#7 天川京香と星野陽子
「…………」
「どうした、浮かない顔して」
星野陽子に声をかけられて、京香は顔を上げる。その顔は蒼白を越えて、血の気がない。星野はさも可笑しそうに、大笑いした。
「な、な、何が可笑しいのよ!!!」
「お前がだ、いい加減なれろ。飛行機が墜落する確立は極めて低いんだ。スター・レインの直撃ならまだしも、航空会社は万全のメンテナンスと調査をしているからな。そうでなくては移民ブームもとんでもない事になるさ」
移民ブーム────最近、不安と恐怖に駆られて、理性の無い少し金に余裕のある人間がそれを繰り返している。国家機能が麻痺している現在、入国管理はずさん極まりない。中央アジアからはブラックルートに乗って、麻薬や拳銃の密輸が頻繁に行われている。そういう事件も少なくないが、スター・レインの脅威の前には、些細な小粒ニュースでしかない。人々は不安に駆られ、治安の安定した比較的まともな国々を行き交うのである。
しかし天文学者から言わせれば
『ドコにいても同じ』
なのだが。スター・レインは地球上、ドコにいても降り注ぐ。規模が大きいか、小さいかの違いだけで。治安の安定・不安はそれとは全く関係ない。助かりたければ、天文学者の発信する【予報】をしっかりと掴み、資産を縮小させて、いつでも逃げれるようにするのみだ。予報外の事態や、予報確認前のスター・レインについては運が悪かったと諦めるしかない。そして大抵、移民ブームに乗せられた裕福な階級の人々がスター・レインの被害を受け、死んでいく確率が高いのだ。原因は情報を掴めなかった事にある。
パソコン機器によるネット情報は膨大すぎて、真偽を確かめようがないし、その中から自分のいる地域をピックアップするのは並み大抵ではない。面倒くさいので、移民ブームに興じている人々の半分以上は、古い情報を信じて行動している。
「ま、移民ブームなんかどうでもいいがな。死にたいヤツは死ねばいい」
「どうでも、いいわよ。本当に!」
京香はもう、冷静さを失っている。
「私はね、この鉄の塊が飛んでいるのが信じられないのよ!!」
「いつの人間だ、お前は」
とまた大笑い。
「よくもまぁ、それで天文学者をやってこれたもんだな」
「うるさい! いいでしょ、何で鉄の塊が空を飛ぶのよ、何でみんな平気な顔して乗れるよ、ちょっとオカシイんじゃないの?!」
「おかしいのはお前だ、そんな大きい声をだすな。恥さらしめ」
しかし星野のその顔はニヤニヤしている。
「揚力って言葉、知っているか?」
「理論は知ってるわよ、空気の流れに機体を安定させ、推進力を加えて飛ぶんでしょ! 私が言いたいのは理論じゃなくて、現実よ! 何で鉄の塊が飛ぶのよ、重いでしょ、落ちるでしょ、普通!」
「それと同じ事を言って船にも乗らないな、天川は」
「当たり前よ、私は泳げないもの。でも、飛行機はパラシュートがあるでしょ」
「海に落ちればオシマイだけどな」
「海に落ちなければいいのよ!」
これが世界を代表する天文学者二名であるとは、この飛行機に乗り合わせた誰もが予想できるはずがない。何とも低次元かつ愚劣な会話このうえない。同乗した人々は、クスクス笑っているかあきれ果てているかどっちかである。
「星野はいいわよね、Mr.シャーロックが来てくれて」
「は?」
星野陽子はキョトンとした顔で京香を見た。
「何でそうなる?」
「何でもないわよ!」
ほぼ八つ当たりなのだが、京香は言って後悔した。
この頃、自分の心が不安定極まりない。全て追いやったはずなのに、忘れかけていた男の顔が鮮明に滲みでてくる。優しい笑顔であの頃の京香を包み込むように溶かしてくれた、今はもうソバにはいない、あの男……。
(他人の幸せを妬むなんて、最低じゃない?)
