が伸彦の目を眩ませた。

 そこになにかがいた。

 伸彦は慌てて愁斗たちに駆け寄った。

 意識を失っている海男を抱き支えている愁斗の顔には苦痛の色が浮かんでいる。よく見ると、愁斗の腕に深く抉ったような傷があり、まるでそれはヤスリで削ったような荒い傷だった。

「大丈夫か?」

 伸彦が聞くと、愁斗は軽く頷いた。

「大丈夫です。それよりも彼のことをお願いします」

 愁斗は海男を伸彦に預け、洞穴の行き止まりを眺めて聞いた。

「そこに潜ると海に繋がっていますか?」

「そういう噂もあるが、本当かどうかはわかんねえ。まさか潜る気かっ!?」

「残念ながら、僕は泳ぐことができません」

 泳げるのならなにかの跡を追う気だったのだろうか。

「まだまだ僕のレベルじゃ追えない……」

 悔しそうに呟く愁斗の横顔がそこにはあった。それを見た伸彦の心中に不安が過ぎる。海男と似た雰囲気を持つ少年。やはり二人は同じ存在なのだと伸彦は確信してしまったのだ。

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