28
それから学校が終わるまで、僕は佐奈のことばかり考えていた。
放課後になって校門を出ようとすると、後ろから大きな声で名前を呼ばれて、振り向くと遠山が息を切らし走ってきていた。
「せんぱ~い。待ってくださいよお~」
汗だくになってるところを見ると、駆けずり回って僕のことを探していたらしい。返事をするとパアッと明るい笑顔が返ってきた。
「お前、部活は?」
「いやあ、そうなんですよね。もうすぐ大会も近いんですけど、先輩の噂聞いたら、いても立ってもいられなくなって」
「噂?」
「あ、ほら。佐奈先輩が留学したって話。もう学校中に広まってますよ」
「そうなのか」
僕は佐奈が祀並みに男子の人気があることを思い出した。
「それで、あたし先輩のこと気になってきました!」
「レギュラーから外されても知らないぞ」
「ちょっと休んだぐらいじゃあたしの地位はびくともしません! もしそうなっても頑張って返り咲きます!!」
「そうなってから頑張っても遅いぜ」
僕は憎まれ口を叩きながらも、気にかけてくれる遠山の気持ちは嬉しかった。
祀といい、こいつといい、僕の周りにはお節介焼きが多い。
「意地悪言わないでくださいよ。それより、行きましょ? 先輩!」
「お、おい。本当にサボる気かよ」
「先輩は細かいこと気にしすぎです! さあさあ行きますよ!」
「何、どこいくの?」
「来ればわかりますよ!」
遠山は僕の話を聞かずに腕をグイグイ引っ張った。
どこに行くのか。その答えはゲーセンだった。遠山は得意そうに僕をゲーム機の前に座らせる。
眩いばかりの光に騒々しい音。ゲームセンターはあまり好きではない。
出来ればすぐに帰りたいところだったが、嬉しそうに顔を弾ませてる遠山を見ると、言い出すことが出来なかった。
「これやりましょう、先輩」
僕の後ろで遠山が言った。
「 Last tactics?」
どことなく嫌な予感を感じながら、僕は首を傾げる。
Last tacticsはアーケードの格闘ゲームとしてはグラフィックやアクションが綺麗で、かなり人気があるらしい。遠山はこれが得意で、対戦形式で何人もの相手を倒したことがある、と自慢話を聞かされたことがある。
遠山は僕とゲーム機を挟んで向かい合う形でイスに腰掛けた。
そしてニッと笑って、
「負けたら、あたしと付き合ってもらいます!」
ビッと指を指し僕に挑戦状を叩き付けた。
「先輩が勝ったら、あたし潔く身を引きます」
「お、おい。それって」
僕は言葉を切った。それって? 僕と付き合ってほしいからそんなことを言うんだろ? 嫌なら受けなければいいだけの話だ。でも、僕は。
「遠山はどうしてそこまで僕のことを思ってくれるんだ? 周りからの人気もすごいし、僕以上の男と付き合おうと思ったら、いくらでもそうできるだろ」
「先輩、本気で言ってるんですか?」
「え、いや」
「……あたしが入学した日のこと、思い出してください」
遠山が何を言おうとしてるのか、僕にはわからなかった。祀の時もそうだったが、僕は人から好意を持たれるようなことは何もしてない。してないはずだ。
「そんな先輩、だから……」
「え?」
小さな声で呟く遠山に、思わず聞き返す。
「遠山……?」
「ぶっぶー。考える時間は終了です。さ、やりますよ」
そういってコインを入れると、派手なアクションで動き回るキャラが出て、タイトル画面へと繋がった。
「先輩このゲームやったことありますよね? あたし最近やってないんで大してハンデはないはずです。でも手を抜いたらすぐK・Oしますからね!」
「お、おう……」
僕はキャラクターを選びながら返事した。遠山のあの真剣な態度。負けたら本当に付き合うことになるだろう。そうしたら、佐奈のことも全て忘れられるかもしれない。
