CASE 04‐怨霊呪弾‐(上)
怨霊呪弾。
幼女が泣き叫び、男が吼え、老婆が嗤う。
怨霊たちが蠢き、闇を形成する。
蒼白い仮面の奥で紫苑はなにを思うのか?
リボルバーから発射された怨霊呪弾を紫苑が迎え撃つ。
人の怨念を孕んだ呪弾は、発射された直後から紫苑へ向かう途中、辺りの怨念を吸収してさらに力を増していた。
暗い路地のこの場所は、別名〈切り裂き街道〉と呼ばれる通り魔の多発地帯だった。
紫苑の目の前で〈闇〉が産声をあげた。それは呪弾の産声か――否。魔導師であり傀儡師である紫苑が呼び出した〈闇〉。
「喰らえ、叫べ、恐怖しろ!」
仮面の奥から響く声と共に〈闇〉が咆哮をあげた。
迫り来る怨霊呪弾を〈闇〉が大きな口を開けて迎え撃つ。
ヘドロが泡立つ音がした。
〈闇〉が、〈闇〉が怨霊を喰らう。より強い怨念が、弱いモノを喰らったのだ。
「あんた、なかなかやるじゃないか!」
薄暗い路地に、西部劇から飛び出してきたみたいな、テンガロンハットの女ガンマンの声が響いた。その怨霊を扱うとは思えない容貌と活発な声。
紫苑は相手に言葉を返さずに、〈闇〉を還すと女ガンマンに背を向けた。
再び紫苑に向けられる銃口。
「逃げる気?」
「私は君に心の弱さを見た。哀れで殺す気も起きない」
「なんですって!?」
「強がるのは疲れるだろうに。疲れたときは、その銃を捨てればいい」
「バカいうんじゃないよ!」
上ずり声をあげ、逆上した女ガンマンはリボルバーの引き金を引いた。
路地に一筋の煌きが放たれた。
紫苑の放った妖糸は実体のない怨念を容赦なく切り刻んだ。
耳を塞ぎたくなる絶叫が木霊する。
「〈操りの糸〉で葬られたモノは、成仏できずに縛られ苦しみ囚われる。それらの存在は私を呪い、私の力の糧となる。君は派手な装いと、気丈な態度で怨念に憑かれないようにと必死なのがわかる。君は自分の扱っている力に恐怖している。それではいつか怨念に呑まれるぞ」
紫苑はそういい残し、夜闇の中に消えていった。
残された女ガンマンは、紫苑が語る最中も、背を向けて立ち去る最中も、再び銃を構えることができなかった。
圧倒的な力の差。いや、それだけが理由ではない。再び怨霊呪弾を使ったとき、果たして今の気持ちで怨念に飲み込まれずに済むか。紫苑の言葉により、女ガンマンの心には確実に恐怖が広がっていたのだ。
グラスにビールを注ぎながら亜季菜はソファーにどっしりと腰を掛けていた。
「その女ガンマンが出てきて標的に逃げられたの?」
「そうです」
愁斗は短く答えた。その口調は機械的で、感情がまったく感じられない。
鼻でため息をついて亜季菜はグラスの中身を一気に飲み干した。口の周りの泡を手の甲で拭うと、ついで亜季菜は唇を艶かしく舌で舐め取った。
「今日のビールは苦いわね」
「皮肉ですか?」
「そうよ」
再び瓶からグラスにビールを注ごうとするが、グラスの中には滴が落ちるのみで、亜季菜はビール瓶を持ちながらキッチンを指差した。
「ビール取ってきて」
「それが最後です」
「うっそ〜ん」
床には空瓶が一本、二本……六本もある。飲みすぎだ。それでも酒豪の亜季菜はまったく酔った様子もない。
「ビール切れたなら、こっち来て肩揉みして頂戴」
酔ってなくても絡むのは普段からだった。
愁斗は嫌な顔をしながらも亜季菜の肩を揉み始める。昔は嫌な顔すらしなかった。
嫌な顔をするのは、感情を表に出すようになって来た証拠だと亜季菜は思っている。ただ、仕事のことになると、機械的で感情が乏しくなる。仕事の内容を考えれば感情を消したほうがいい。けれど、亜季菜は愁斗にただの人形になって欲しくないと思っていた。
「肩はもういいから、次は脚」
そう言って亜季菜はソファーの上でうつ伏せになる。肘置きに両腕をクロスさせながら置き、頭と足がソファーから少しはみ出る。
ミニスカートから伸びた脚はスラリと長く、引き締まってはいるが女性特有の柔らかさも備えていた。食べてしまいたいとはよく言ったものだが、亜季菜の脚はまさにそれと言えよう。
ふくらはぎを揉まれる亜季菜の表情は至福の笑みを浮かべている。
「あぁん、やっぱり愁斗のマッサージが一番効くわ。そのまま腰も揉んで頂戴」
「わかりました」
「昨日ホテルで呼んだマッサージが下手で下手で、すぐに帰ってもらっちゃったわよ」
マッサージをする愁斗の手つきは成れたものだ。妖糸を扱う傀儡師ということもあってか、指先の動きは卓越しており、並みのマッサージ師よりよっぽど上手い。
腰に手を掛けたところで愁斗の指に力だ入った。
「ところで亜季菜さん」
「なにかしら?」
「女ガンマンについてなにか心当たりは?」
「まだ仕事の話する気?」
「はい」
「嫌よ」
「困ります」
「明日」
「わかりました」
愁斗は粘ることはなかった。気分屋の亜季菜にごり押しをしても駄目なときは駄目だ。明日というなら明日まで待つしかない。だが、必ずしも明日まで待つ必要はない。
「マッサージ終わったら伊瀬クンに調べさせるわ」
「今日も伊瀬さんは外で待機ですか?」
「そうよ」
「たまには部屋に呼んだらどうですか?」
