#17 予備デイ
前回:星の雨が落ちました。
雑音。ノイズ。擦り切れたような、高音と低音が入り混じる。周波数を必死で合わせた。頭痛。これはいつものなので、集中に徹する。時間がない。
──── メーデー、メーデー…
精度には自信があったが、過信は過ちを呼ぶ。だからキーワードを織り交ぜておく。言葉はすぐに返ってきた。本来は旧時代、遭難信号として用いていたとの事だが、この時代、それを活用する人間はいない。
──── 被験者は?
性急な言葉は、通信相手の性格もあるが本当に時間がないのだ。
星が降って、地場が安定していない事もあるが、コンディションも最悪だ。そしてこんな状況に追い込まれた自分自身も最悪だ。苦々しく、唇を噛む。だがそれすら許されない程時間はないし、自分には選択権はないのだ。気持ちを切り替える。
────見失いました、申し訳ありません。
────星の雨の軌道については、事前情報を出していたはずだが?
────誤差7%強と見ましたが? 過剰な出力には疑問を感じます。
────今後の課題だな。だが、極限の中で被験者を得る事は想定内のはず。貴女(Lady)? 言い訳にはならないぞ?
────いいえ、任務遂行上の苦情です。貴重な被験者をみすみす失いたいようにも思えますが?
────あれはこの程度で退場する事はなかろうよ。三次負荷試験をパスした輩がこの程度で潰れるか。
────分かりました。それを念頭に探索を行います。
────頼む。高カロリーカプセルと圧縮H2Oの在庫は保つな?
────問題ありません。
────予備デイの一週間までは誰もココには踏み入れない。その間、捕縛せよ。情報の秘匿は絶対だ。一に情報秘匿、二に被験者、三に君の生命、この優先順位を遵守する事。
冷淡な声で、事務的に伝える。今さらだし、別段それに嫌悪も恐怖も感じない。一次負荷試験をパスしただけの自分の待遇など、こんなものだ。試験をパスできず実験素材になった同胞も多い。
(生きる為、か。)
────分かっています。
────朗報を待つ。
こちらから一方的に通信を切る。頭痛が止まない。忌々しさも感じるが、選択肢はそもそも無いし、自分は生かされている存在なのだ。
皮肉なものだ。本来の場所では自分は道具程度にしか必要とされず、偽りの舞台ではあんなにも必要とされて、自分を見失いそうになる。
あんまりじゃないか。
空を見上げる。
星の雨は止んでいる。星の雨は全てを潰す。言わば全人類にとっての脅威だが、今自分にとっては「唯一」の安らぎを破壊した凶星と言えた。その凶星の名の下、自分は任務を遂行する。
それしか生きる術がないから。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
ただそれだけだ。
それだけなのに────。
頭痛がする。
もしあの人が死んでいたら?
だが管制官は言ったではないか。彼はこの程度で潰れる輩ではないと? だったらまだ会える可能性がある。でも会ったら? 愛すべき日常がそこで終わるのに? 終わってしまうのに?
終わらせたくない────死にたくない────終わらせたくない────。
矛盾している。自覚している。だから今は、会える事だけを信じる。自分が末端の機械である事を壊してくれた人がいる。
でもこの奔流から逆らえない事を自分は知っている。
いっそ星の雨が潰してくれたらいいのに。
それこそ矛盾している。星の雨が何であるかを理解している自分が。
唇を噛む。そして見上げた夜空が、なんて美しい事か。
作り物のようで、人間には作り上げる事が不可能な天幕を。
その天幕に手を伸ばした愚か者がいた。
その愚か者が、淘汰され死に絶える存在達を生かしている事実は変わらない。
生かされている。
だが愛されていない。
今も愛されていない。でも、愛されたいと思ってしまった自分がいて、愛したいと思ってしまった自分がいたのだ。
「先生…」
呟きは何て苦悶に満ち、苦渋を息に吐き出した事か。
夜は、長い。
予備デイを天文学者達は設けていた。星の雨の解明に全力を注ぐ天文学者といえど、星の雨の前では無力な人間である事に変わりはない。
現に星の雨の直後、さらに星の雨を受け死んだ天文学者達がいる。
