君想い 2
「こんの馬鹿弟子っ!!」
先ずババアは俺を殴った。いつもどおりの脳天チョップで。
ばっきんと、音が立つほど頭蓋骨を強打されて、俺は当然ながらもんどりうつ。
「痛……てぇ、超痛てぇっ!」
「やっかましいわ、このうすら馬鹿っ! 後先考えずに行動するのもいい加減にせいっ! 異能者が眼を失うなどと言語道断、荒唐無稽、今日と言う今日は弁解の余地は無いぞ! いい加減己の力量を見極めて動くということを覚えんか!!」
矢継ぎ早に怒鳴られて、さらに横っ面を張り倒される。
物も言えずに倒れ臥した俺の傍から山牙が怒りの声を上げた。
『喜代、やりすぎだ!』
がうと吼えて彼は俺を庇い、護るようにしてその腹の下に囲い込む。土の香りが匂い立った。
怒りに震える低い声が頭の上でろうろうと響き渡った。
『蒼路は衰弱しておるのだぞ! 大体、蒼路の眼が失われたのは蒼路だけの責ではない、半分は姫の責よ! そのことはお主も遙から聞き知っている筈であろうが!!』
「知っておるとも、無論のこと」
『──なれば!』
「なればこそ愚かだと言っておるのじゃ、この馬鹿犬っ!」
ババアは山牙の言葉に覆いかぶさるようにそう叫び、今度は山牙を殴ったらしい。
きゃいん! と聞くも哀れな苦痛の声が耳に届いた。
「ちょ……山牙っ!?」
俺はがんがん痛む頭を押さえながらも全力でババアを非難する。
「ババア、山牙にまで何すんだよっ! こいつはカンケーねぇだろう、責めるなら俺だけを責めろってんだ!!」
「関係ならば大有りじゃろうて」
ふいに、ひやりと背筋がつめたくなるような怖い声をババアは発した。
俺はびくりと身を硬直させた。
全身が、みるみる冷えていくのがわかる。
ババアは短く嘆息した後こう言った。
「蒼路よ。お前はそんなこともわからぬのか? だとしたら本当の愚か者じゃな。──そして緋醒よ、そなたもそなただ」
彼女は山牙を彼本来の名で呼んだ。
悲しい過去を思い出さないようにと、俺は敢えて呼ばない名前だ。
その名で呼ばれて山牙が完全無比に硬直したのが伝わってくる。
ババアは容赦なく続けた。
「主も馬鹿ならお前も馬鹿に成り下がったのか、緋醒よ! 今ここで蒼路を庇うのならば、なぜ蒼路の眼が失われるその瞬間に蒼路を庇うことしなかった!? 仮初めにも主従の契約を交わしたのならば命懸けて蒼路を護るのがお前の命、それすら出来ぬお前に深紅を責める資格などない!!」
『っ』
「違う、山牙は俺の従者じゃ──」
「黙れ青二才!!」
慄然と身を震わせて言葉をなくす、そんな山牙が痛々しくて思わず声を上げた俺を、ババアは三度張り倒した。
吹っ飛ばされた俺は後ろ向きに山牙にぶつかり、そのまま彼の懐に沈みこんだ。
鼻からぬるいものが伝う感触がして、山牙がきゅんきゅんと鼻を鳴らしながらそれを舐め取ってくれた。
……あああもう超頭痛ぇ。ぜったい脳震盪起こしてる。
呻く俺の耳にババアの怒れる声が届いた。
「馴れ合いはいい加減にしてはどうじゃ──蒼路よ」
「……っ、馴れ、合い……?」
「そうよ。深紅に比べればお前がやっていることは飯事にも等しい」
ずきんっ、と心臓が刺し貫かれた気がした。息ができなくなる。
それは一番言われたくないことだった。
深紅と比べられること──つまりは彼女の立場を見せ付けられることこそが、俺のもっとも恐れていることの一つだった。
急速に冷えていく世界のどこかで、誰かが……ババアが、淡々と喋っている声が聴こえる。
「良いか、深紅の行動に矛盾はない。深紅は自分が何者で、どのような立場にあり、だからこそ自分が何を成すか成さないべきか完璧に弁えておる。あの子が迷うことは、けっして無いのだ」
「…………っ」
全身が震えた。
知らずしらず、拳を音が出るほどきつく握り締めていた。
そんな俺の様子を知ってか知らずかババアは続ける。
「此度あの子がお前を傷つけたこととて、裏には正当な理由あってのこと。むろん幼馴染であり朋であるお前を傷つけることはあの子にとっても楽なことではない。それでも深紅は情に流されず、己がやるべきことをやった。それが姫として為すべきことであったからじゃ。──わかるか、蒼路? その強さこそが、あの子を我らの姫たらしめている理由よ」
俺は唇を噛んだ。ああ、わかってるさ。
あいつは姫だ。ゆくゆくは俺たちの主となる身。
ずっと一緒にバカやってられるような存在じゃないんだってこと。
「……緋醒よ」
俯いて答えない俺に呆れたのか、ババアは山牙に声をかけた。
山牙は低くむ、と喉を鳴らしたが、その呼び名が気に食わないらしく、長い尾をぱしりと不服げに床に打ち付けた。
「お前は、深紅を責める前に己の不甲斐なさをまず責めるべきじゃな。蒼路がなんと言おうともお前は蒼路の召還獣。生涯を共にする存在じゃ。馴れ合いでは困難を共に乗り越えてゆくことはできぬし、その甘さが返って悲劇を招くこともある。……お前にはこの言葉の意味が誰よりもよくわかるはずじゃ」
『…………』
「そして蒼路」
黙り込んだ山牙から今度は俺に標的を変えて、ババアは言った。
俺はさらに強く拳を握った。小さな痛みが手のひらに走る。
切ったかもしれない。
「……はい」
