32
その日の午後、僕は列車に乗って目的地の別荘へと向かった。こんな時間だ、車内にほとんど人は乗っていなかった。
僕は窓から広がる田舎町の風景を横目に眺めていた。
やっと……やっと佐奈に会える。
父さんと母さんが僕らの関係を認めてくれたのは意外だったが、今は自分に出来ることをしようと決意したのだ。そして……今度こそ佐奈に言えなかった本当の気持ちを伝えるんだ。
その時、後ろから僕を見つめる視線のようなものを感じた。後ろの座席を振り返ってみるが、誰も僕のことなど見ていなかった。
少し神経質になっているのか……。
僕は前を向いて椅子に深く座り直した。
それから更に一時間列車に揺られて、目的の駅へと着いた。もう陽はかなり暮れかけていた。急がなければ。
雑木林をひたすらに歩くが、森の中はうっそうと生い茂っており、僕は寒さに身を震わせた。
せめて防寒具かあたたかい飲み物でも用意しておけばよかった。
今更気づいても仕方がないが。
「ここにいるのか……佐奈が」
口に出して言ってみる。その瞬間草を踏む音が聞こえ、ハッとして後ろを見た。
誰もいない。
「気のせいか……」
自分を安心させるようにつぶやき、僕は何とか別荘へと到着した。
ドアを開け、中に入る――向かうは子供部屋だ。
僕たちが昔使っていた部屋。
そこは簡易ベッドやテーブル、子供用の遊具などが置かれてるぐらいの小さな部屋だった。カビくさい匂いがつんと鼻をつくが、贅沢は言ってられない。もう電気は通っていないので、窓から差し込むうっすらとした明かりだけが頼りだ。僕はふうっと息をつきベッドに腰をおろした。どっと疲れが沸いてくる。
僕はテーブルの上に置かれた写真を見た。そこには僕に寄り添うように腕を絡めている佐奈が映っていた。僕が五歳ぐらいの時だ。佐奈は本当に無邪気な顔で、僕の横で笑っている。
この子に僕は刺されたんだな――
僕はベッドに横たわり、そっと眼を閉じた。
やがて意識は薄れ、ゆっくりと遮断されていく。
一瞬、冷えた頬にあたたかな指先が触れたような気がした。
懐かしい安らぎを感じながら、僕は眠りへと落ちた。
――おにいさま、あいしていますわ。
彼女は勢いよく抱きつき、そして言った。
小さい頃の佐奈が笑っている。あの写真で見た通りの笑みだ。そして目の前には僕がいる。幼い頃の僕。これは、あの時のことか? 僕は声を上げようとしたが出来なかった。映画のムービーを見ている観客のように、ただ黙って見ていることしか。
――さな。ぼくらはね。あいしあっちゃいけないんだよ。
少年がその言葉を発した途端、少女の顔がゆがんだ。
目の前にいる少年を、潤んだ瞳でじっと見つめている。
――いや……ですわ。そんなのいや!
男の子はびっくりした様子で少女の肩に触れようとするが、少女はその手を振り払い、奥の部屋へと向かっていった。そして戻ってきた時に持っていたのは――包丁?
駄目だ! いけない! やめるんだ!!!
喉の奥から搾り出すように声を上げても、言葉にならなかった。
大きな音が聞こえた。見ると少女が男の子の胸に向かって深々と包丁を突き立てていた。赤い血の痕が滝のように流れ出る。
男の子は床に崩れ落ちた。
そして、その少年をいとおしげに見つめる少女が高笑いをあげる。
少年はピクピクと蠢きながら、何かを言おうとしている。少女は血にまみれたその小さな体を抱き、静かに言った。
――ずっと……いっしょですわよ。おにいさま……。
そこで意識は覚醒した。眼を開けると、すっかり陽が傾いてしまったようで、窓から差し込む月明かりが眼に入った。頭のあたりに暖かい感触を感じ、ふと見上げると、誰かの膝の上で眠っていたようだ。いつの間にか毛布もかけられてある。これがなければ風邪を引いていたかもしれない。
僕はその子へ向かって言った。
「おはよう、佐奈……」
「ふふ、あいかわらずお寝坊さんですわね、お兄様」
佐奈はゆっくりと僕の頬を撫でながら、優しく囁くように言った。