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佐奈が父さんを刺した――。
電車で父が運ばれた病院に向かう中、僕はそのことばかり考えていた。
車内に乗っている人は友達とお喋りをしたり携帯をいじっていたり、目的地までの時間を適当に潰している。出来れば僕もそうしたかったが、今はそれどころではない。
学校は休むことにした。電話口で小波先生が、僕のことを何度も気にかけてくれたのが嬉しかった。
昨日見つけた佐奈の手紙は、ポケットの中に入れてある。何度も繰り返し眺めてみたが、佐奈の行き着く場所は分からなかった。
父の入院した病院は、桜舞う赤い渦の中心に聳え立っていて、僕にはまるで血が噴出しているかのように見えた。
中に入ると、苛々したように歩き回る母を見つけた。
母は僕を見つけると、こちらへ小走りで向かってきた。
「きてくれたのね。あんなことになって――、さあ、行きましょう。お父さんは三階の三一四号室よ」
母は僕の返事を無視して歩き出した。慌てて僕もついていく。
「母さん、父さんの容態は?」
エレベーターの中で母に聞いてみた。
「なんとか一命は取り留めたけど、あまり良い状態とは言えないわね」
母はふうっとため息をついた。未だ若々しい容姿を保っている母だが、僕にはかなり老け込んでいるように見えた。
「ねえ、一体何があったの?」
聞かずにはいられなかった。
母は僕に何も話さないだろうけど、それでも。
「わからないわ。佐奈ちゃんが何であんなことをしたのか」
思ったとおりだった。僕は続けて尋ねた。
「母さんはその場にいたんでしょ? 何も感じなかったの?」
母は鬱陶しそうな眼を僕に向けてくる。なぜ、あなたみたいな子供にそんなこと言われなければならないの? とでも思っているのだろう。
だが、それはこっちも同じだった。
なぜ、親のくせに子供の気持ちがわからないの?
エレベーターが開き、僕らは父のいる病室の前まで来た。
きびきびとした足取りで来た医師が、僕に話しかけてくる。
「神来冬弥君、ですかな?」
「は、はい」
その医師は血色のいい顔色と、真っ白な白衣を着た体はふっくらしていて、明らかな名医といった感じの人だった。患者を安心させることを心得ているのか、低くハッキリした口調で、
「手術は無事終わり、信也さんの容態は安定してきています。少し跡は残るかもしれませんが、安心してください」
「そうですか……よかった……」
母は手を口に当て絞り出したかのように言った。
「ええ、後はご本人次第ですが、すぐによくなりますよ」
医師は母にそう言うと、僕の方を向いて、
「冬弥君。父君が君に会いたいそうだ――いいかね?」
「もう話をしていいんですか?」
僕がそう言うと、医師は首を横に振った。
「あまりよくはないが、信也氏がどうしてもと言っているからね。無理はさせられんが、少しならまあ構わんだろう」
父の力は病院にまで手が回っているようだった。ふと見ると、母は少しためらいがちに先生を見ていた。だが、母にとって父の言うことは絶対なのだ。権力はあまり好きではないが、今は逆に感謝し、病室のドアを開けた。
ベッドに横たわっているのは、僕の知っている精力的な父ではなかった。頬はげっそり痩せこけて、生気というものが感じられない。よく分からないが、父はそう長くないのではないか。
そう思ってしまうのは慣れない病室の雰囲気に飲み込まれてしまっているせいなのか、僕には判断できなかった。
そんなことを考えてると、父はゆっくりと首を僕に向けて言った。
「来たか、冬弥くん」