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巫女

 

「出てこい卑怯者!!」

 

 切断した矢がばらばらと降る只中で俺は大喝した。

 怒り心頭に達していた。激怒していた。

 ブチ切れていた。

 学校のみんなを巻き込んで、意識を奪う術までかけて、あまつさえ遙と深紅の幻影を差し向けてくるだなんてやり方、どう考えても卑怯すぎだ!!

 

「巫女だかなんだか知らねぇが、やっていいことと悪いことの区別くらいつかねぇのか!? お前がやったことは外道の所業だぞ! なんの関係も無い人達を巻き込んで、俺の弱みにつけこんで──こうまでするどんな恨みがあるってんだ‼」

 

 無人の校舎に俺の怒声はこだまを引いて響き渡った。

 叫び終え、息を乱しながら俺は矢が飛んできた廊下の向こうを睨みつける。

 中庭を左手に直進し、突き当たった先は俺が属する一年生の教室棟だ。少し手前に医務室と、上階へ続く階段がある。

 刀を握ったまま俺がまんじりともせずに立ち尽くしていると、やがて敵は現れた。

 さきほどから感じ続けていたあの凄烈な霊力が──その者が姿を見せた瞬間、渦を巻くようにしてさらに色濃く、息が詰まるほどに張り詰めたものへと変化する。

 

「っ」

 

 そのあまりの神聖な力に、俺は怯んだ。

 例えるならば──澄んだ湖が瞬時に凍りついたかのような、空を覆い隠す暗雲を閃光が蹴散らしたかのような、そんな強烈にして静かな一瞬だったのだ。

 俺のすぐ傍に隠れている山牙が恐怖に慄いた。

 だが意外にも、これほどの力を発散しているその中央に現れたのはほっそりと小柄な妙齢の女。

 はっとするほど白い腕に長弓を捧げ持ち、ジーンズにTシャツという軽装に身を包んでいる。

 栗色の直ぐな髪を肩の上で切り揃えて、粋な銀のピアスをしていた。

 こいつが巫女?

 と、俺は思った。ついでになにかの間違いじゃないかと疑った。

 正直な感想だった。

 それほど彼女は可愛らしく洗練された、今風の女性に見えたのだ。

 すくなくとも、外見上は。

 

「……そこまで言われる筋合いはないな」

 

 女性は──射手であるところの巫女は廊下の向こうから俺をまっすぐに見据えて言った。

 彼女の凄絶な霊力と愛らしい外見のあまりのギャップに仰天していた俺は、だがその一言にたちまち怒りを思い出して牙を剥いた。

 

「何だと?」

 

 かっ、と目を見開いて、廊下の向こう側に佇む彼女を睨みつける。

 そして刀を握る手に力を込めて腹の底から怒声を張った。

 

「どの口でそんなこと言いやがる──これだけ周りに迷惑かけておいて? あんたは俺を怒らせた、俺の大事な奴らを巻きこんだ、傷つけた! この上どんな言い訳したって俺はあんたを許さないぜ!!」

 

 迸るような、我ながら驚くほどの大声が出た。

 だがもっと驚いたのはそれを聞いた女の反応だ。

 色白の肌にさっと赤みがさし、よく光る黒目がちの瞳に明らかな憎悪が燃えた。

 彼女は叫んだ。

 

「──先に手を出したのはそっちだろうが!!」

「あぁ⁉」

 

 俺は訳がわからなかった。

 だが相手は、相手もなぜか本気で怒っているらしい。

 こちらに何を言わせる隙も与えずに矢継ぎ早に怒鳴り散らした。

 

「我が道場に土足で踏み入り! 立ちはだかった親父を刃物で傷つけ! あろうことか恐れ多くも神使しんしを奪い去ってゆくなどと……っ! 一体全体どちらが外道だ⁉ お前の言った言葉をそのまま返すぞこのクソガキっ!!」

「ガキ!!」

 

 俺は目を剥いて彼女の言葉を繰り返した。

 いい歳した女の癖になんちゅう喋り方しやがる!

 っつうか、こいつ何の話してるんだ⁉

 

「意味わかんねぇんだよ、とにかく遙と深紅を返せ! でないと俺はあんたを斬らなきゃいけなくなるんだ!」

 

 怒りと苛立ちが最高潮に達した俺は、ついに彼女目掛けて一歩を踏み出した。

 すると彼女は弓を構えた。

 目にも止まらぬ素早さだった。呼吸するのと同じほど自然な動作。

 よほど鍛錬をつんでいないとできない動きだ。

 

「黙れ、クソガキ……!」

 

 ぎらぎらとした目でこちらを睨みつけ、女は矢を番えた。

 俺は動きを停めた。

 彼女の周囲をとりまく霊力がさらにその力を増してゆく。

 竜巻のように渦を巻いて俺を圧倒する。

 

「きさまこそ、麝江じゃこうを返せ」

 

 女は低く這うような声で俺に言った。

 その混じりけの無い憎悪、吹き付けてくる風のような猛烈な殺意。

 俺はさすがに違和感を感じた。

 人間がどういう時にこういう顔をするものか、俺は知ってる。

 

(……このひと)

 

 ゆっくりと、女の細指が弦を引く。

 俺もまたゆるやかに刀を頭上に高く掲げた。

 だが女の眼からは眼を反らさなかった。

 張り詰めた静寂の奥、彼女の瞳に浮かぶ『心』を視る。

 切れ長の瞳。

 それが浮かべるほとんどの感情は怒り。

 だが激情の裏にひそんでいる彼女の真の感情は──

 

(これは──……!!)