「愁斗ってば、いつからそんな気遣いできるようになったの?」
問いに対して愁斗は無言で答えた。それっきり愁斗は口を開くことなく淡々とマッサージを続けた。
亜季菜はため息をつく。沈黙を好まない彼女はめんどくさいそうにテーブルの上からケータイを取った。掛ける相手は今出たばかりの名前だ。
「もしもし伊瀬クン部屋に来て頂戴」
《緊急事態でしょうか?》
「違うわよ。たまには部屋で一杯やりましょうよ」
《勤務中なので丁重にお断りします》
すかさず愁斗からもツッコミが入る。
「お酒はもうありませんよ」
「わかってるわよ」
《わかっているなら、誘わないでいただきたい》
「そうじゃなくて!」
怒ったように亜季菜は声を張り上げた。
「そうじゃなくて、今のは伊瀬クンじゃなくて愁斗に言ったのよ」
《そうですか》
二人そろってこの口調だ。どちらも機械的で、性質の違う亜季菜を疲れさせる。友達ならばとっくに疎遠になっているタイプだ。それでも亜季菜が二人と付き合うのは、彼女にとって『メリット』があるからだ。
「とにかく、部屋に至急来て頂戴。愁斗も会いたがってるわよ」
伊瀬の返事を待つ前に亜季菜はケータイを切った。
「僕は別に会いたいだなんて言ってませんけど」
「気にしない気にしない」
マンションのインターフォンはすぐに鳴った。
もちろん亜季菜に否応なしに呼ばれてしまった伊瀬だ。
「愁斗君こんばんは」
「こんばんは」
玄関からすぐに愁斗によって伊瀬はリビングに通された。
リビングでは亜季菜がタバコを吹かせている。
「さっそくだけど伊瀬クン仕事よ」
「仕事なら『一杯』などと言わずに、最初からそう言ってくださればよかったのに」
視線を落としながら伊瀬はソファーに腰掛けて眼鏡を掛けなおした。これが彼の準備万端の合図だ。
亜季菜は愁斗に促し、女ガンマンについての情報を語らせた。
背格好やおよその年齢、愁斗が女ガンマンの特徴を語るのを伊瀬は静かに目を閉じて耳を傾けていた。もちろんただ聴いているだけではない。このとき伊瀬の脳内では、常人では考えられないほどの情報量が瞬時に処理されていた。
俗に記憶屋と呼ばれる者たち。その者たちの仕事は物事を記憶すること。使う道具は己の脳のみ。脳をまるでハードディスクのように、瞬時に記憶し、検索し、必要な情報を取り出す。それが記憶屋だ。
記憶屋の中には亜種もおり、サイボーグ手術によって記憶媒体を身体に――主に脳に埋め込むタイプもいるが、脳に及ぼす影響や、環境の変化に弱い。そのため、人数も少ないことも相まって、ナチュラルタイプは重宝される。
今ここにいる伊瀬は両親共にナチュラルのサラブレッドだった。しかし、両親共にナチュラルタイプであっても、子供がその能力を必ず受け継ぐわけではない。あくまで確立が高くなるだけだ。
記憶を伝達するシノプシスに電気が走る。
「該当件数は1ですね。第一予備候補と第二予備候補を加えると数に変動がありますが、特徴的な人物ですから一桁以内には該当者がいると思います」
「その第1候補の名前は?」
愁斗が尋ねた。
「ヴァージニア――若手のヒットマンですが、ここ最近の間にランクを上げているようです。その名前が裏の世界に現れたのは3年ほど前、それ以前のデータんいついては私も記憶していません」
ランクとは殺し屋などの総合ランキングのことである。もちろんランキングが高いということは報酬も高くなり、ランキングを上げるということは殺し屋たちステータスになるのだ。
しかし、ランキングに名前を乗らない、トップレベルの殺し屋もいることを忘れてはならない。
愁斗――裏の世界での名は紫苑。その紫苑が狙った今回のターゲットは、姫野亜季菜が別の人物の名義で興した会社の技術者であった。その技術者が開発した新兵器と一緒に逃げ、別の会社にその新兵器を売ろうとしているというのだ。
幸運なことにまだ取引は行われていないらしく、紫苑に設計図などのデータと逃げた技術者の取り押さえが命じられたのだ。しかし、技術者を目の前にして女ガンマン――ヴァージニアが現れたのだ。
ヴァージニアの狙いは技術者だった。なぜ技術者を狙うのかわからないが、同じく技術者を狙う紫苑と鉢合わせし、紫苑を妨害したのだ。つまり、技術者を誰が殺しても構わないというわけでないらしい。それは紫苑とて同じだった、技術者から設計図などのデータも取り返さなければならないため、葬るのそのあとだ。
ということは、ヴァージニアもまた設計図を狙う別の企業に雇われたのだろうか?
それはおそらく違うだろう。ヴァージニアは純粋なヒットマンであり、ターゲットを殺すことだけが仕事だ。それ以外の仕事はしないのだ。ではなぜ?
仕事を終えた伊瀬が立ち上がった。
「ヴァージニアについて詳しく調べてみます。では、私は外での待機に戻ります」
部屋を出て行こうとする伊瀬を亜季菜が止めた。
「ちょっと待ってよ伊瀬クン、たまにはウチでのんびりして行きなさいよ」
「私の仕事は24時間、のんびりなどしていられません」
「あっそ」
亜季菜が突き放したように言うと、伊瀬は雇い主に背を向けて部屋を出て行ってしまった。