迷宮のritual.
…特異―特別異なる。
つまりそのままの意味。
《策士》虚音五十鈴がそうであるように。
絵を描く、速く泳げる、話が上手、陳腐で駄作なこの私の特異はそういうのとはどこか場所を間違えてしまった。
私は出来損ないなのだ。
汗が顎を伝いびたびた下に落ちる音が聞こえてきそうだ。
ごきり。
関節を外したような小気味いい音が静寂と月の光すら届かない廊下に響く。
暗闇月は死の予兆。
夜9:27 学園内…、がしゃん。
どこかの硝子が派手に割れる音。
まずい。息が続かない。足だってもう1ミリだって進みそうにない。それは《翼手》が翼をしまった音に違いない。すぐ近くにいる。ごき、またあの音。長い渡り廊下の向こうに異形のもの。馬の胴体に蝙の翼、そして最後に人の顔。前衛芸術なそいつはこっちを見て気付いた。《ああ、餌があると。》がつん。リノリウムの床を蹴る蹄の音。力強い四本の足が《翼手》自身を弾丸のように加速させていく。――じっとしてなんていられない、早急になんとかしないと。…けど、今こうして馬みたいに奴が迫っているのにもかかわらず膝はかくかく笑い、体は既に息する事すら億劫だ。それでも後ろを向き無理にでも走ろうと努力する。
「―あ、」
なんて失態。
脚がもつれ地面に伏してしまった。
月の光がリノリウムの床に私の影を映し出す。
常幻月は甘い血の香。
夜9:30 学園内暗い。
蒙昧で、静かで、痛くて、病んでてまるで海の底みたいに。
一体いつもの学校というのはどこにあって、果たして戻って来るんだろうか。
それとも私がどうかしてしまったんだろうか?世界が変わるとき自分は変容しそれを受容する。
いや、しなければならない。
次の瞬間そんな小さきを打ち消す巨大な闇。
そして―、だって変容に耐ええないそれらは残らず死に絶えてきたのだから。
だから…私、急速かつ迅速の即ち刹那。
変容し受容せよ。
死という結果を拒否するかぎり。
さあ、早く急げ迷うな走れ踏み出せ狂ったように。
《策士》たるこの私、今一度考えなさい《翼手》を討つ方法を。
状況を確認。
あの子からの定時連絡無し。
体育館の逆側に目標の《翼手》。
曇りガラスから緩やかにそそぐ月明かりがわずかに《翼手》を照らす。
まだ気付いていない。
いな、気付かせていない。
手元のチェーンマインと呼ばれる連結式敷設地雷を構える。
正面きって勝てる相手じゃないのは既に十二分に理解している。
ぴちゃ。
水がしたたる音?ごり。
《翼手》が何か…。
あ。手が見える。淡い月明かりのなかいっそう白いその物体。なるほどね、食事中ですか。人に似た顔がごりごりとぞぶりぞぶりと肉を咀嚼する。大きく裂けた口から滴り落ちる何か…吐き気がする。大きく裂けた口から飛び出した腕…何かがマヒしてしまったのか、それとも私は既に変容したのか、もう何も感じなかった。チェーンマインで爆殺するにはなかなかにいいタイミングだ。体育館の中央まで進む。この体育館は掌握している。さて…、戦闘が始まれば確実に《結界》が無くなりこちらの存在は敵の知るところになってしまう。しかし隙だらけの今を逃すことは策のためできない。幾つにも連結された地雷をハンマー投げの要領で《翼手》に打ち込む。二、三個の地雷が《翼手》の腹部に設置される。バチン。タイマーが起動した電子音が響く。時限式にしないと私の機動では爆発に巻き込まれてしまうからだ。駆け寄りそのまま返しでもう一撃。残りを投げ付け振り向きざまに伏せる。そして―、ぶしゅっとか、ぶつっとか肉を裂く音や血管の破裂する音が爆発と同時に私の鼓膜を震わす。肉を焼いたいやな香り。立ち上がり腰の銀の杭を持つ。やつらは銀以外では死なないのだ。つまり、これを打ち込めば私の勝ち。《翼手》は動かない。破れた腹から内臓がはみ出している。
「さあ、終わりです汚らわしき神の末裔。」
ぎちぎちと歯の根があわない口が痙攣している。
「まったくどうしてしぶといですね。」
胸に杭をあてがう。
先端が肉にへこみを生むのには全体重を載せる必要があった。
――――、そして、ヴァアァァァァァァァァアアアアアアアァァァァァァァァアアアアアアアァァァァァァァァアアアアアアッあらがい。
もがき。辛苦に喘ぐ。《翼手》が叫びとともに立ち上がる。傷口から幾つもの人の腕、脚を模倣したモノが生えてくる。まったく、ぶさいく。これは少々予定外。私は早々に後ろに走る。と、ほんの些細な時間の後で、思考の変換すら出来ない間隙に、背中に何かが触れた。次の瞬間焼け付くような痛み、痛み、痛み。そして弾かれた。なんとか受け身はとったものの壁に体を強かにぶつけた。…速い。振り向く間もなくひずめが私の顔を凪いだ。ぐっと顔だけが地面に引き寄せられる。首の筋が悲鳴をあげた。視界がホワイトアウトを起こし耳鳴りが止まない。体が…まずい、思考が微睡む。
