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「佐奈。もういいだろ? 遅刻しちゃうよ」
「だめですわ。もう少しだけ、お兄様」
そう言うと佐奈は足を一歩前に出し、僕の唇に唇を重ねてきた。
舌で歯茎を味わうようにに舐めまわし、ぺちゃぺちゃと音を立てる。
――――今朝から何度目のキスだろう? されるがままの状態でふと考える。
たっぷりと僕の口内が唾液で溢れてから、ようやく佐奈を引き剥がした。
「んっ……ぷはあ。はうう……」
唇の端からこぼれる唾液を舐め、上気した顔で佐奈が言う。
「お兄様ぁ……もっとぉ……」
「い、いやいや。流石に時間ないよ」僕が首を横に振ると、
「駄目……ですの?」雨に濡れた子犬のような眼で見つめられた。
「いや、ダメってことはないけど……」
思わず言ってしまった。
「では続きを♪」
佐奈が嬉々として抱きついてくる。
いつもの僕なら振りほどいていただろう。
だけど、今の僕は佐奈の“彼氏”なのだ。
少し照れながらも佐奈の頭を軽く撫でる。
「お兄様~ぁぁん♪ 一生このままでいたいですぅぅ」
僕の胸に顔を擦り付けながら佐奈が言う。
今日はもう諦めた方がいいかな……?
心の中で小さくつぶやいた。
こうしていつもの朝が始まった。
「お兄様! 早く早く! 遅刻してしまいますわ!」
走る足を止め、後ろを振り返りながら佐奈が言った。
「う、うん…………」僕はそう短く答えるのが精一杯だった。
周りの通学路には遅れた生徒たちが何も言わずに走っていた。
生徒会長、在咲さんのおかげでかなり厳しく取締りが行われているのだ。
ましてや僕の担任はあの小さき鬼軍曹なのだ。まだこの年で死にたくはない。
「お兄様! どうしたのです!? 元気がないようですわ!」
「何でも……ないよ……ゼイゼイ」
息を切らしながら答える。逆にどうしてお前は汗一つかいてないんだ。
何しろ門を出てから全力疾走で走り続けているのだ。
本当に同じ人種なのかと、あらぬ空想をしてしまう。
佐奈に自分の気持ちを伝えて以来。
あの日から佐奈との関係は兄妹としてではなく、恋人して一歩進む形となった。
そのおかげでただでさえ重い佐奈の愛が、その時を以って更に激しく僕を求めるようになった。しかし学校にいる間はなるべく離れているように協定(?)は結んだので、クラスメイトに冷やかされることもない。
万一この関係を知られたら身の破滅しかないと、二人で話し合った結果だった。
それには噂を避けること。ただでさえ、僕は在咲さんに狙われているのだから。
その代わりここ最近は朝からずっとキスの嵐をされたり、何度も好きです、愛していますと囁かれたりと、これは普通の恋人なの? と思わないでもない。
佐奈曰く、今までやりたくても出来なかったことを存分にやっていく……と言っていたので、甘えられなかった分甘えていくつもりなのだろう。
『一緒に傷つくよ……』なんて言った手前、しばらくはそうしてみようと思う。
長い鬼ごっこの末、僕は捕まったのだ。なので、決して逃げるつもりはない。
「お兄様! さあ早く早く♪」
軽い足取りで、微笑を浮かべる佐奈が僕にエールを送る。
そうだ、僕はつかまったのだ。完璧なこの子に。
それが結果的にどんなことを引き起こすとしても、もう前に進むしかないのだ。
僕は少しだけ足を速めながら佐奈の後ろをついていった。