8
僕には一定期間の記憶がない。
親には思い出したくないから忘れているだけと言われる。
ならば無理に思い出すこともないと。
だが思い出そうとしても、脳の根幹にまるで線を引いたように、当時のことが浮かばなくなる。
「いたた……」
胸の傷がまた疼きだす。
ヒザを抱え、静かに胸のあたりを指先でなぞる。
上部に胸内側から脇まで一直線に走る酷い手術後。
触った感じも、ゴムマリの上をすべらせているような感覚しか残らない。
つまり切られたのだ、これは。その時は大量の血しぶきが流れたそうだ。
小さい頃、家族で森に遊びに行った時、不幸なことに水辺で小熊に襲われ、危うく死にかけたらしい。
だが、見知らぬ人の苦労話を聞かされるようで、全くピンとこない。
借り物の文学小説を読んで、これはあなたの話なのよと言われるようなものだ。
僕が覚えているその時の記憶は、病室のベッドの上だった。
大人たちが僕をナイフのような鋭い眼で睨む。
父さんがいた。母さんもいた。そして――
その中に、涙を流す佐奈がいた。
瞳に涙を浮かべて、虚ろに僕を見つめている。
僕と目が合うと、うっすらと笑った……ように見えた。
幼いながらも、潤んだ瞳はまさに妖艶だった。
その魔眼に見つめられ、僕はぞくりとする。
傷の痛みなんて、とっくに忘れてしまっていた。
その時の記憶を遡ってみてもこんなものだ。
暗い海に沈んだ石を探すように、傷を負った時のことがどうしても思い出せない。
「いけない、早く降りないと佐奈にまた怒られちゃう」
急いでパジャマを脱ぎ、シャツに腕を通し、早々と制服に着替える。
――古びた過去より、今は大事な家族だ。
佐奈は先ほどからキッチンで朝食を作っている。上機嫌なのか、鼻歌まで聞こえてくる。
……ハリキリすぎて、また大量に作ってなきゃいいけど。
ドアの向こうで、僕のために腕を振るっている佐奈を想像し、汗をかきながら一階へと降りていった。