 

 はっ、と瞠目した。

 同時に矢が放たれた。

 速い。まっすぐに俺の心臓めがけて飛来してくる。

 彼女の表情に気を割いていた分、俺の動きは一秒にも満たないほどだが遅れを取った。

 矢を切り落とすために刀を構えたが、間に合わないと直感した。

 このままでは射抜かれる。

 避けるために背を反らそうとした、その時、何かが起きた。

 

 突然、空中で矢が砕け散ったのだ。

 

 むろん俺は指一本触れていない。

 だが事実、矢は空中のある一点で何かに手折られるような動きを見せて粉々に砕けた。

 

「……なっ⁉」

 

 射手の女が眼を剥いた。当然だ。

 俺もいまいちど、驚きながら空中を見やって──そして理解した。

 なぜ矢が壊れたのか。

 いや、というか、何に『食いちぎられた』のか。

 

「そろそろ大人しくしてくれないかな」

 

 しんと静まり返った廊下に、耳慣れた甘い声が響き渡った。

 同時に女が奇妙な声を上げて手から弓矢を取り落とした。

 俺は瞬く。

 いつの間にか彼女の喉元に押し当てられた、白銀のきらめきがあったのだ。

 

「貴女にも何か事情がありそうだけれど──生憎とね。友達に手を出されても怒らないほど僕は人間ができてはいない」

「……遙!!」

 

 俺は叫んでいた。

 すると彼も、女を背中から羽交い絞めにした状態で、俺を見つめて微笑んだ。

 ああ、と俺は思う。その瞳が見たかった。

 輝く濃い夏の緑、どこまでも深いエメラルド。

 そして歓喜に思わず笑顔になった俺のすぐ脇から、彼の友であるグリフィンのオーアも登場した。

 空間から巨大な鷲の頭がせり出し、やがては獅子の体が現れる。

 

「オーア!」

 

 再び俺は喜びに叫んだ。

 とどのつまり、さきほど弓矢を食いちぎってくれたのは身を隠した彼女だったのだ。

 

「久しぶりだな! ありがとよ、助かったぜ!」

 

 俺が彼女に話しかけている横では遙に捕えられた射手の女が悲鳴を上げていた。どうやら突如として眼前に現れた異形の獣に驚いたらしい。

 俺はそこで再び、違和感を感じた。

 ……これごときで異能者が驚くなんて。

 妖怪だの悪魔だの魔物だのを相手にするのが生業であるはずの人間が、いくら珍しいとはいえ、グリフィン一匹に悲鳴を上げるなんておかしい。

 さっきも何だかよくわからないことを言っていたし、この女の行動の裏にはやんごとなき事情があると見て間違いなさそうだ。

 だってこの人の、その眼。

 

「離せ! 離せと言ってるんだ、異人!!」

「異人。久しぶりに言われる言葉だな。でもね、離せといわれて離す人間はいないですよ。お姉さん」

「うるさい、私には、お前らと遊んでいる暇なんてないんだよ……!!」

 

 彼女は、自分を羽交い絞めにした遙からなんとか逃れようと暴れていた。

 切り揃えた髪が乱れ、銀のピアスが揺れる。

 俺は彼女を見つめた。すると彼女もふたたび刺すようにして俺を見た。

 怒りの焔が燃える双眸のその奥に──身を切るほどの悲しみが見えた。

 

「……あんた」

 

 俺は眼を細めて彼女を見つめた。

 解せない。

 なんでそんな顔をする。

 傷つけられたのはこちらのはずなのに、どうして傷つけた側のあんたがそんな顔をする。

 考えて俺は、さっきこの人が必死に繰り返していたひとつの言葉を思い出した。

 

(──麝江)

 

 麝江を返せ、と。

 この人は言っていた。憎悪に満ちた顔で。なのに泣きそうな眼で。

 それは誰かの名前だろう。

 この人にとって大切な、何より掛けがえの無い存在の名前。

 麝江って──誰だ。

 俺はそう尋ねようとした。だができなかった。

 

「──どう処分してくれようかの」

 

 ひやりと冷たい声が響いたのだ。

 いずこから現れたのやら、いつのまにか遙の脇に立っている、手足の長い優美な姿。

 波打つ黒髪に赤い唇。

 煌めく黒曜石の瞳は──完全に据わっていた。

 

「み」

 

 俺は全身に鳥肌立つのを感じた。

 さーっと体が寒くなる。

 遙があさっての方向を見やったのが感じられた。

 ヤバイ。これは本当に、相当ヤバイ!

 

「深紅……っ!」

 

 かつてないほど本気で怒った深紅が、そこに居た。

 

 


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