不眠期と呼んでいる。見せかけの休止状態である事もそうだが、この際巻き込まれたアルフレッド・ディザー博士とその研究グループにちなんで、だった。
通称、不眠のアルフ。彼は、一刻も早く「星の雨」の原因解明の為と現地調査に乗り出し、悲劇に直面した。アルフの悲劇とも言われている。だからこそ、調査は慎重に慎重を重ねた堅実さが求められる。
だが現実、スターレインが降った場所からは、特殊な鉱物、宇宙線、反応が発見されていない。地球上と同じ物質が飛来してきたのか、もしくは直撃後蒸発したのか、それすらも判明できていない。
進展なし。
そうなると、次への模索となる訳だが、手詰まり感が否めない。光助はため息をついた。
はい、そうですか。と諦めたら学者なんていらない。そして天川京香じゃない。
京香は躊躇い無く次の一手を選択した。迷いなく、予備デイを短縮させると言い切ったのだ。現状見つからないのであれば、 見つけに行く。捕まえに行く。そう言い切る京香に、光助は毎度ながら頭をぶたれた想いがするのだ。
姉は言う。
『アルフと同じ道を辿るかもしれないぞ?』
京香はさらりと返す。
『この地球上にいる限りはドコも一緒だと思うけど?』
その後不毛な舌戦を繰り広げていたようだが、光助は知らぬふりを決め込んだ。
調査機材の最終メンテナンスに取り掛かる。
「光助?」
アキがそっと声を掛ける。小さな声のはずが、光助の他に誰もいない天文台ではやけに響く気がした。
機材の放射線探知機をゆっくり置いて光助は顔を上げた。
「……珍しい」
アキが小さく笑んだ。
「え?」
「光助が、機械イジリしてる時は顔を上げて話を聞いてくれないから」
そうだったかな? と首を捻るが、思い当たる節が多々あるので、余計な反論はしない事にした。倍返しならぬ、10倍返しは必至だ。
「出発は明日だよね?」
あれ? と思った。アキが京香達のスケジュールに関心を示すのが珍しい。そういえば明日から巷は三連休か。スターレイン関連で動く時は、大学講師業も臨時休講でカリキュラムの調整をお願いしていた。
そこまで思って暗くなる。これは後期のスケジュールがさらに過密になるという事でもあるんじゃないか? 大学は【ARK】の天川京香にすがる気満々な訳だが、根っからの研究者であり、自由人である京香が首肯するはずもなく、政治的な手回しが主に光助の元にやってくる訳で。それを嫌味なく回避する事にも奔走してる事に対しても評価が欲しい所────
「調査、私も行くからよろしくね」
満面の笑顔。目が点になる光助。
「え?」
聞き間違いか、と思った。今まで天文学の『て』の字すら拒絶していたようなアキが、だ。光助が作業に没頭する事に嫌悪を示し、母が仕事に掛かりっきりになる事に寂寥としか言いようがない表情を浮かべていたアキを光助は知っている。
だからこそ、仕事が忙しいながらにも、アキを放っておけない光助がいた。姉はそれを余計なお世話と言うが、天川家に来た当初から比べたら、アキは構える姿が少なくなったように思う。
寂しいんだよな、なんて事を思う。兄貴ヅラをする訳ではないし、アキは御されるような気質でもないが。それでも可愛い妹のような感覚が光助にはあった。
願わくば。
アキが幸せな結婚を迎える頃には、星の雨が全て解決していたら。それが夢物語だとしても思うのだ。そんな事を言うものならアキにさらに一蹴されるのも目に見えているが。アキは守られるがままの女の子ではない。彼女の行動力、聡さ、明晰は、甘えるだけの女の子である事を拒絶している。それでいながら、震えた仔犬のような目で、光助を見る時がある。
一度だけ、彼女はその本意を呟きで漏らした。
────置いていかないで。
光助にはそれで充分だった。幼少のアキの目に、父が去る背中がどう映ったのかは分からない。ただその不消化のままの脆弱が、アキの本音として寝言になった。
光助はあの日の弱々しい呟きが耳について離れない。
けれども、今日のアキはそんな弱々しさを振り払ったかのように笑顔だった。
母の道をアキは行こうとするなら、それは歓迎すべき事だ。予備デイを短縮させているだけに心配ではあるが。
だから光助も微笑んで、応じた。
