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 「――そろそろだな」


 ジェット機は闇夜の暗雲垂れ込める気圧の壁を羽ばたき続けている。

 滑走路へ着陸するアナウンスを聞き、神来信也は履き捨てるように言った。


 「おい、亜希子。そろそろ用意をしておきなさい」


 「はい」


  名前を呼ばれ、隣のシートに深く腰を落とす神来亜希子が短く答える。


 「ねえ、信也さん。本当にあの子達に先に知らせなくて良かったの?」


 「心配するな。あの子達ももう子供ではない。立派な大人だ。それに悪い話を持っていくわけではないのだ」

 亜希子の方を向くことなく淡々と信也が言った。


 「それに、既に決まったことだ。お前にどうこう言われる筋合いはない」

 

 「信也さん……」


 亜希子は胸元に手を置き、困惑を隠そうともせず夫の名前を呼んだ。

 しかし機内の揺れにかき消され、信也の耳には届かなかった。


 グレーのビジネス・スーツに黒のネクタイを深く締め、眼光鋭く視線を掲げる精悍なその姿は、壮年に近づいた年齢をまるで感じさせない。


 そんな仕事一筋の信也に惹かれ一緒になったのだが、結婚生活は亜希子の思い描いていたものとは遠くかけ離れていた。


 信也はどちらかというと真面目なタイプで、人を取引相手としか見ることができず、強い自律心を妻にすら強要する、典型的な関白亭主な人間だった。


 アメリカにある一流企業の取締役にまで上り詰め、海外に飛んでいくことが日常になってからは、夫婦としての愛などとうに消え果てていたが、信也には将来性だけはあった。

 

 信也は自分がそうであるように、亜希子にパートナーとして完璧な妻であることを求め、亜希子は信也の活動領域を広げるための人生に我慢の限界を感じていた。

 いずれにせよ、二人がそばにいるのは互いの利害が一致しているからに過ぎなかった。


 「…………」


 「冬弥に佐奈は、大丈夫かしら。ご飯ちゃんと食べているといいけど」

 時間が全て止まったかのような沈黙にいたたまれなくなり、亜希子が口を開く。

 

 「私の子だ。大丈夫に決まっているだろう。くだらんことを考えていないで、今日予約をとっておいたホテルの確認でもしたまえ」

 心ない返事を信也に返される。

 いつものことだ――――亜希子は心の奥で自身をなだめた。


 信也の一つ下の三十七歳。若いころは大学のミスコンで上位を独占していた面影は、豊満な肉体と共にまだ女ざかりを残している。


 思えばあのころが一番の幸せな時期だったのではないか。亜希子は肩をふるわせる。結婚の前提としていい条件だけを相手に求め、たまたま見合いで縁結ばれたのが信也だった。


 その時はまさか、こんな囚人のような生活が待っているとは考えもしなかった。

 かしずかれ、羨望の眼差しで見られていた当時を思い出し目を細める。

 しかし、それもずっと前の遠い記憶だと、亜希子は窓から空を見つめた。


 ……あの子たち、今どうしてるのかしら。

 点滅する探照灯の輝きを目の奥に映し、亜希子は考える。

 しかし、すぐにふっと笑って背中の重心を少し後ろに傾ける。

 まあ……いいわ。好きなようにしておけば。

 微かに唇の端を吊り上げ、薄く笑う。


 待ってなさい。あなたたち(・・・・・)の傷跡をえぐりに行ってあげるから。


 

 光の向こうに離陸先が見え、飛び疲れた小鳥が羽を休めるように機体は静かに滑走路へと降り立つ。

 その頃には亜希子の顔は無表情に戻っていた。


 「おい、早く行くぞ」


 重々しい口調で信也が催促をかける。亜希子は感情を消し去りながら、

 

 「はい。あなた」

 とだけ答えて、信也の後に続き航空機を降りた。

 

 

 


 


 

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