7
『おにいさま! あいしてますわ!』
あの日見た幼い記憶。いつものように佐奈が抱きつく。
僕は小さく吹く微風に乗せ、ふうっとため息をついた。
『さな。ぼくらはね、あいしあっちゃいけないんだよ』
引き離す横顔が寂しそうに滲む。
『いや……ですわ。そんなの、いや!』
僕の胸をポコポコと叩く。
抱きしめてあげたかった。
ひとりぼっちにしないと言ったのは僕だから。
できるなら時を巻き戻したかった。
あの日に――
『あはは。あははは』
ふいに佐奈が笑い出す。
いつもの無邪気な佐奈とは似ても似つかない、歪んだ笑顔だ。
『こ……しますよ……』
消え入りそうな声でつぶやく。
しかし、溢れ出した音の気配に、思い出の周回をかき消されてしまった。
けたたましいベルの音が響き、ふと目が覚める。
まどろんだ視界に、朝日が眩しく差し込む。
「夢か……」
胸の奥がきゅんと切なくなる。心の中にぽっかり穴が空いたような。
こらえきれなくなる反面、不思議と優しい気持ちになる。
「どうしてだろう……こんな気持ちになるなんて」
と、答える相手もいないのに独り言を呟くと、
「お兄様……今朝も素敵なお顔ですわぁ……」
隣から甘えるような声が聞こえてくる。
恐る恐る横を見た。
豊満な上半身を包み込むのは白いYシャツ一枚のみ。
剥き出しになった下半身の先には、艶めかしい美脚を通す繊細な布地が見え隠れしている。絶妙な位置に整えられた大きい瞳は、眠たそうに細められていた。
確認するまでもない。佐奈だ。
「な、な、な、なんで」
「なんで私がここにいるのか……ですか? ふふっドギマギするお兄様もかわいい!」
そう言ってガバッと抱きついてくる。いや、答えになってないから。
振りほどこうとするが、全然動かない。
「いやん、お兄様……朝から、そんな激しい……」
「何言ってるの!?」
熱い眼差しをぶつけてくる佐奈を無理やり引き剥がす。
「あん……お兄様。最後までしてくれてよかったのに……」
「し、しないしない。何にもしないから!」
うっとりと眼を細める佐奈を現実に呼び戻す。
「ふふ、お兄様……ここはもうこんなにカチカチですわよ♪」
僕の下半身を、発情期を迎えた猫のような眼で見つめ佐奈が言う。
はあはあと、息遣いも荒く、明らかに興奮している。
「し、仕方ないだろ! 朝なんだから! とりあえず、着替えるから早く出てって!」
たまらず叫ぶ。窓は開きっぱなしだが、近所迷惑になっていないことを祈ろう。
「それでしたら、私もお手伝いさせていただきますわ!」
瞳を輝かせ、佐奈が僕の服を脱がそうとしてくる。
「いやいや――あ、そうだ。佐奈の作った美味しい朝ごはんが食べたいな、今すぐ」
ピタッ
「私の――ですか?」
伸ばした手を止め、佐奈が聞き返してくる。よかったー、話が逸れて。
「うん、時間も勿体無いし、佐奈の手料理を沢山食べたいなって」
生返事は逆効果なので、調子を合わせる。案の定佐奈には効いたようだ。
「わかりましたわ! それはもう、ほっぺたが落ちるぐらい美味しいお料理を、お兄様の為だけにお作り致しますわ! それでは、しばしお待ちくださいませ!」
そう微笑を投げかけて、佐奈はドアの向こうへ消えていった。
しんと部屋の中が静まりかえる。
窓の外からは朝日が煌き、部屋の隅から隅へと陽が差し込む。
何度見ても、誰が見ても、ただの僕の部屋だ。
「僕のためなら……か」
さっき見た夢の景色を思い出し、急に胸がざわつく。
「あれは……夢だよな」
そうだ、夢に決まっている。
だけど、なぜか懐かしい気がする。
前にも見たことがあるせいか。
だが、その状況が思い出せない。
脳の一部が欠けたような、不快な感覚。
ま、忘れてる時点で大したことはないか。止めよう。こんなこと考えるのは。
とひとりごちながら、自らの下半身を見る。
相も変わらず天に向かっていきり立っていた。
佐奈の大きな胸の谷間に、男の本能が開放しかけていたのだ。
はあ……こんな姿、真にだけは見せられないな。
素直と言えば聞こえはいいが、頭が空っぽと言った方が的確なのかもしれない。
見た感じはただのチンピラだが、あれはあれで繊細な奴である。
あいつがこのことを知ったら、泣きながら海まで行き、波打ち際で水平線の彼方までこう叫ぶだろう。
「青春のばっかやろおおおおおおおおおお!!!」と。
おおげさな溜め息を漏らし、僕はパジャマのボタンを外した。
いわゆる感想というものを欲しています。どのようなものでも歓迎いたしますので。