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「であるからして~石川啄木の短歌。山の子の~山を思うがごとくにも~かなしき時は君を思えり~。この意味は~」
小波先生が軽快に指を動かし、黒板の隙間をスラスラと文字で埋めている。
麗らかな春の陽気、そして小波先生の妙に間延びした声に、うっすらと意識が遠のいていく。
「じゃあ~この意味を~神来君」
「え、あ、はい」
急に名指しで呼ばれ、一瞬反応が遅れる。
「答えてみて~」
「え~」
「ジャーマン・スープレックスがいいかしらぁ~」
「こ、答えさせていただきます!」
眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「なあ、聞いた聞いた? 佐奈ちゃん、また告白受けたらしいぜ」
小波先生の授業が終わった休み時間、真が足を伸ばしながら話しかけてくる。
「何何、何の話ー?」
指先でくちびるに乗せ、祀が後に続く。
「お前も内心、佐奈ちゃんがとられると焦ってるんじゃねーの?」
「そうなの? 神来君」
形の整った瞳で見つめながら、祀が聞いてくる。
僕らが通う渡瀬中学の教室。
クラス替えがあったにもかかわらず、
僕ら三人は一年の時からずっと同じクラスでいる。
「違うんだよ、祀。そんなんじゃないから」僕は苦笑して言った。
「『本当に?』」
……二人して綺麗にハモるな。何か切なくなってくる。というか信じろ。
「何が悲しくて妹と両想いにならなきゃいけないのさ」
襲われることに怯えているけどね……毎日。
「そう! そうだよね! そう言うと思ってたよ! 信じてたよ神来君!」
「嘘付けお前! 知ってんだぞ。佐奈ちゃんの胸がEカップまで届いてんの!」
「ちょ、ちょっと近いよ祀! あと真は何でそんな事知ってるんだ!」
大切な妹になんてことを。あと祀は頬を染めるな。
「でもよ、かなり可愛いし、マジに褒めるとこしかないんだぜ。頭も良いし」
二人きりの妹だなんてついてるよなあと真が空想にひたる。
というか、頭おかしいけどね。僕に対する時だけ。
小さい頃から僕と違って佐奈は人気があって、常に誰かにつきまとわれていた。
真面目で、誰に対しても笑顔で付き合う佐奈は、誤解をもたれやすい。
でも違うんだ。佐奈の恋は止まっている。
僕と二人で歩いてきた為に。
異なる道なんて今更引き返せない。
「――神来君? 神来君!」
見上げると顔を近づけてる祀がいた。
サラサラな髪の毛から、ほろ甘い匂いがする。
「急に近づくの止めてくれる!?」
緊張するんだけど。この空気。
「神来君、さては聞いてなかったな?」 不満げに祀は頬を膨らませる。
そして僕を見つめフッと笑った。
「突然だけど、来月から私留学するの」