始まり――プロローグ――
静寂の闇を月明かりがとうとうと照らす夜。
ゆっくりと床板が軋まないように足音を忍ばせ、少女はドアの隙間からそっと顔を出した。真っ暗な世界が眼の前にすうっと写りこむ。
握ったドアノブから微かに金属音が震え、一瞬しまったと思ったが、目の前に寝てる愛しい人を見つけ、闇夜に馴れた瞳をルビーのように怪しく光らせた。
「お兄様? 起きてらっしゃいます?」
息をひそめ呼びかけてみる。
返事はなく目標の人物はベッドの上で軽く寝返りを打つだけだった。
それを確認し、熱く感じる鼓動を抑え中に入り込む。
まだ夢ごこちなのか、すうすうと気持ちよさそうに寝息をたてている。
何度も眺めてきた顔だが、彼女はいっこうに飽きずに見つめていた。
完全に寝ていることを確認し、少女は少年を見つめ呟いた。
ああ…お兄様、心から愛しています…。
寝相の悪い兄は寝付くのが遅い為、多少のことで起きはしない。
冬弥の頭の横に顔を近づけ、上からじっと見つめる。
「かわいい」
気持ちを抑えきれずに言ってしまった。
佐奈は一瞬ハッとしたしたが、冬弥は瞳を閉じたままだ。
安心して息をつく――その瞬間。
冬弥のなめらかな唇が少し怯えたような表情と共に、微細に動いた。
「ううん……」
起きてはいないようだった。悪い夢の中でもさまよっているのだろうか、自身にかかろうとしている「危険」を察知したのか。
どちらにしても冬弥は白いシーツにくるまれ、深く寝入っている。
「はあっ……ん」
息づかいが声の隙間から漏れている。
昼間の純情な少女は、夜の光を浴びて、誰にも見せない女の顔になっていた。
ごくりと喉をならす。思わず抱きしめてしまいそうになるのを懸命に抑えた。佐奈は舌なめずりし、腕を伸ばして冬弥の頬をいとおしむように摩ってみる。
あまり似ていない。目の前に映るのは気持ちよさそうに寝ている男の子だった。線の通った鼻、少しふっくらとした頬とくっきりした形の顎は、今はまだあどけないがあと数年も経てば、女の子から人気が出そうだ。佐奈は肩を震わせた。
「あなたは」とつぶやく。
あなたは渡さない……誰にも。
ビロードの暗闇が月光にやさしく包まれ、佐奈の瞳に薄明かりを注ぐ。
まだ年端もなくあどけなくかわいい寝顔の兄が、今自分にされるがままになっている。その快感に味を占め、パジャマのボタンを外し、剥き出しになった冬弥の裸を凝視する。
――そこには一生消えることのない傷跡があった――
――自らの手によってつけた刻印が――
薄明かりによって鮮明に照らされていた。
ハッとした佐奈は思わず冬弥を抱きしめ、
「ごめんなさい…お兄様」
と、眼を赤くし子供のように泣いた。
女として生まれてきて。
あなたの妹として出逢って。
私が、あなたを、愛して、しまって……。
ささやきは窓から差し込むそよ風と月明かりに飲み込まれ、少女は少年の前で泣き続けた。大粒の涙は頬から顎にかけて流れ、少年の顔へぽつりと流れ落ちた。
それでも少女は泣き止むことはなかった。