#15 行動しているうちはゼロより高い
前回:いよいよ星が降り出しました。
下北地区はがらんとしており、まるでゴーストタウンのようだ、と西川は思った。人がいることはいる。が、その人達は何かに祈りを捧げるように、空を睨んでいる。
「どうしたんですか?」
と車の窓を開けて、白髪の老人に声をかけようとした時だった。
「先生ッ!」
野咲は目を疑った。 時計は七時二十分。下北地区の夜空は硝子のような星を輝かせている。誰もが忌み嫌う星だが、こうやってゆっくりと星を見上げることはなかったので、その輝きに思わず見とれてしまう。そんな事を思う刹那だった。空に線が引かれる。一本、一本。野咲は見とれたが、その意味を理解して西川に叫んでいた。
喧騒が絶望を呼ぶ悲鳴になる。
西川も唖然として空を見た。
「星の雨?」
声が枯れる。西川は情報の一つ一つを丁寧にチェックしていたつもりだった。が、どこにも警告は聞かれていない。突発的な事態なのか? と思って、はっとする。ミドリがラジオよりも、音楽の方がいいと言った。西川は近道のため、国道を外れて、脇道の農道を選んだ。情報を得るにも西川は仕事にこもっていた。野咲もまた、西川の小説を待ち続けていた。情報を入手できない要素が、ここまで揃っている事に愕然とする。
「お父さん?」
ミドリは空を見上げた。空が明るい。星が次から次へと振る。あの夜、父と一緒に見上げた、星の雨の比では無い。誰もが、その美しさに言葉を失っているのが分かる。星は空に線を描き、儚く消える。そしてまた、夜闇に線を引く。その繰り返しだ。と、小さな地響きを体は感じる。
星が流れた。その星は燦々と輝き、西川達の頭上をかすめ、下北地区で一地番大きいデパートに容赦なく直撃する。
星はコンクリート建築物をあっさりと砕き、倒壊させる。砂塵が舞い
「ミドリ! 野咲君!」
西川は二人の手を掴む。
風が凪いだ。
コンクリート建築は巨大な穴を空け、静かに半分に裂けて、そしてゆっくりと倒壊する。
それが星の雨のシグナルだったのかもしれない。
星が間髪入れず、降る────。
西川はミドリと野咲の手を引き、走り出してた。
「先生、車の方が!」
野咲が叫ぶ。が、西川は首を振った。
「すぐに車なんか使えないくらい、瓦礫の山になる。意味は無い」
「でも! 少しでも遠くに行ってから捨てても!」
「考えることは、みんな同じだよ、野咲君」
と走りながら道路を見やる。クラクションの音、交通ルールも無視した暴走運転、渋滞、これほどまでに下北地区に人が残っていた。そういえば、と西川はふと冷静になって思った。旧友がテレビに出た時、淡々と言っていた記憶がある。
『情報が嘘であればそれにこした事は無いが、それを嘘だと信じ込みたがる人が多い』
と彼女はつまらなそうに言った。
『自分の産まれた場所や住んでいる場所、家が壊されたくないと────嘘だと信じたい気持ちも理解はできる。だが、嘘と信じて祈ったとしても、それが本物の現実だと気付いた時には、もう遅い』
とにべもなく言い放つ。彼女にインタビューしていたレポーターも絶句してしまっていた。テレビの前で西川は笑い転げ、それを見たミドリは不思議な顔をしていた。
レポーターがインタビューを上手くまとめたかったのだろう。こんな質問を投げ掛けた。
『もしも星の雨に直面したら、どうすればいいでしょうか?』
その一言に彼女は心底、呆れた顔をした。
『星に祈るぐらいしかないわね。そうなったら』
返答に窮するレポーターに、彼女は意地悪く少し、笑んで付け加えた。
『車は使用しない。できるだけ建築物の少ない場所を目指して、ひたすら逃げる。財産を持ちだそうとか阿呆な事は考えない。生きる事だけを考える。多数の人と同じ行動をしない。群れて固まらない。これは当然、群集になればなるほど混乱するから。救助は望まない。星の雨が降ったら、私達天文学者は勿論、レスキュー隊ですらその街には近づけない。絶対に諦めない。諦めて、足を止めたら星に潰されるだけ。月並だけど、それ以外の事は運を天に任せるしかない────』
西川は首を振り、思考を打ち消した。野咲とミドリの手を引き駆ける。さらにスピードを上げる。
地響きを体感する。
星が落ちている。
ガソリンスタンドから火炎が上がる。後少し遅ければ、西川達は火の海に巻き込まれてしまうところだった。
「先生っ!」
「喋るな、逃げろ!」
西川は語調を強める。星が落ちる。その振動に大地が揺れる。次から次へと星は線を引いて、街を砕く。その間隔がさらにスピードを増した。西川は舌打ちする。その横で、ビルが倒壊する。爆風に三人は吹き飛ばされる。が、誰もその手を離さなかった。西川は野咲とミドリを抱きしめる。
「先生?」
とおろおろする野咲に、西川はにっこりと笑んだ。
「怪我は?」
「無いです」
「無いよ」
と野咲とミドリは同時に答える。西川は頷いた。体を離して、また走り出す。まだ幼いミドリには、大人の運動量についていくのもやっとだが、何一つ泣き言はこぼさなかった。西川はそれがありがたくもある。
(アイツがここに俺がいる事を知ったら何て思うかな?)
