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君想い 1

 

 

「──泣くわけが、ないだろう」

 

 これが遙の答えだった。

 

「……そ、だよな……」

 

 静かに、だがきっぱりと否定され、俺はそれ以上は突っ込めずにただ頷いた。

 ──嘘つけ。

 内心では、そう思った。だけど言えなかった。

 なぜならばその後から遙がひとことも発することなく、黙ってしまったからだった。

 何か知らんが重苦しい沈黙が全身に圧し掛かってくる。

 背中の後ろで、さっきまでぱたぱたと尻尾を振っていた山牙が微動だにもせずに息を潜めているのが感じられた。

 気持ちはわかる。

 指先いっぽん動かすことすら躊躇われるような沈黙だから。

 

「……」

「……」

「…………」

 

 身もだえしたくなるような沈黙の応酬が続いた。

 くそう、と俺はだんだんイライラしてくる。

 なんで遙は何も喋らんのだ。明らかに凹んでるくせにそれを認めないんだ。

 こっちは眼が見えないから余計沈黙が重いのだ。見えてれば少なくとも遙がどんな表情をしてるか、怒ってるのか悲しんでるのかはわかるっていうのに!

 そこまで考えて俺ははたと気がついた。──凹んでる?

 遙が、彼が何を凹むというのだ?

 今凹むとしたら、それはどう考えても遙ではない。身内にも敵にも思いっきり攻撃を喰らってしまって、あまつさえ術者の命にも等しい眼を失ってしまった俺だ。間違いなく。

 しかもそれだけのペナルティを負ったにもかかわらず深紅には結局無理をさせてしまったし、相変わらず詰めが甘くて足元がお留守というか、いつまでたっても弱すぎるこの俺こそが、本来は凹んで然るべきだろう。

 ……だのに、だ。

 どうして遙がこんなに悲しげな声を出す必要があるんだろう?

 

「……おい、遙」

 

 さらにしばらく黙り込んだあと、俺はじりじりと口を開いた。

 胸に湧いた疑問を解決したいという欲求が、この鉛のような沈黙を打破する力を俺に与えてくれたのだ。

 しかし彼はまだ答えない。沈鬱に口を閉ざしている。

 俺はひとつため息を吐き出すと、かりかりと指で頬を掻き、今一度彼を呼んだ。

 確かめるように。

 

「──ルカ」

 

 それは、輝く夏の木漏れ日にも似た音。

 かつて彼の愛する妹が、輝く笑顔で呼んだ愛称。

 

「……っ」

 

 白く幕を通したような視界の向こうで、遙がわずかに身じろぎをしたのが感じられた。

 空気がゆれる。

 ごく小さな衣擦れの音が立ち、ややあって、彼の悔しそうな呟きが耳に届いた。

 

「その呼び方は……ずるいだろう」

「ゴメン」

 

 俺は小さく謝った。

 そう、ずるい。むしろ酷い。

 だって遙はそう呼ばれるたび妹を思い出すのだから。

 もういない、既にこの世を去ってしまった、彼の輝く太陽を。

 

「……でも、それでも」

 

 俺は呟いた。

 遙の気配がするほうに顔を向ける。

 眼が、見えない。

 彼のあの碧の瞳が、豊かな表情に輝く様子が見られない。

 それがとても──寂しかった。

 

「俺は、お前と心が通じ合わないのは嫌なんだ」

「……君は、ほんとに……」

 

 遙は長嘆した。

 快い声が耳を打つ。

 

「……心を奪う名人だな」

「へっ? 何が?」

 

 意味のわからない遙のひとことに、俺は頓狂な声を上げていた。

 すると遙はふっと息を漏らして笑った──ようやっと、笑ったのだ。

 

「そういうところがさ。……アンも、言っていた」

 

 遙は夢見るようにその名を紡いだ。

 眼が見えなくても、いま彼がどんな表情をしているのかは手に取るようにわかる。

 きっと長いまつ毛を伏せて。すっきりと高い鼻梁に淡い切なさが影を落とし。

 輝くエメラルドの瞳で、ここではない場所を遠く見ているのだろう。

 

「君はひどくチャーミングで、だからこそ危険だって」

「ちゃーみんぐ?」

 

 首を傾げる俺の肩に、遙はふいに触れてきた。

 冷えた体に温もりが染み入る。俺は瞬いた。

 

「ハル?」

「チャーミングとは、魅力的という意味だよ。──なあ、蒼路?」

「なんだよ」

 

 呼ばれて即答する。

 と、穏やかな吐息を肌に感じた。

 どうやら遙はかなり至近距離で話しているらしい。

 彼はふたたび嘆息して、それから囁くようにこう言った。

 

「……頼むから、あまりあっさりと傷ついてくれるなよ」

「え? ──あっ」

 

 俺ははっと眼を瞬いた。

 彼が、何を言わんとしているのかふいにわかってしまって、かあっと全身が熱くなる。

 いかん。いかんいかんいかん!