あれ以来、佐奈からの連絡はこない。あの佐奈から電話も手紙もないということは、父さんが全て潰しているということだ。父も母も、意地でも僕らを引き離す気なんだろう。
もしかしたら、もしかしたら佐奈は――
「先輩、始まりますよ」
はっと意識を戻すと、ゲームが始まろうとしていた。
「あ、ああ」
「大丈夫ですか? 佐奈先輩のこと、気にしてるんですね?」
「そんなことないって。佐奈はただの妹だし。いつもうるさくつきまとわれて、むしろ清々してるくらいさ」
喋ってる間にも、キックやパンチの応酬。
「そうですか。じゃあなんでそんなに先輩落ち込んでるんですか? なんでそんなに寂しそうなんですか?」
僕のキャラにパンチが当たり、ダウンする。
「あっ……」
「ほら、動揺した。なら、どうして佐奈先輩を引き止めようとしなかったんですか?」
「僕には、どうすることも……」
そうは言うが、佐奈を突き放し、アメリカに行けと言ったのは僕自身だった。あれから一切そのことを考えようとはしなかったが、でも今は佐奈のことばかり考えてしまっている。
「さあ、決めますよ」
フッと遠山が笑った。見ると僕のキャラクターのHPは見る見る内に減っている。あと一発でも食らえば、僕の負け――
「あーあ。やめやめ」
急に遠山が立ち上がりながら言った。そして僕の方まで来て、顔を近づけた。
「どうして……」
そんな言葉しか出てこなかった。
遠山はいつもみたいに、元気いっぱいに笑って、
「時間切れです。だから、今回のところは諦めますよ」
見ると画面には大きくドローゲームと表示されていた。
「先輩。あたし、小学校まで凄い引っ込み思案だったんです」
遠山が微笑みながら言葉を続けた。
「目立ったことさえしなければ傷つかないんだって、一人で大人しく教室の隅っこで座ってたんです。中学にあがってもそうするつもりでした。でも、先輩が」
僕は唇をかみ締めていた。遠山にそんな過去があったこと、僕のことをそんな風に見てくれてたこと。何もかも気づかなかった僕が、たまらなく愚かに思えた。
「――そんな顔しないで。あたしと初めて会った時、先輩は笑ってましたよ? 道に迷ったあたしに優しくしてくれて。『そんなに緊張しないで。肩の力抜きなよ』って。何でもないような顔で去っていきましたよね」
「でも、そんなことで」
「それだけでいいんです。先輩の存在が、あたしを明るくしてくれたんです」
「僕は、そんな」
「それはただのきっかけですよね。でもそれから先輩のこと目で追うようになって。日に日に先輩の存在が大きくなっていったんです」
風のように無邪気な遠山を見てきた僕には、そんな一面を持っていたなんて想像もつかなかった。
「そうか――ごめん。情けない先輩だったね」
「そんな言葉は先輩から聞きたくなかったです。でも佐奈先輩のことは、今からでも遅くないですよね?」
「佐奈に……、でも僕は、佐奈に酷いことを言ってしまった……」
「人間なんですから、傷つけてしまうこともありますよ。でもその傷を癒すことが出来るのは、言った本人だけですよね」
「……」
「先輩!」
遠山は真っ直ぐに僕を睨んだ。僕は遠山に佐奈のことを何一つ言っていない。だが、僕らの間に何かあったことを、薄々ながら感じていたんだろう。
全く、本当に僕の周りはお人よしばかりだ。
「ああ、わかったよ。遠山」
「――先輩」
「ウジウジして立ち止まってても、仕方ないもんな」
「それでこそ先輩です! さ、早く行ってあげてください。待ってますよ、佐奈先輩!」
「ああ――ありがとうな、遠山!」
「今度、アイスおごってくださいよ~!」
僕は駆け出しながら笑った。こんなことで悩んでたなんて、馬鹿みたいだ。大事なのは、僕自身の気持ちだったんだ。
――佐奈のことが好きだっていう。