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 「父さん……」

 耳を疑った。

 父の声は寂しそうで、いつもの威厳はどこにもなかったからだ。

 「どうした? そんな顔して」

 僕はハッとして尋ねた。

 「いや……なんでもない。それより、空港で佐奈と何があったの?」

 「お前たちの仲を引き裂こうとした。だから罰が当たったのさ」

 ベッドに横たわりながら、微かに父は笑った。


 「こうなることは十年も前にわかっていた。佐奈がお前を刺したあの時からな」

 「……」

 途切れ途切れになりながら、父は辛そうに話していた。

 こんなに弱っている父は、初めて見る。


 「僕と佐奈の関係、もう気づいてたんだ。そうだよね?」

 「ああ、なんとか佐奈だけでも説得しようとしたら、この様さ。でもな」

 そこで父は眼を閉じた。

 そのまま目覚めないんじゃないかと思い、僕は声をかけた。

 「大丈夫? あまり無理しない方が――」


 「お前は俺の実の子じゃない」

 父は眼を開け、僕を見ながら言った。

 全神経が止まってしまったかのように動けなくなる。

 「……え?」

 「本当の子供じゃないんだよ、お前は」

 

 確認するように父が繰り返した。


 「俺はいずれ手にするだろうグループの後継者として、経営を引き継ぐ子供が必要だったんだ。親父は当時から社長からかなりの信頼を得ていたからな。いや、実質俺と親父がグループを大きくしたと言ってもいい。後は年老いた社長が亡くなれば、会社は俺のものになる。ある時親父からの命令で、子を産ませるように言われた。そして亜希子と結婚し、いずれ手にするだろう事業を磐石にしようとしていた。しかし俺は子供が出来ない体質だった。その時俺はどう思ったと思う? はは。愕然としたよ。そんな時、彼女が学生時代に付き合っていた男。当時の亜希子にはそんな男が何人もいた。そのうちの一人に亜希子と会わせた。そして亜希子がお前を身ごもった所で、もう会わせない様にしたんだ」


 そこまで言って、父は咳き込んだ。

 僕は聞いた。聞かずにはいられなかった。


 「僕は、父さんにとってなんだったの?」


 父はしゃべらなかった。


 「僕は、会社を大きくする道具だったの?」

 

 そして父は……首を縦に振った。


 「お前は、俺の子ではなかった。それでも俺の子なんだと自分に言い聞かせることにしたよ。しかし、二度と子供が生まれないと思われた俺たちに、子供が生まれてしまったんだ。それが佐奈だった」


 父は微かに笑って僕を見た。唇の端から血が垂れている。

 「佐奈が、お前を殺そうとしたのも……」

 ぜいぜい呼吸をしながらも、無理に言葉を紡いでいる。

 「わかっていた。むしろ知りながら、それを後押しした。お前が邪魔になったんだ。それで単なる事故として、片付けようと」


 父さんの眼は、もう僕を見据えているのかも分からなかった。


 「じゃあなぜ、僕は今生きているの?」

 「さてな。仕事の為に生きてきたつもりだったが、人として。いや親として、出来ない境界線があった。こんなクズみたいな親にでもな」


 「僕は…………」

 気づかぬうちに。


 自分でも気づかないうちに。僕の眼から涙が溢れていた。

 「僕は、何の為に生まれてきたんだ」

 「会社を繁栄させるためさ。少なくとも俺にとってはな。だが佐奈は本気でお前を愛した。出世の道を歩む者にとって、スキャンダルは何より恐れなくてはならない。佐奈はあくまでも俺に食い下がった。だから言ったのさ。冬弥はお前とは腹違いの子供だと。血なんて繋がっていないんだとな」

 

 滲んでいるが、父の肩が震えているのが分かった。

 「実を言うと、お前もアメリカに連れていくつもりだったんだ。その方が佐奈ともども管理しやすいからな。しかし、お前だけは自由にさせてやりたかった」


 ひゅうひゅうと、父は呼吸を繰り返した。

 「すまなかった」


 父が初めて僕に謝った。

 「報復したければ、好きにすればいい。だが、佐奈のことは」

 「……?」

 「佐奈のことは、君に任せる。もう何も気にすることはない。自分が思うようにしたまえ。それが、俺に出来るせめてもの償いだ」


 僕の眼に映る父の横顔は、とても寂しく、哀れにすら思えた。

 僕は憎んでいるのだろうか。目の前にる男を。それとも――

 

 「もう、いいよ」

 気がつくと、僕はそう言っていた。

 「冬弥……?」

 父は眼を見開いて聞き返した。


 「父さんは父さんの考えに従った。佐奈もだ。ずっと手にできないものを追い続けて、ね。そして僕の人生を滅茶苦茶にしたとか、今まで騙してきたとか、そんなことを言うのは簡単さ。でも」

 父は僕の言葉を何もいわずに待っていた。


 「でも、そんなこと言ったって何も変わらない。本当の父さんじゃなくても、佐奈と血がつながってなくても、僕は僕でいたい。鈍感で意固地でどうしようもないお人よしで。でもそれが僕だから。父さんは十分苦しんだ。だから、もういいんだ」


 父は黙って僕の言葉を聴いていた。そして、

 「すまなかった……」

 一粒の涙を流した。


 「謝らなくたっていいよ。その代わり教えて。佐奈は今どこにいるの?」

 僕は内ポケットから佐奈の手紙を取り出した。

 「思い出の場所って何? 多分僕が記憶をなくしてた頃のことだと思うんだけど」


 あれから色々考えたが、僕と佐奈を結ぶ特定の場所に心当たりはなかった。だから、小さい頃一緒に過ごした時期のことだと考えたのだった。


 「おそらく、昔よく行ってた別荘だろう。列車で少し時間はかかるが、佐奈がいるとしたらそこしか考えられない」

 父は荒い息を吐きながら、別荘への大まかな場所を教えてくれた。


 「頼んだぞ。佐奈を見つけたら、もう邪魔はしない。祝福すると伝えてくれ」

 そして見た父さんの顔は、今までにない穏やかなものだった。

 「父さん――」

 「行っておやりなさい。冬弥」

 その時後ろからドアが開けられ、母さんが出てきた。


 「かあ、さん……?」

 母がいつの間にか病室に入ってきていた。


 「父さんが罪を償うというなら、母さんも罪を償うわ。といっても、私にはあなたを見送ることしか出来ない。お父さにんは私がついてるから、早く行きなさない」


 「母さん……!」

 おそらく僕らの話を全て聞いていたのだろう。母の顔は、今までになく穏やかになっていた。

 「佐奈が戻って、父さんの具合もよくなったら、とびきり美味しいお料理でお祝いするから」

 涙で滲む眼を細めて、母は僕を見ながら言った。

 「だから二人とも――無事に帰ってきて」

 僕は頷いて父の方を見た。父は笑っていた。

 「頼んだぞ」


 「ああ、行ってくるよ。父さん、母さん」

 

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