 これは俺の苦手なパターンだ!

 

「蒼路、僕らは」

「ハル……っ、頼む、その先は!!」

 

 必死に押し留めようとした俺を、しかし遙は叩き潰した。

 

「──僕らは君が好きなんだ」

「……っ」

 

 耳を覆いたくなった。

 半ば撃沈しながら、俺はもはやユデダコのように熱い体がさらに沸騰するのを感じる。

 ……こういうの、本当に苦手なのだ。

 自分が話題の中心になるというか、自分に特定の感情が向けられることが。

 嬉しいけど、恥ずかしくて。

 どうしていいかわからなくなってしまう。

 

「だから君が傷つくのは辛いし悲しい。いくら姫を大切に思っていようと、姫の為にいつでも死ぬなどと軽々しく言ってくれるなよ」

「……ハル、頼む……ほんとーにそれくらいに……!」

「蒼路。照れくさいのはわかる。でもどうか聞いてくれ」

 

 身もだえする俺に対して遙は容赦なく言葉を続けた。

 

「君は人には命がけで関わるが、こと自分に関しては全く、ぜんぜん、頓着しない。というよりも孤高なんだろうな。自分は他人を受け入れるのに、自分を他人に開くことはすくない。……だからこうやって自分に関して話をされると、恥ずかしくて居心地が悪くってしょうがないんだろう?」

 

 どうやら遙の雄弁スイッチが押されたようだった。

 こうなったらもうしばらく止まらない。

 うう、と堪えきれず布団につっぷした俺の背をなだめるように山牙の尾が叩いた。

 

「……でも覚えていてほしいんだよ。君の命は君だけのものじゃない。むろん姫のものでもない。君の負う傷は全て僕らのものでもあるんだと、君は自覚しなければいけない」

「きも、ちは、嬉しいけどよ……!」

 

 俺は頭を抱えながら呻いた。

 あああ恥ずかしい。穴があったら入りたい、本当に。

 そんで冬眠したい。

 

「……でも、俺はほんとーに、そんな大層な人間じゃない……! 俺はただ、やりたいことをやってるだけなんだ……!」

「だろうね。わかってるよ」

 

 遙は笑った。

 朗らかで気持ちよい、やっぱりきれいな声をしていた。

 

「──でも大事なのは、蒼路。僕らはただの人間じゃない、星師だということなんだ」

 

 遙は言った。

 俺ははっと息を止めた。

 

「僕達は、普通の人間じゃない。星師なんだ。それはつまり人間である以前に星師であるということで、だからこそ僕達はやりたいことじゃない──やらなければならないことをせねばならないと思う」

 

 例えそれが、自分の意思に反することであったとしても。

 遙は言った。

 俺は身を起こした。白く霞む視界がわずらわしいので思い切って瞼を閉じて、彼の言葉を口内で繰り返す。

 

「人間である以前に、星師……」

「そう。だから、蒼路。頼むから分別を持ってくれ」

「分別?」

 

 俺は問い返した。

 

「そう、常識をわきまえて行動してほしい。──こと姫君に関しては」

「みこう? え、なん……」

「これ以上は、どうか自分で考えてくれ」

 

 とつぜん深紅の名前を出されて困惑する俺をよそに、遙が立ち上がる気配がした。

 衣擦れの音が耳朶を打つ。

 

「おい、遙?」

「ごめん、話がずいぶん長くなった。本調子じゃないというのに配慮が足りなかったな。──いま喜代様を呼んでくるよ」

 

 いいざま足音が遠ざかってゆく。

 俺は慌てて彼を呼んだ。

 

「遙!」

「ああそういえば。姫は後から来るって言っていたよ」

 

 別に聞いてないのに遙はそう言って、遠ざかっていった。

 なんなんだ、と残された俺は心底げっそりする。

 ほんとうに、何をしに来たんだあいつは。

 

「……しかしよく喋るよなあ……」

 

 肺から息を吐き出して、俺は山牙の体にふたたびもたれた。

 なめらかで温かな、土の匂いのする巨体が呼吸に合わせて上下する。

 山牙はぱたぱたと尻尾を振りながらこう言った。

 

『あの男、そなたの言う通りに泣いておったぞ』

「──えっ!?」

『結局は心配だといいたかっただけなのであろう』

「マジかよ……」

 

 驚愕に言葉を失う俺の耳に、ババアが廊下をかけてくる足音が聞こえていた。

 

 

 


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