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発端

 


 この恋が、彼女を守ることに役立つのならば認めよう。

 けれどそうではないのならば──俺はこれを認めることはできない。


 

 *** 


 

 夏休みは例年通り山に篭って珠枝たまえだにしごかれる日々だった。

 今年はそこに新参者のはるかも放り込まれ、二人でサバイバル生活を送った。


 

「結界を張られた山の中……召還獣を取り上げられて頼れるのは己の力のみ」


 

 ざっ、ざっ、と音を立てながら俺と遙は夏の山を疾走する。

 ここはババアの個人的な所有地、ゆえに人の手はまったく加えられていない。

 成長したいだけしました、といわんばかりの茫々の草花、絡み合う木々の根が隆起した道なき道。

 天目掛けて枝葉を茂らせた木々が空をふさぎ、まだ真昼間だというのにあたりは薄暗い。

 そこに時折木漏れ日が降り注いで眼を焼いた。


 

「自給自足の生活に、いつ襲ってくるかわからない九尾の妖狐、くわえて姫がコーチ役。……あー、蒼路。きみを尊敬しそうになってきた」


 

 遙がぼやいた。

 ざしゅっ! と音を立てて眼前に垂れ下がっていた木の枝を切り落とし、そのままそこに絡んでいたみずみずしい果実をもぎとって齧る。ぶどうに似た果実。

 足は止めないまま俺が無言で片手を差し出すと、余った果実がパスされた。


 

「……酸っぱ」


 

 一口齧って顔をしかめた。酸味だけでほぼ甘みはない。

 まさに野性味ってやつだ。

 だがこれでも栄養補給にはなるだろうと一粒二粒腹に収めてから、残りは捨てた。

 口の周りについた果汁を無造作に手の甲で拭い、それからびりっと肌を刺す妖気に気づいて頭上を見上げる。

 ──来た。


 

「遙」

「うん、わかってる」


 

 俺が呼ぶと彼は落ち着いた様子で答えた。

 その言葉通り手の中には既に魔法陣が掲げられている。

 俺は右手の星から抜刀した。同時に頭上の木々の枝葉を突っ込んでくるまぶしい金の物体がある。

 


『──面倒なとこに隠れてんじゃないよ、あんたたちっ!!』


 

 妖狐の珠枝だ。

 突っ込みざま見事な九本の尾を生き物のようにうごめかせ、そこから狐火を作り出すと放り投げてきた。

 俺は足を止めて遙の前を守った。

 刀を真一文字に構え渾身の呪力を迸らせる。


 

「我、星を以って汝が闇を祓う──」

『──ばく!!』


 

 刀身から立ち昇った俺の呪力の柱と、その背後から伸び上がるようにして放たれた遙の術、ふたりぶんの術が合わさって珠枝の狐火とまっこうから衝突する。

 ……が、無論この獣にそんな子供だましが通じるはずもない。


 

『誰が闇だってぇ!? この愚図! 弱者! 大の男が二人揃ってあたしの毛筋一つ乱せないならいっそのこと死んで生まれなおした方がいいやね!!』

 


 珠枝は俺の呪文すら気に食わないようで、橙色の眼をきつく吊り上げ、くわりと大きく口を開いてそう叫んだ。

 同時に狐火の勢いが倍増する。

 あまりの珠枝の暴言っぷりに顔を引きつらせていた俺は、そのまま白い焔に呑みこまれた。


 

「ぎゃー熱っちいぃいっ!!」


 

 余裕もかなぐり捨てて絶叫した。マジで、熱い。

 狐火ってのは性質が悪いのだ、皮膚は焼かないのに内蔵を焼く!


 

「蒼路!!」


 

 凍りつくような叫び声を上げて遙が俺に触れてくる。

 だめだ、狐火に触れちゃ。

 俺はあえぐが遙は聞かない。

 結局ふたりして狐火に飲み込まれて、しばしもんどりうつ羽目になった。


 

『あー、弱い。弱い弱いよわい! まったくいつものことながら、あんたたち相手じゃ暇つぶしにもなりゃしないよっ!』


 

 珠枝はもだえくるしむ俺達を空中から見下ろしてそう吐き捨てると、そのままふんっと面白くなさそうに鼻を鳴らして去っていった。──消火もせずに。

 


「あっ……の……、女狐ッ……!」

 


 地べたに這いつくばったまま俺はぎらぎらと珠枝の去っていった空を睨んだ。

 横では遙が声にならない声をあげて悶え転がっている。

 俺は内側から火にあぶられる感覚に耐えながら片腕を持ち上げ、なんとか遙の火だけでも消火しようと試みた。

 が。

 八月も下旬。修行も終盤を迎えた今、俺達の疲労はピークだった。


 

「……っ」


 

 宙に魔法陣を描こうと試みた俺のふるえる指は、志半ばで地に落ちた。

 そのまま俺は撃沈する。

 あああもういっそ気絶したいのに、この狐火はそれも許しちゃくれねぇ。


 

「……悪ぃ、遙……俺もう死ぬかもしれない」

「……死ん、だ、ほうが、絶対ラクだ……っ!」

「道理」

 


 とかなんとか言いながら二人で力尽きようかとしたとき。

 鼓膜を切り裂くような音と共に、俺達の衣服を掠めた衝撃があった。


 

「!!!」


 

