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MY DEAREST

作者: 志岐



 「……おい、ガッコはどうした。不良少女」

 「仕事はどしたん? 社会人」

 少女はそういうと、マグカップサイズのカフェ・ラテの泡だけ器用にすくって食べた。表面に描かれていた猫の顔が大きくえぐれる。

 「むー、やっぱオーナーの入れたんがいっちゃん美味し~」

 陽だまりで昼寝をしている猫のごとく、目を細めてにんまりと彼女は笑った。

 それとは正反対に眉間にM字のしわを寄せて男はうめき声を上げ、眼鏡のすわりを直した。

 「オーナー、ココはいつからフリースクールに宗旨替えしたんだ……」

 「ま、とりあえず座んなさいよ」

 少女はのんびりと適度に男の機嫌を逆撫でするように話す。ついでに、隣のスツールをぽんぽん。と叩いてみせる。

 平日の午前中、人の少ない時間帯だから他にも空席はある。わざわざくっ付かねばならない理由などもない。それなのに男は彼女の隣に座る。

 (期待もっちゃってもしょうがないよね……)

 ため息をカフェ・ラテを飲む動作に紛らわせて、少女は苦く笑った。


 彼女が片思いを始めて、もう2年になる。

 

 

 

 

□■□              □■□



 

 

 中学校に入って初めての梅雨は、ひどく私を弱らせていた。

 特に親しくもない人間との生活、両親の離婚、小学校とはまったく違うルール、ETC……

 どこにも居場所がない。と、私はごく自然に感じていた。それはただ、新しい環境になじめない私の僻みだったのかもしれないけれど。決定的だったのは家が――HOME、家族という意味――なくなったこと。

 あの日、おっちゃんに出会わなかったら……


 私は未だにあの梅雨の中で眠っていた。

  

 学校にも、家にも、どっちにも行き場がなくて。私は夜の公園で朝を待つのが癖になった。

 木々の間から差し込む朝日を確認してから、誰もいない部屋に戻る。そして、また夜が来るまで昏々と眠った。

 昼夜の逆転した生活――それを窘めてくれる人も、気づいてくれる人もいなくて、私は世界に一人ぼっちだった。

 寝過ぎで頭痛のする体を街灯の下のベンチに座らせて、私は一晩中動かなかった。

 晴れた日は月を眺めて。曇りの日は風を聞いて。そして雨の日は、傘をさして雨音を感じた。

 ほとんど運動しないのに、そうすると朝が来る頃にはドロドロに疲れているのが不思議だった。

 こんな、ある意味で規則正しい日々の中、一人の男が私に声をかけてきた。


 ――猫を見なかったか?

 

 私は答えなかった。

 見ていようがいまいが、答える義理はなかったから。


 ――迷った猫を探しているんだ。

 

 顔も上げないまま、私は無視を続けた。

 言葉が脳で意味を成すまでに時間がかかる……人のだす言葉を聴いたのは何日ぶりだっけ?


 ――アイツは餌の取り方も知らないんだ、きっと弱ってる。だから、探してやらないと

 

 私は、顔を上げて声の主を見た。逆光でうまく見えなかった。

 ふと、興味がわいた。

 それはまったくの気まぐれで。

 気づくと私は

 

 「探すの手伝ったげる」


 と言っていた。

 

 「困ってるうちに探さないと」


 

 

 ――帰ってこなくなっちゃうよ

 

 

 

 

 ……両親のことが脳裏に浮かんだ。


 

 

 ベンチから立ち上がって、しっかり男と視線を合わせて私は言った。角度が変わって大分きちんと見えるようになったその顔は、なかなかに整っていた。銀フレームの眼鏡と髭がまばらに生えていて、おとうさん――いまは、いない――よりも背が幾分か高いように見えた。

 

 ――ありがとう。

 

 そういって私と視線を合わせるように俯いた男が言った。

 その時私は、街灯を反射して見えなかった瞳がひどく穏やかなことに気づいた。


 

 

 私たちの迷子探しは、それから2日間続いた。その間、私たちはほとんど言葉を交わさなかった。

 

 そして3日目。空がオレンジと藍色で埋まっている頃、仲のよさそうな4人家族に大事にされているマイゴを見て、男の人はきびすを返した。

 

 ――声、かけんでいいと?