「よろしく、未来の天川先生」
アキはそれには答えず小さく笑んだ。若干、ため息が混じった事に光助は気づかない。
アキはじっと光助を見やる。母を追いかけていたのではなく、目の前の鈍感を追いかけていた、という事にやはりこの鈍感は気付かない。もう機材のメンテナンスに意識を向けているので、アキの視線には無頓着だ。
なんでこの男なんだろう? と思うが、時々光助が見せてくれる宇宙への情景に想いを馳せている自分がいるのだ。でも、それは決して母を追いかけて、では無い。だから、お母さんごめんさいと思ってしまうが。
星の雨が嫌いだ。
星の雨は誰かを、何処かを消していく。
星の雨が降る時、光助も京香も、そしてどうでもいいがシノハラまで忙しそうでアキの事は目に入らなくなる。それが身勝手で、我が儘な事だと自覚していても。
星の雨に関わる天文学者。その危険性は、アキも良く理解している。いつも母の事が心配でならない。でも光助に対する心配は別次元のものである事を自覚している。
この鈍感を失いたくない。その衝動だけで行動を起こした自分がいた。嘆願した母は少し微妙な表情であったが、同席した星野陽子は助け舟を出してくれた。その顔が微笑んでくれていた事が焼き付いている。
なにもかもお見通しかもしれない。
それでもいい、とアキは開き直っている。
同じ危険に合うのなら、この鈍感と一緒がいい。病的だ、と自分でも思うが。
星の雨は嫌いだ。でも光助と出会えた事も星の雨があったから。だったら、私も星の雨研究の助けになれたら。論文を漁りながらアキは思う。
訳が分からないが、じっと待っているのは性分じゃないのだ。
だから、それでいい。
と、三毛猫のツナマヨがアキの膝に乗ってきた。
『やっとアキらしくなったんじゃないか?』
そう投げかけてくれた気がして。だからツナマヨの背を撫でる。最古参の家族が、こうやって絶妙のタイミングで応援してくれてるから。
「光助、紅茶飲みたいんだけど」
わざと作業を妨害してみる。光助はややげんなりした表情を見せつつも顔を上げた。
「今じゃなきゃダメ?」
ほとんどの作業を彼がやっているので、イジメにも近い事を自覚している。でも、自分の事も見て欲しいと思うのだ。これが我が儘と自覚した上で言ってるワガママだから自分でも質が悪いと思う。
「飲みたいから言ってるんじゃない、そんなの当たり前でしょ」
これまたわざと不機嫌に言ってみる。光助の淹れた紅茶が飲みたいと言えない自分が憎らしいが、これが自分だ。光助、いつもゴメンと心のなかで謝る自分もいて。
「やれやれ」
苦笑しながら光助は腰を上げる。嫌悪の顔じゃない。だから。だから、なのだ。アキは素直になれない素直さで光助に甘えてしまう。
でも、と思う。今度はアキも機材のメンテナンスが手伝えるように勉強をしていこう、と思う。マニュアルを読み、光助の行程を盗み、シノハラに教えて貰いながら。
失敗しても害の無い機材から、光助が紅茶を淹れてくれている間に試みる。遊びではないのも自覚している。だから慎重に。そして光助にこの仕事は任せる、と言ってもらえるように。
アキの背伸びを応援するかのように古参の家族の間延びした欠伸が、ほんの少し空気を震わせた。
朦朧とする。
星の雨が落ちた。指先が麻痺した感覚。手を伸ばすと、柔らかい手が握り返してくれた。お父さんじゃない? 野咲さん?
手が震えている?
声が出ない。痛みが勝る。お父さんは?
瞼から差し込むのは、仄かな月光と淡い星の光。禍々しくない、お父さんが好きだった夜空。
影がミドリを覆う。
何かが、左上腕を突き刺した。痛みはない。
星の光は弱々しい。
この光は何億光年も離れた星の最後の生きた証であるらしい。
お父さんはそんな星のような【証】を欲していた。それでいて無欲にも感じた。もうすでに大事なものは失ってしまった、と。だからこれ以上失えない、と。そうやってミドリを抱きしめた父。
その父の存在を感じない。
指先に力が入らない。
考えがぐちゃぐちゃになる感覚。頭の奥底へ押し込まれる感覚。それとは正反対に心臓が激しく打つ。押し込まれる感覚と押し戻す感覚がミドリの感覚を苛ます。
そして────。
ミドリの意識は、ここで昏迷した。