「…先輩。」
あの子の声がした気がした。
右腕が持ち上げられる感覚。
噛まれてる?僅かな痛覚に視界が晴れる。
だから策を講じて晒して結果を出力しなければ。まだ、変容は、間に合う。
「琉邦!御柳琉邦っ!!返事なさい!仕事ですよ。」
制服のポケットに隠したナイフで《翼手》の額を刺す。
浅かったとはいえ肉がすぐに固くなり刄はてこでも抜けなくなる。痛みで《翼手》の身が仰け反る。
「…覚醒してっ!!」
私はあらんかぎり叫んだ。
七つ夜に嗤い。
策士、策に溺れず。
夜9:33 学園内琉邦!――ああ、私の名。
五十鈴先輩、呼んでる?暗い。
けど何だろう熱い。
焼ける。ああ―、これは赤だよ。よく知ってる色。こんなに赤いとあれが目覚めそうだ。私の特別。特別な特別。屍タル徒ヲ幾千ヲ討テ伐セヨ恒久的ニ素早ク的確ニ絶対的ニカツ灰塵ヘト壊シテシマエ。叫んでる。いつもは無視することにきめてるそいつ。
「かはははは。」
しかし。あぁ、可笑しい、まったく死を意識するだけで絶頂を感じそうだよ。私個人の存在が喪失するかも知れないこのスリル。命は大事にしちゃあいけない。大事にしても澱み腐りやがて本当の意味を失う。比較対象が強烈な程に意味は心に灼き尽くというものだ。…だから死が私の隣で囁く程に胸が高鳴ってしまう。
「さあ、《翼手》私はまだ死んじゃあいないよ。腹に収めたら満足か化物?胴を千切れば殺したことになるのか?甘いよ。なら、いまこうして話しているのは誰であるかな?赤だ、赤が早くみたい。きみはもういい死にたまへよ。」
線に区切ってやる。
乱暴にその辺に手を突っ込んでやると肉が裂け光が射す。
薄い皮膜を破り。
肉を裂き外に転がりでた。
造作もない。
奴の体液を拭い奴をみれば苦しそうにもがいている。
腹に何本か腕をあてて傷口をふさいでいやがる。
「いやしいな…もっとあらがえよ、そしてかかってこいよ。私はまだ貴様に喰われた右手がかえってきてないのに。」
まあ、左のみで十分。横目にみるとすっかりぼろぼろの先輩。
「っは!《策士》がヘマしましたね。」
死なないかぎりはすぐに治るから怪我は大したことになりはしないだろう。
しかし人って奴は脆いからね、気を付けないと。
「さて、《翼手》ばらばらだ。」
そういうと奴も気付いたらしい、顔をあげて私を見る。
恐怖に濁った瞳。
それはこういう言葉を感じさせた。
ナンデイキテルノ?なんとも加虐心を誘ってくれる。まるで小動物の眼じゃないの。
「君にも恐いがあるんだ。」
《翼手》が頭を低く突撃を敢行する。
愚かしいよ、考え無しなんてこの状況では悪手。
自分自身を殺してしまう致命的ミス。
《策士》が満足げに笑っているじゃないか。
あぁっ!つまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらんまったくの愚図め!
「なんだってこう…お前には、興醒めだ。こんなことなら五十鈴一人で十分じゃないかっ!」
奴はもう終わりだ。
「策には抜かりは許されないわ。琉邦ちゃん、いいえ、《神様》。」
「抜かり?冗談いうなよ。いつだって五十鈴はそうだ。結果奴らが死ぬという事実さえ合っていればいいのだから。抜かりだらけじゃないかよ。」
「疑わないでよ《神様》、抜かりなんて無いといつもいってます。」
体育館の隅で《策士》は大いに笑った。
哄笑して爆笑して最後にほくそ笑んだ。そして徐々に体を締め付けていく空間。
「さよなら。」
月の光に彩られた蛛の巣のような空間が縮退してくる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
五体バラバラ。
首から下が隣にいたり頭の上に脚があったり。
《翼手》は《翼手》で賽子みたいに細々となってしまったり。
「さて、お片付けしませんと。」
五十鈴が嬉しそうにはにかんだ。
なんともまあ可愛らしい笑顔をした。
特異…《特別》があぁ、私なんて甘いもんだよと溜め息つく。
私もつられて溜め息ついてしまったよ。
それはひどく暴力的で自虐的。
赤い血流れて嫌になるし、世界にあまなす全ての刄が喉元に突き付けられる。
それでもなんとか笑っていけそうだ。
ひどく不細工で形崩れ、気に食わないこんな世界だけどまだまだ楽しめそうじゃん。
そう想いながら私は特異気に笑ってみせた。
初作品で二年くらい前に書きました。拙い文章でどう仕様も無いですが短いので暇つぶしくらいになったら至極幸せな事です。