そんな事を思う自分に呆れる。きっと自分の娘を星の雨の被害地につれて来た事を罵倒するかもしれない。死にたいのなら、西川だけが死ねばいいと言うだろう。本当にそうだ、と思う。西川は一番、犯してはいけない判断ミスをしたのだ。それが悔やまれる。
が、今はそれよりも、星の雨から逃れる事が最優先だ。
星が落ち、砕け、風が暴れ狂う。焼けるように熱いと思った。頭上のビルのガラスが一度に割れる。アスファルトはすでに、原形をとどめていない場所すらある。星の熱で、溶けてぐにゅりと曲がった電灯や標識。そこにはもはや、生きた人の住んでいる証は無い。
西川はあえて、人々が逃げている方向と逆の方向を選んだ。成程、と思う。彼女の意見は正しい。星の雨によって徹底的に壊された街の中では、行ける場所は限定されてしまう。そこを大勢の人が一度に通ったらどうなるか?────その答えが後ろで響く、罵り合いの絵だ。自分こそが先に助かるんだ、とばかりに拳を振りかざす。そうしている間にも星は降る。
また西川の背後に星は落ち-----彼らの喧騒はプツリと消えた。
(これは彼らを見捨てた事になるのかもな)
無表情に心の中で呟く。だが助かりたければ足を止めてはいけない。野咲もミドリもそれを了解してか、文句一つこぼさず西川の後をついて歩く。
雨は豪雨になる。
西川はその足を思わず止めて、空を食い入るように見つめてしまった。
────止まってはいけない。
テレビの彼女はそう警告する。
星が空の上で円を描き、弧を描く。その星の数は百を有に越えていた。西川の背筋に冷たいものが走る。
「冗談だろ?」
西川のその言葉を嘲笑うように、星は一度に落ちる。その一つが西川の頭上をかすめ、公園の木を薙ぎ倒し、一瞬で灰に消してしまった。が、それで終りじゃない。空に第二弾、第三弾と星が渦を巻いている。次から次へと星は西川の頭上で輝き、破壊の音を撒き散らしては、消えていく。その繰り返しに街は徐々に原形をなくしていった。炎が乱舞し、電気は全て停止した。水道管は破裂し、噴水のように吹き荒れる。星の雨にガスは誘爆し、被害はさらに悪化する。それでも容赦なく星は降る。
「先生……」
一度にこの世の終りが来たような気がする。野咲は星の雨の脅威がまさかここまでとは思っていなかった。遭遇しても運があれば助かるとも思っていた。まして天文学者の予報にとりあえず従っておけば、星の雨に晒される事は無い。自分から星の雨が降る地区へ行く大馬鹿者がいるのが信じられない、そう野咲はいつも笑った。
野咲は小さく笑った。ここに一割の奇跡があるとも思えない。野咲は足を止めた。助かる確率はゼロよりも低い。助かるはずがない--------
「野咲君?」
「先生、駄目ですよ。助かりませんよ」
「……」
西川は答えなかった。ただ無言で野咲とミドリの手を引き、先を急ごうとする。
「先生、聞こえていますか!」
野咲は怒鳴った。やはり西川は答えない。引きずるように、ただ瓦礫の山を登っていく。たった30分とたたないうちに、下北地区の行政区域は岩山と化していた。そこにはう、人が生活していた跡は無い。それでも容赦なく夜空に、星は線を引き降り注ぐ。野咲のヒステリックな声をかき消すほどの轟音が、切れ目無く響き渡る。
「先生ッ!」
「……聞こえてる」
「諦めましょう、無理です。運が悪すぎます」
「どうにもならなくなったら諦める。今はまだ何とかなるかもしれない」
「無理です! この星の雨から逃れる事なんか────」
「どうして無理なんだい?」
「先生は本当に逃げられると思っているんですか?」
「逃げなきゃ助からないからな」
「不可能です!」
「だから、どうしてそう思う?」