言い聞かせる。でも、ダメなのだ。歯止めが効かない。今の京香の心は、星の光が全て消えた、スター・レインの予兆である漆黒の夜空にそっくりだ。
黒く濁り、他人の幸せを羨ましがり、妬んでいる。
あのぶっきらぼうで、天文学の事しか頭にない星野陽子が、Mr.シャーロックの登場となると、途端に少しは女の子らしい一面を見せる。すると、京香はとても自分が邪魔者のような感じがして、すぐに消えたい衝動に駆られる。しかしいなくなるわけにはいかなかったのだ、イギリスに渡ったのはスター・レインの調査のため。時々、自分のそんな弱い深層心理が情けなくて、腹ただしい。心の空洞を上手く隠しながら、京香は星野陽子とMr.シャーロックとの笑顔での会話を成功させていた。
ま、結果的にスター・レインの手がかりは、いつものと同じようにゼロのまま。発見できず、といったところなのだが。後は外交に似たりよったりな政治的なお話しを延々としていたわけなのだ。それも京香は苦痛だった。
唯一、興味があったのはたった二人だけの生き残りだった。
奇跡────としか言いようがない。あれだけ街が星の雨に徹底的に破壊しつくされ、廃墟ですらない存在となってしまったのに、あの二人はほんの少しの切り傷と打撲だけで、街の中心に立っていたらしい。
ロイ・アーヴィとアリン・ノンフィル。その二人へのインタビューで、天文学者達は夢中だった。情報としてスター・レインは認知されているが、実際に肉眼でまさに星の雨の降る瞬間を見た人間はいない。天文学と言うよりも、────科学者としてその状況下に興味が誰しも湧いたという事だろう。あの、星野陽子ですらそうだ。
日が落ち着いて、情報閉鎖が解除されたら、今度はあの二人は休む暇もなくTVにさらされる事になるだろう。スター・レインに疲れた人々の心に、そういう奇跡は癒しですらある。美談としてしばらくは、お茶の間をにぎわすだろう。
だが京香はそういう学術的好奇心は不思議と湧かなかった。興味を抱いたのは、二人が婚約している、という事だ。京香は少し、残酷な質問をした。
『貴方達の家族や知人はたくさん死にましたけど、絶望してますか?』
インタビュー会場であるARKイギリス支部の会議室にどよめきがおきた。これはあくまで、天文学者が学術的な疑問回答のためのインタビューである。京香の質問は彼らの傷をえぐり、天文苦を馬鹿にするものだとヤジが飛んだ。
星野陽子も、京香をたしなめるような視線を送ってきた。
しかし京香はそれを全て無視した。解答を待つ。言葉を発したのは、アリンの方だった。
『いいえ、悲しいですけど絶望はしていません。私にはロイがいます』
力強くそう言った。
『僕にもアリンがいる。今は二人で生きていく事を考えています』
彼の言葉にも嘘は感じれなかった。京香は優しく微笑んで立ち上がる。
『それならば私達天文学者は今後、全力をもってスター・レインの解決に挑みます。無論、謎だらけで即効の解決は不可能ですが、こんな悲劇は見たくありません。確証はありませんが、約束します。貴方達が生きると言ってくれて、私はとても嬉しい』
何でこんな事を言ったのか? 自分でも疑問だ。天文学者らしくない発言。自分でも可笑しい。だが、静まり返った会場の静寂を破ったのは、他ならないアリンの拍手だった。つられて、誰もが拍手を送る。星野陽子に視線をむけると、苦笑して拍手を送っていた。
その顔は言っている。
(「困ったヤツだ」)と────。
まったく、と自分でも苦笑する。結局、嫌だったのだ。京香の質問は表面上残酷だが、他の天文学者達の質問に比べれば、一番残酷ではない。真に残酷なのは、学術的探求と称して、ロイ・アーヴィとアリン・ノンフィルの精神的ショックを無視した学者達にある。それが、たまらなく嫌だったのだ。
「だからお前は甘いんだ、天川」
星野も同じ事を考えていたらしい。コーヒーを飲みながら言う。
「かもね」
と言って窓の外を見て、顔がまた真っ青になる。
「星野ぉ、く、雲があんなトコにあるよー」
「当たり前だろ、飛んでいるんだから」
「降ろしてぇぇぇ!!!!」
「無茶を言うな」
「だって怖い!!!」
「行きも飛行機で来ただろうが! 帰りも我慢しろ!」
「そんなぁ……」
悲痛のその叫びも星野陽子は無視する事にした。取り合うだけ、無駄だ。
しかし……と今だに何かをわめいている相棒を見ながら、星野陽子は苦笑した。学者に人間的優しさや感情が必要かどうかは興味ないが、京香の発言は意味があったと思う。世界や国や多くの人々のためじゃない。たった二人のために、だ。
多分、あの二人は絶望していた。絶望して当然だ。自分の住む街が原型をとどめる事なく破壊しつくされ、愛しい人々は消失し、たった二人だけになった。死と隣り合わせになって諦めかけたはずだ。そして生を何とか手に入れた後も途方にくれたはずだ。
それが京香の一言が起爆剤になった。星野陽子にはできない芸当である。
ま、問題有りな友人だが、尊敬に値する相棒でもある。星野陽子は今だに忘れない。ロイ・アーヴィが京香に握手を求めた瞬間を。
「誇りに思うよ」
その彼女にとっては最大の賛辞も京香の絶叫でかき消される。
「いやぁぁぁぁ!!!! 私は降りる!!!! 死にたくないぃぃぃ!」
「天川、お前という女は……」
呆れるていると、スチュワーデスまで飛んできた。
「お客様、お気を確かに。この飛行機は安全に運行しておりますので」
「気休めはやめて! 私を日本に返してぇぇぇ!」
「いえ、今、日本に向かっていますので。どうぞご安心しておくつろぎください」
星野陽子は頭痛がしてきた。京香は今だ何かをわめている。無視しよう、無視。スチュワーデスの彼女には悪いが、京香と真剣に付き合っていては、神経が何千本あっても足りない。
疲れもたまっている。外界の喜劇を一切シャットアウトして仮眠をとる。
空の旅は、長い。
「何を一人で寝てるのよ、星野!!!!」
そんな獣の遠吠えも無視して、睡眠。
空の旅は、長い。
世界の命運は、こんな天文学者によって握られて────いて、いいの?
作者的にごめんなさい(笑)




