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怒り心頭の妹と一緒に帰るのはできれば遠慮したい気持ちだったが、それを言うともっとややこしいことになる。
「お兄様は私だけのものです。誰も見てはいけませんし、誰とも話をしてはいけません。次勝手に話をしたらどうなるか……分かりますわね?」
中学から家に向かって帰る途中。佐奈は隣を歩きながら言った。
鋭い眼つきが、心の内を見抜くように僕を射抜く。
「お兄様……? 聞いてらっしゃいますか? お兄様がそんなことだから、あのような者にたらしこまれてしまうのですわ」
「ごめん」
「お兄様……もう少し、真面目に仰ってください」
「はい、ごめんなさい!」
一つ年下の妹だというのに、たまに感じるこの威圧感はなんだろう。見栄えのいい抜群のプロポーションに、どこか覚めた視線は神秘的な雰囲気すら漂っていて、初対面なら十歳年上と言われても気づかないほどだ。
僕らは桜の花びら舞う町並みをこつこつ歩いていた。
爽やかな桜花はピンクの影を残し、街頭を泳ぎまわっている。
木々から木々へと花びらが流れ、それを合図に飛び立つ小鳥達の羽音は、僕らの胸に波紋のように広がっていく。
中学三年生の僕の春は少し憂鬱な気分だった。その原因は言わずと知れた佐奈だ。常に僕のそばにいて当然だというその態度。
休み時間には顔見せにきて、昼は大きな弁当を持ってやってくる。
みんなが帰り支度を始める中、僕だけ佐奈のクラスが終わるまで残っている。休みになるとデートに誘ってくる。
うん。これだけでも十分重いね。
知らない人から見たらなんて羨ましい生活だと思うかもしれないが、わざわざ自分から拘束されたがる人の方が変わっていると思う。
風に舞う桜の花が、スローのように揺れて影を作る。
そのかぐわしい若葉の匂いがどこか新鮮だった。
「ところであの方、白川祀さんとは一体どのようなご関係ですか?」
佐奈がキッと睨みつけて聞いてくる。学園にいる間は基本的に清楚な美少女で通っているが、僕が少しでも女子と話そうものなら、こうやって執拗に問い詰めてくる。
危ない。僕は本能的に感じて言った。
「あ、ああ。ただのクラスメートだよ」
「それだけのようには見えませんでしたけどね」
キッパリと僕の言葉を否定され、慌てて、
「本当だって。大体相手は学園のアイドルだよ?」
「だから問題なのです。お兄様に言い寄る女は全員敵ですが、あの女は特に危険です。どちらにせよ、用心しすぎるに越したことはありません」
「はあ……」
いつもながら突飛なことを言い出す佐奈に、僕はある種哀れみの眼を向けた。
そして、
「学校でそういうのはやめてくれよ。家でもだけど」
「いくらお兄様でも承服致しかねます」
僕の提案はあっさり切り捨てられてしまった。
僕と祀は一年生の時から同じクラス、真と共に仲のいい友人だ、それと話をするなと言われても困ってしまう。
まあ、そう言って通じる聞き分けの良い子なら、元々苦労はないけど。
「僕ももう中三なんだし、佐奈も節度のある態度を心がけてくれないと困るよ。お互いもう恋人ぐらい出来てもいい年なんだし」
そう言うと佐奈の顔から表情がフッと消えた。
「……お兄様、今なんておっしゃいましたか?」
「え?」
「どうしてですか! どうして私ではなくあんな女と仲良く話をしてたのですか! 私では駄目なのですか? 私ではお兄様を満足させられないのですか! そうなのですか!?」
「おい落ち着けよ佐奈。そんなこと言ってないじゃないか」
道端を歩く通行人が何事かとと僕たちを見る。
見てはいけないものを見る目だ。
「お兄様が、私の気持ちに、気づいてくれないから……」
「気づいてるさ。場所を考えて欲しいだけ」
このモードになった佐奈に対して、常識は意味をなさない。今手元に凶器があれば刺されていてもおかしくないほどだ。本気で怒ったら親でも止められず、唯一止められるのは僕だけだった。
「佐奈、落ち着いて。僕は佐奈のこと大切に思ってるよ」
幼子をあやすように、佐奈の頭に手を置いて言う。
いつもならこれで収まるのだが、
「……それは妹としてですか? それとも異性として?」
「無茶なことを言わないで。こんなところで答えられるわけないだろう」
「……」
僕の言葉に、佐奈は批難するように無言を向けてきた。
「僕、佐奈のこと好きだよ。でもそういう問題じゃないよね?」
「……いいじゃないですか。好きなら愛してくだされば」
「兄妹なのが問題なんだよ。父さん達にバレたらどうするんだ?
その途端、すっと佐奈は僕の前に歩み寄り、端正な顔を近づけてきた。
吐息が伝わりそうな距離まで近づき、唇を押し付ける。
「――むぐ!?」
頭を手で抑えられ、身動きが取れない僕の口内に、上唇と下唇の境から唾液が波のようにこぼれる。なおも執拗に這い続ける舌からピチャピチャと淫らな音が聞こえた。
「おい、あれキスしてない?」
「ああ、あいつら確か兄妹だよな? 写メ写メ」
人だかりのウチの一人が、携帯のカメラで僕らがキスしている写真を撮った。流石にまずいと思ったが、佐奈は唇を離してくれない。
「ぶはあっっっ……」
唇を離した時には、まるで溶鉱炉に放り込まれたように真っ赤に顔が熱くなっていた。ふと佐奈のほうを見ると、
「ごめんなさい……お兄様、ごめんなさい……」
辺り一面人がいるにも関わらず、佐奈は涙を流していた。
僕はできるだけ優しく、包むように佐奈を抱きしめた。佐奈は一瞬脅えたように身を震わせたが、逃げる素振りは見せなかった。
「佐奈のこと……本当に誰よりも大切に思ってるよ。だから今回だけは見逃してくれないかな」
僕の腕に抱き抱えられたまま、佐奈は軽く息をついた。
「し、しょうがないですわね。その代わりもう少しだけ――」
「うん?」
「……もう少しだけ、このままでいさせてください」
返事をするまでもなく、がっちりと佐奈は僕に抱きついている。
「うん、いいよ」
僕は佐奈の柔らかな髪を撫でてあげた。
艶かしい黒髪は抵抗なく僕の指をすり抜ける。
「えへへ……お兄様に撫でてもらってる♪」
さっきまでの癇癪はどうしたんだ、と言いたくなるくらいに佐奈は上機嫌になっていた。
――その時、周囲の中に嫌な視線を感じて辺りを見回した。
悪意……羨望……嫉妬……いや、殺意?
街中の狭い小路には僕たちを除き、数人の人だかりがいるくらいだ。
(気のせいなのか……?)
そう思っていくら見渡してみても、視線の主は見つけられなかった。
(いないか……でも、まずいことになったな……)
心の中で呟いて、僕はぼりぼりと頭を掻いた。