 遙が横で言葉にならない声を上げる。

 俺はもはや引きつった笑みを浮かべるしかできない。

 目の前、本当に瞬けばまつげが触れそうな至近距離で地面に突き刺さったそれは──弓矢だ。

 きらめく黒曜石のやじりが草の間からわずかに覗いている。


 

「──もう、寝ていては駄目よ。修行にならないじゃないの」


 

 麗しい声が頭上から降ってきた。

 それが珠枝のものではないと、聞くまでもなくわかっている俺と遙は、いまだごうごうと身を燃やす狐火に包まれながら何とか身を起こしてみせる。

 目線を上げれば、木立の合間から秀麗な姿を垣間見せる、青鹿の背に腰掛けた少女。

 俺達と目が合うと彼女は──深紅は、にっこりと微笑んで、再び手にしていた弓に矢をつがえた。


 

「さ、起きなさい? でないとお前達の額に穴が空くわよ」

「……殺される……」


 

 愕然とした声を出した遙の肩をぽんと叩いて、俺は再び立ち上がった。


 

「大丈夫だ。半殺しがこいつらの得意技だから」


 

 かくして。

 昼だろうが夜だろうがメシを喰おうが眠っていようが終始こんな調子で、俺達の夏休みは過ぎていったのだった。


 

 ***


 

 修行終了とのお達しがあったのは、それからさらに一週間ほど経った後のことだった。

 報せを運んできた珠枝に問答無用で首根っこを銜えられ、そのままぶらんぶらん宙吊りにされながら屋敷まで連れ帰られた俺達は、最終的に庭の池に落っことされた。

 ばっちゃーん! と盛大な水しぶきが上がり、鯉たちが驚きのあまり飛び上がって噛み付いてきた。


 

「うわーあぁあッ」

「もうやだいい加減にしてくれっ」


 

 反撃する気力すらとうに失っている俺達がぎゃあぎゃあとわめいていると、ようやく深紅が軒先から顔を出したのであった。


 

「あら。お帰りなさい、ふたりとも」

「お帰りじゃ、なくて!」

「助けてくれよ深紅!!」


 

 遙、俺と口々に叫ぶと、彼女は苦笑して庭先へ降りてきた。

 白く冷たい手に助けられてようやく池から這い上がり、苔むした土の上でぜいぜいと息を吐く。

 珠枝が楽しげに笑いながら去っていくのを恐怖とともに見送って、ようやく生きた心地になった。


 

「しかし、焼けたわねぇ」


 

 屋敷に上がる前に、まず深紅の用意してくれた冷たいお冷をたっぷりと飲み、そのあとタオルで体を拭いた。

 そんな些細な行動も、一月山に篭って暮らした後ではなんだか人間らしく感じられる。

 さらに体を拭いた後には濡れタオルが用意されていて、俺達は一月太陽にされされっぱなしだった肌の火照りを癒すこともできた。


 

「遙も真っ赤だけど蒼路はもっと真っ赤。休み明けは別人ね」


 

 深紅がくすくす笑いながら俺の顔に塗れタオルを押し当ててくる。ひやりとした感触が焼けた肌には逆にこたえて、思わず顔をしかめていた。


 

「痛っ」

「あ、御免なさい」


 

 わずか悲鳴を上げた俺に、深紅は眼を丸くした。


 

「染みた?」

「ちょっとな。……ひりひりする」

「だって火傷みたいに赤いもの。蒼路、インド人になれるかもよ」

「やーだーよ。あんま黒いの好きじゃないんだから、俺」

「じゃあちゃんとお手入れしなくちゃね」

「なんだよ、お手入れって……」


 

 ぶつぶつ言いながら深紅に顔を拭かれていた俺は、目線より少し下に位置する彼女の顔にふと目をやった。

 緑の黒髪がやわらかく縁取る、陶器のように艶を帯びてなめらかな肌。

 髪の色と相俟あいまって、それはほんとうに白く見えた。


 

「……お前はきれいだよなぁ」


 

 感嘆のあまり思わず呟いた一言に、しかしその玉肌がみるみる内に朱に染まった。

 途端に深紅がぱっと、不自然なほど素早く塗れタオルを引っ込める。

 え? と俺が瞬いた時には、彼女は既に背中を見せていた。

 上擦った声が耳朶に触れる。


 

「……あ、あとはお風呂で流してきて! もう用意はしてあるから、二人で入ってしまったら?」

「深紅?」

「いやあ、今のはずるいなぁ」


 

 不可解な深紅の態度に首をかしげた俺の耳に、背後から聞こえてきた甘い声があった。

 振り向く。

 遙が片手で口元を覆って考え込んでいた。


 

「遙? なにがずるいって?」


 

 俺がそう言うと、彼はなぜか苦笑した。

 気づいてないんだ、とかなんとか呟いて、更に小さなため息を一つ。

 はあー、という響きが俺の苛立ちを煽った。


 

「何だよ、だから!」


 

 思わず声を荒げると、遙は首を横に降った。


 

「いや。……ただ、仲良しだよなぁと思って」

「はあ? 誰と、誰が」

「そりゃあもちろん」


 

 遙は言った。

 明朗な、断言であった。


 

「君と、姫君さ」


 

 ……思い返せば、この辺りが発端だったような気がする。

 俺に対する深紅の態度が、ちょっとおかしくなり始めたのは。

 

 



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