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 「どうか、生きて家まで帰れますように」

 まるで死刑囚のような気分でゆっくりとドアを開け部屋の中に入る。

 あれから僕と祀は一人ずつ小波先生に事情を聞かれることになった。

 他の生徒は自習扱いだが、僕らのことを噂して騒ぎになっているに違いない。


 真に後から死ぬほど冷やかされるだろうなと考えると正直うんざりする。

 それぐらい周りから見たら完全なカップル成立と捉えられたらしい。

 そのため、いろいろ痛くもない腹をさぐられることになったのだが……。

 沈んだ気持ちで僕は室内を観測した。

 

 生徒指導と有事の際の会議に使われるその一室は、薄いカーテンを引き中央に厚みのある茶色のテーブルの周りを椅子が順序よく並べられ、何となく会社の会議室を想像させられ、あまりいい印象を受けない。

 生徒から“尋問室”と呼ばれ恐れられ、よくみると壁も天井も傷だらけだった。

 説明するまでもなく、小波先生に逆らった生徒たちを懲らしめたあとだ。


 「ああ~神来君。こっちに来て座って~」

 真ん中にあるテーブルの前にちょこんと座っていた小波先生は、僕の顔を一瞥すると軽く言った。

 いつもと変わらない小波先生だが、今は冗談の言える雰囲気ではない。

 僕は軽く一礼をして目の前の椅子に腰掛けて言った。


 「先生、言っておきますけど……」

 「まあまあ、そんなに焦らないで~」

 小波先生は僕を制し、いつの間にか沸かしていたお茶を急須から湯飲みに移し変えて言った。

 「これ、いいお茶なのよ~。きっと気に入ってくれると思うわ~」

 と、小波先生は湯のみに鼻を近づけ、香りを確かめながら言った。

 「まずは~、落ち着いてから。それから話をしましょ~?」

 「は、はあ……」

 にこやかに言う小波先生を見ながら僕は適当に相槌を打った。

 ていうか、なんでそんなにのんびりしているんだ? 


 「……」

 小波先生の煎れてくれたお茶をゆっくりとすする。

 温和な香りが鼻腔をくすぐり、濃密な渋みが舌の上を柔らかく滑り落ちる。

 いいお茶というだけあって、流石に美味しかった。

 しかし今の状況ではお茶の味を楽しむどころではない。

 沈黙が支配する空間で、僕は生きた心地すらしていなかった。



 対する小波先生は落ち着いて湯飲みを口元へ傾けている。

 「ぷはあ」

 お茶を飲み終えたらしい小波先生が口元に指を触れ言った。

 「それでえ~、なにか言い残すことはあるのお~?」

 「ぶほ!」

 飲んでいたお茶が喉元につかえ噴出してしまった。

 思い切り床に染みがついてしまったが、そんなことはどうでもよかった。

 「せ、先生! いきなり何を言うんですか!」

 「なによ~ほんの冗談じゃない~」

 「冗談に聞こえませんから!」


 おほほ、と笑う小波先生に思い切りむせびながら言う。

 この人、僕をからかうのが好きなだけじゃないのか……? 

 心の中で悪態をつく。


 「じゃ~聞くけど~白川さんとはどういう関係なの~?」

 来た。心なしかいつもは子供みたいな小波先生の顔が大人そのものに見える。

 僕は汚れた口元を服の袖で拭いながら言った。


 「あ、あれはですね。事故というか、その……ほんの冗談ですよ」

 自分でも何を言ってるのか分からなかったが、それ以外言いようがなかった。


 「…………」

 小波先生は僕のことをじっと見つめていたが、おもむろに口を開いた。

 「先生も、後十年若ければなあ~」

 「え……それって、どういう……」

 そもそもあなたっていくつなんですか? という質問をぐっとこらえて聞いた。

 僕が入学するずっと前からいるのは知っていたが、まさか相当年上なのか――


 「神来く~ん。また失礼なこと考えてな~~い~~~?」

 小波先生がぐいっと笑顔で近づいて問いかけてくる。

 「い、いえ! なんにも考えてないです!」

 まだ死にたくないので、そう言うしかなかった。


 「とにかく~あなた達の処分だけど~心配しないで。問題ないようにするから~」

 小波先生は僕の顔をじっと見ながら言った。

 「そうですか……?」

 真剣な小波先生には悪いが、この先生に任せて本当に大丈夫なのだろうか、という考えがどうしてもぬぐえない。


 「まあ~あんまりくよくよしないで。今回の件は私に任せて~」

 「は、はあ……」

 

 あんまり期待できない言い方だが、今の僕には小波先生を信じるしかなかった。

 そんな僕を小波先生は無言で見つめていたが、やがて重々しく口を開いた。


 「私も大学を卒業してすぐ中学の教師になったけど~最初から何もかも上手くいったわけじゃないのよね~。あなた達はまだ多感な年頃だから~。今日笑顔でいると思ったら明日は泣いてたり。授業として勉強は教えられても、人生の師として苦しんでる時にどうしたらいいか教えてあげられなくて」


小波先生はそこで言葉を切った。目を細め昔を思い出しているようだった。



「だから~悩んでることがあったらすぐ言いなさい~。可愛い生徒の相談ならすぐに受けるから~」


 小波先生は脚を組みながら僕の眼をまじまじと見ながら言った。


 「あなた達は若いから~いっぱい苦い恋をして苦しんでもいいと思うわ~。勉強だけの青春時代なんて辛いしね~。でも、少しは将来のことも心配したほうがいいわよ~。大人になってから後悔しても遅いしね~」


 「そう……ですね」

 

 小波先生の言葉が心の中に染みてきた。

 怒られたらどうしよう、なんて考えていたのが馬鹿馬鹿しいほどに。

 なんだよ、全部分かって、僕の気持ちを楽にしようとしてくれてたんじゃないか。僕は自分のうかつさを悔やんだ。


 この人なりの優しさだったんだ。上手な言い回しをするだけじゃなくて、本気で僕たちに心からぶつかる。言葉だけじゃ、伝わらないことが多すぎるから……。


 「判りました。気をつけますね」

 「ええ。もう行っていいわよ~」

 小波先生に謝意を伝えると僕は席を立とうした。


 「泣かせちゃだめよ~」

 すると後ろから小波先生が僕に言葉を投げかけた。


 「ええ」

 そう言って部屋を出たが、僕は漠然と考えていた。

 

 泣かせちゃいけないって、祀のことを言ってるんだろうか。それとも……。

 「まあ、いいか」

 来たときより少しは救われた気持ちで、僕は指導室を後にした。

 

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