 

 公園まで戻って、始めて会ったベンチに腰掛けて私は聞いた。幼い頃住んでいた場所の訛りが口をついて出た。

 カシィン。という音を立てて金属製のライターに火を点し、煙草をかざしながらおっちゃんは言った。

 

 ――ん……幸せならいいさ。それが一番大事だし。

 

 火のついた煙草を銜えて、もう一度。

 

 ――幸せなら、いい。

 

 眼鏡を外し、俯いて、目を押さえて言ったその言葉の語尾はかすかに震えていた。

 「泣いとんの?」

 煙が目に沁みたんだ。という彼は3日前のように立ったままで、私の頬に彼の涙が落ちた。

 なんとなしに居たたまれなくて。私はベンチに立ち上がると、彼にしがみついて背中をさすった。

 ああ、この人も捨てられたんだ。と私は思った。

 

 「オッちゃんな、幸せやないんやな」

 

 ベンチに立っても私の身長だと頭まで手が届かなくて、頬に手を伸ばして涙を拭いながら、私は重ねて聞いた。 

 

 「あン仔、幸せそうやけど……オッちゃん、キツそうや」

 

 つるり、と口から滑りでた言葉に彼は笑った。煙草を持ったままの手で私の頭を軽く撫で、眼鏡のない素の目線を私に据えて言った。

 

 「お前と一緒だ」


 だから、泣いていいんだぞ。


 

 と。

 

 

 空にチーズのように黄色の月が浮かんだ夜、私は本当に久しぶりに声を上げて泣いた。辛かったら泣いていいという簡単な事実さえ、私は忘れていた。

 泣くだけ泣いて涙が枯れて……どこか吹っ切れた。

 

 それ以来、何か辛いことや私ではどうにもならないことが起きる度、彼(オッちゃんは呼ぶには実は若かった!)の素顔を思い出した。

 眼鏡を外し泣いていた彼は、かなり年下な私にすら「守ってあげなきゃ」と思わせるほど幼く、可愛らしく見えた。

 それまで守られていた私が初めて守ってあげたいと思った彼の表情には、私を勇気付ける最良の薬だった。


 


  □■□                 □■□

 

 「――――おい! どうした?」

 過去に飛んでいた心が引き戻される。

 「テストでも悪かったか?」

 にやり。と擬音が似合う意地悪な彼に、彼女は微笑んだ。

 「お生憎様。今回も学年平均は楽に突破してます~」

 サボり魔の癖になんて生意気な! と彼は天井を見上げて叫ぶ。

 

 こんな穏やかな日常が、彼女にとっては何よりの喜び。

 家は相変わらず、夜にはたった一人になるし。母親は夕方出て行って朝方に酔って戻ってきて、私と話をする暇なんてない。

 学校は成績がよければ、多少休んでも何もいわれない。友人、と名のつく人間ともそこそこうまくやっている。

 彼とこの店のマスターに幼さの残る方言まじりで話す。――この時だけ彼女は歳相応に幼い。

 

 「で、最初に戻るが。今日はガッコはどうしたんだ?」

 「テスト休み……今回が最後なんだってさー、授業日数の短縮で来学期からはテストの次の日から授業するんやて」

 だるいわー、とカウンターに突っ伏す。

 「いいことじゃないか、『中学生は遊んでないで勉強しなさい』だ」

 「うっわ、超ダサ」 

 くすくす笑いながら、オーナーが彼の前に出来立てのうどんを置く。冷静に考えたら何で洒落たカフェでうどんが出るんだろう……不思議だ。思わずじっと見つめていたら、彼がこっちを向いた。

 次にくる言葉はわかってる。

 「「やらんぞ」」

 見事にハモる。にっこりと笑う少女と笑いをこらえてるオーナー、そして、苦虫を噛み潰した彼。その彼は文句を言おうとするのをみて、私は眼鏡を取り上げた。

 

 くもってる。とチェシャ猫のように彼女は笑い、大分冷めたカフェ・ラテに手を伸ばす。

 言葉にならないうめき声を上げた彼は、うどんに取り掛かり……少女をねめつける。

 うどんを食べながらやられても大して効果ないんだけど。と少女は満足そうに笑う。


 ま、いいでしょ。

 今はこの暖かな日常を楽しみたい。 

 そう。だから。


 冷えたカフェ・ラテを堪能しながら、少女は胸のうちで舌を出す。

 とてつもない猫舌の私が出来立てのうどんなんか欲しがるわけない。と。

 クスリ、と笑うオーナーに(まだ、ナイショ)と目配せをして、カップを傾ける。

 

 ――横取りする気もないのに絡む理由は、まだ彼には知られたくない。

 

 あと、少し。

 この穏やかな陽だまりで猫のように昼寝をさせて。

 MY DEAREST


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