低く返事をすると、ババアが目前に座り込む気配がした。
たぶんきちんと着物の裾を払って正座をして、真正面から俺のことを見ているのだろう。
彼女は、言った。
「──深紅の封呪が著しく弱まっておったな」
封呪、という言葉にさらに心臓が締め付けられた。
全身が鉛のように重くて、もう返事するのも面倒くさい。
ただ俯いている俺の目元に、ふいに触れてくる温もりがあった。
びくりと身を震わせる俺にはかまわずババアは続ける。
「……本人に聞けば、精神的なショックのために箍が外れそうになったということであった。今は、本人も落ち着きを取り戻して何とも無いがな。どうせお前はそれで分別を失くして、見境の無い行動を取ったのであろう? 術者の命にも等しい、眼を失うほどに」
さっきまでとはうってかわって優しく穏やかな声だった。
張り詰めていた心にその声は、悔しいがよく沁みる。
「……失いたくて失ったわけじゃない」
俺は思わず憎まれ口を叩いた。
目元に触れているのは、どうやらババアの手のようだった。
なめした皮のような感覚が何かを探るように動いていたと思ったら、すぐに離れて、その後また触れてきた。
「そうじゃろうとも。──だがな、いい加減お前は優しすぎる。情に振り回されてやりたいことをやるのではなく、星師としてやるべきことをやりなさい」
「やるべき、こと……」
同じ事を、ついさっき遙にも言われた。
言葉を繰り返す俺の眼元に、ババアは何か、しゅるりとよく滑る布地のようなものを巻きつけていく。
彼女はそれを、ちょうどハチマキのように俺の頭の後ろで結んだらしい。きゅっと結び目を作る音がした。
俺は指先で目元を被った布地にふれた。滑らかな厚手の布。
「何、これ……目隠し?」
俺が呟くとババアはそうじゃ、と明朗に答えた。
「お前の性格を考えれば、利かぬ視界ならばいっそ閉じてしまったほうが煩わしさが少ないじゃろうと思うてな」
「ああ、まあ確かに」
ババアの指摘に俺は素直に頷いていた。
さっき遙と話しているあいだもずっとそう考えていたのだ。
半端に見えるくらいならばいっそ見えねぇ方が楽だなと。
「戦師であるお前にとって眼が見えないというのは致命的じゃが……いい機会じゃ。見えない状態で戦う訓練をしようぞ」
ババアが淡々と言い、俺はまたしても頷いた。
ちなみに戦師っていうのは、武器を持って戦う星師のことな。
術を使う星師は陰陽師、治療ができる星師は治療師とか、星師の中にもいろいろと分類があって、その内どれかひとつでも道を極めないと一人前には認められないのだ。当たり前だけど。
「でもさ、訓練って武術の? それとも呪術?」
「両方じゃ。無論。おまえの呪術の下手さぶりには珠枝が常々呆れ返っておるからのう」
「ひっ……あ、あいつ、九尾の狐に訓練させるほうがおかしいんだ! ぜったい!」
「おかしくはない。お前はかの星将殿の後継じゃ。望むと望まざるに関わらず、ゆくゆくは五辻からのお召しがある。どれほど訓練を行ってもけっして無駄になることは無い」
「…………」
俺は口を開いた状態のままで硬直した。
言いたい言葉が百万語以上あったのだが、どれを言うべきか本当に迷って、選べなかったのだ。
怒りとも恨みともつかぬ奇妙な感情が体を走りぬけ、体温が上昇してゆく。
たっぷり一分ほどは口をぱくぱくさせたのち、俺はようやっと、こう言っていた。
「……親父の名前は……、出すな」
我ながら血を吐くような言い方であった。
ババアがむ、と喉を鳴らしてしばし沈黙する。
数秒とも数分ともわからぬ間、俺は師匠と無言の攻防を繰り広げた。
だがやがてババアがふうとため息をつき、無意味な冷戦は終わりを告げた。
「まあ、良いわ。……そろそろ休め」
「そうする」
さんざん殴られてぐったりしているので、その一言に俺も素直に頷いた。
手探りで布団の端をつかむと、ごそごそと内に潜り込んで包まる。
と、ババアがいきなり言った。
「──それとな。深紅ならば落ち着いているゆえ問題はないぞ。無理を押してまで会いに行くような状態でもない。お前はここで寝ていることが最善じゃ」
「……俺なんにも言ってないけど」
布団から再び頭だけを出して俺は顔をしかめてみせた。
すると言わなくてもわかるわい、とババアが声を高くする。
「好きなものには見境無く、自己を省みずに直進する──お前の性格なんざお見通しじゃ。と、に、か、く、寝ておれよ。それからしばらく学校は休め」
「えっ!? やだよ!」
ぎょっと声を上げた俺を、しかしババアは切り捨てた。
「馬っ鹿もん、眼が見えないのにどうやって登校するというのじゃ! 無茶も大概にして早く寝ろ!」
「えー!? だって深紅の護衛!」
「遙がおるわ!」
「あいつまだ新入りじゃん!」
「お前よりよほど強いし頼りになるぞ。術も上手いしのう」
「ひでぇ! とにかく嫌だ、俺は行くっ」
「やっかましいわ、とにかく寝ておれ!! ……」
……こんなやりとりをその後十分ほど続けた後、結局、俺は四度目のババアの鉄拳制裁に沈み、容赦なく寝かせつけられた。
就寝というよりは気絶に近いその眠りは、しかしながら深夜も回ったころにふたたび醒まされることとなる。
──深紅が、俺の元にやって来たのだ。