「逃げても結果は同じです。ただ悪あがきをして、生きる時間が延びるだけです。この星の量、誰一人助かりっこありません」
「悪あがきでもいい。助かる確率に俺は賭けている」
「ゼロより低くても?」
「行動しているうちはゼロよりは高い。諦めたら、それこそゼロだよ?」
「…………」
「俺はミドリも野咲君も、こんな所で死なせたくない。判断ミスしたのは俺だったけど、これも運だったんだろう。過ぎた事を後悔するよりも、先の事を考えよう。この状況の中でも、誰も怪我一つしていない。これは強運と言ってもいいんじゃないか?」
「野咲さん」
とミドリは声をかけた。その声が少し震えている。
野先ははっとしてミドリを見る。怖いのは自分だけじゃない。ミドリも────この子もそうなのだ。それを大人の自分がすっかりと忘れていた。
特に彼女は星の雨を憂うい、幼い時には夜になると大泣きをする子だった。
母親がいないせいもある。甘えたりないと、父親に目で訴えている時が無いわけでは無い。それは女だから分かる直感と言うべきものだったのかもしれない。だが西川にはその信号を受け取るには鈍感すぎた。野咲はできるのであれば、ミドリを救いたいと思ったがミドリが欲しているのは赤の他人の温もりじゃない。本当の母親の体温なのだという事も直感で察知していた。
だからこそ、編集者で無い時の自分は、この父子に受け入れてもらおうと、自分もまるで家族の一員のように振る舞っていたのかもしれない。それを破棄しようとするのを、さっきの自分は躊躇いはしなかった。
「私は」
ミドリの声が枯れていた。疲れも滲んでいる。
「お父さんも野咲さんも、失いたくないから」
そこに、いつもの明るい表情は無い。押し潰されそうで、本当なら泣きだしてしまいたいはずだ。だがミドリは強く西川の手を握り、野咲を見つめていた。そして野咲の手を握る。
「うん」
野咲もまた、ミドリの手を強く握り返した。
西川は野咲とミドリを一瞬だが、強く抱きしめた。ミドリを挟んで、西川の暖かい体温と、焦りを見せない鼓動がトクトクと打っているのが聞こえる。
「諦める事だけは絶対に許さないからな」
「……はい」
「それと、約束しておく」
「え?」
「無事に帰ったら、外食はしないで家で何か作ろう。そっちの方が安上がりだ」
野咲とミドリは顔を見合わせて、思わず吹きだす。そして西川を見て、呆れを訴える溜め息を漏らした。
「何だ?」
と西川はきょとんとする。野咲は失笑して、首を横に振る。
「先生らしいですね、それは」
「そうか?」
と照れている。心底、ミドリは自分の父に呆れた。この状況下でそんな台詞を吐けるのは、世界広しと言えど小説家・西川集一ただ一人に違いない。と、その西川の表情から笑いが消えた。
強く、星が夜空に線を引く。
星は港の方へ落ちたらしい。海から星が弾けた光が、禍々しいほどに光輝く。その光は破壊一色の輝きだ。西川達のいる場所は高台に位置している。だから星の光が波状で街に押し寄せ、周囲の建造物という建造物を溶かしていく様子がはっきりと見えた。
幸い、星の光は西川達の場所に届くことはなかった。────が、のんびりとはしていられない。夜空には何百もの星がさらに増えて、ひっきり無しに降り続けている。
「行くぞ」
と西川は言って、二人の手を引いた。
ミドリはそんな父の背中を見ながら、足を進めつつ、夜空を描く何本もの線を一瞬見上げた。
(いったい何人殺したの?)
嘲笑うように、星は間隙を与えず、落ち続けた。轟音すら街の悲鳴のようだ。ミドリは目を背け、歩く。息が上がるのを父や野咲に悟られないように。
また、星が一つ、また一つと落ちた────。




