8話 エスセリアレ
ハルトは依頼をつまらなそうにながめていた。
依頼にはランクがある。
これは難易度を示すものだが誰が何を受けても問題はない。
命の保障はないが。
依頼を受けるためにはその依頼を買うという意味を込めて金を支払わねばならない。
ランクがあがるごとに契約金は高くなるので、結果自分に見合った依頼を受けるようになるのだ。
Fランクの依頼はかなり簡単なもの――ゴブリンの討伐とか、薬草摘みとか――しかなく受けるとしたらD以上だな。
といっても無理に受ける気はない。
ハルトが現在持っている素材――リザードマンとドラゴン――であまり金が稼げなかった場合に限り依頼で補充するのだ。
さっきと同じ女の子の場所に行き、並ぶ。
素材を売りに行く。
ハルトがバックパックから取り出してカウンターに置いていくと、見るみる店員の視線が険しくなっていく。
「これを、あなたが狩ったのですか?」
「そうだけど、なんか問題でもあった?」
「いえ……」
蔑むような視線がハルトに注がれる。
(何か狩ってはいけないモンスターを狩ったとかだろうか?)
だとしても蔑まれるのは少し違うと思う。
結局理由が見当たらないのでハルトの心にいらだちが生まれただけだった。
変に何かを言って問題を起こすつもりはないので顔には出さずあくまでもにこやかにする。
引きつった笑顔にも見える。
女性は一つずつ鑑定をしていると、隣から一人の少女が顔を出す。
猫耳が生えた、獣人の少女。
ハルトは一種の感動を覚えた。
この世界に来てから人間に変化しているモンスターではない獣人だった。
耳もふもふしたい、とハルトは間抜けな笑顔になった。
獣人の女の子は女性に仕事の話でいくつか質問しているようだ。
その時、獣人の女の子の目がハルトが持ってきた素材に止まる。
こちらも同様に視線に敵意が混じる。
ハルトの担当をしていた女性が慌てて止めに入ったが、すでに獣人の女の子はカウンターごしにハルトの胸倉を掴んでいる。
「泥棒野郎が!」
獣人の女の子の叫びは、ギルド一階に響き渡る。
ハルトはあまりの事態の展開についていけず頭の中で言葉を咀嚼する。
言葉の意味を理解してから、ハルトには怒りが生まれた。
「勝手に、泥棒扱いすんなっ!」
胸倉に伸びた白い手を払い落とす。
それでも獣人の女の子は引かない。
むしろさらに目を鋭くして突っかかってくる。
「何が、泥棒扱いするな、だっ! なんで今日冒険者登録した人間がランクB、C相当のモンスターの素材を持ってきてるんだっ!」
言いがかり過ぎる。
何の証拠もないのに決め付けられたハルトは正面から睨みつける。
「俺が倒して持ってきたんだよ! 悪いかっ?」
俺が倒した、と言った瞬間、ハルトの素材を鑑定していた女性店員やその他ギルド一階にいた冒険者たちから一斉に視線がぶつかるのを感じる。
ハルトはなんでこんなにアウェーなんだ? と疑問に思いながらも獣人の女の子を睨むのをやめない。
「嘘だ! てめぇ、これを誰か強い冒険者から盗んだだろっ!」
「いや、違うけど」
そもそも強い冒険者から盗むのだって一苦労のはずだ。
獣人の女の子は、そこまで頭が回らずより荒れる。
「違わねぇっ!」
この世界では人を見たらまず疑えとか教えられて育っているのだろうか。
ハルトは明後日の方向へ悩みだした。
「てめぇ、犯罪者か! おい、みんな武器を持て! 捕まえろ!」
(勝手に突っ走るな! 俺の話を聞けよ……)
言っても無駄なことは分かった。
ハルトは我慢していた怒りが身体の中で形作っていくのが分かった。
女の一声で依頼を探していた人物は武器を持ち、ハルトを囲むように動き出している。
無駄に動きが早い。
がたいのいい男や杖を持った男などがハルトを逃がさないように囲んでいく。
一見しただけなら彼らは強そうだ。
――犯罪者? 何をしたっていうんだ。勝手に疑って、勝手に結論付けて。どんだけ自己中なんだよ。
ハルトは段々と腰に手を伸ばしていく。
手が刀の柄に触れ、握る力が増す。
暴れても文句は言えない立場なはずだ。
だが、人を傷つけると体が自覚したとたんにうまく力が入れられなくなる。
身体が震え始める。恐怖ではない。
相手は人間だ。
ハルトは何度かレングとの訓練の際に襲ってきた盗賊を殺したことはあったが慣れることはない。
今は殺すつもりはない。
それでも、喧嘩さえ嫌いなハルトにとってはこの状況はかなり体に悪かった。
正当防衛にしよう。
相手が攻撃してきたらカウンターを入れるだけにしよう。
幾分心が落ち着く。
全員がじりじりと迫ってくるのを認めて、腰から刀を外す。
「全員! とつげ――」
獣耳をつけた女の宣言に。
――別の女の美声が被る。
「やめなさい」
頭に血が上っていたハルトの熱が一瞬で冷めた。
水をぶっかけられて頭を冷やすよりも早い。
綺麗な声だった。
心に安らぎを与える、葉と葉が風に揺られて作り出す音のような声。
彼女の美声により、辺りに立ち込めていた怒気が消えていく。
ハルトは周りの変化を察して、疑問を抱かずにはいられない。
怒気がなくなっただけでなく、全員がしまりのない顔になっていた。
激しい剣幕で襲い掛かろうとしていた顔はどこにもない。
一番の驚きは、
(全員が、武器を納めた?)
何かの魔法、なのか? 戦闘意識を削ぐものとか。
この異常事態に近いおかしな状況も説明がつく。
ハルトは全員が顔をある場所に向けていることに気づく。
視線が集まっているのはギルドの入り口から離れた二階にあがる階段。
そしてそこには。
女性がいた。
女性の顔を見た瞬間に体中に鳥肌がたった。
決して嫌悪感ではなく、感動したときのものようだった。
芸術に対して学はないが、ハイレベルの作品を見たときに味わうものに近い。
周りの男女問わずが腑抜けのように頬を緩ましている理由が分かった。
ハルト自身、見ているだけで背中にぞくぞくと甘美な快感がこみあげてくる。
いるだけで他人を興奮させる。いるだけで他人の心に幸福を贈る。
だけど、ここで取り込まれたらまずいと本能が警鐘を鳴らす。
これは『魅了魔法』なのだろう。
モンスターの中には相手を魅了して食べる賢いやつもいる。
ハルトはレングに魅了の魔法の話を聞いていて、その手の魔法に耐性をつけるために何度も訓練をしていた。
具体的にはレングがブラックドラゴンに頼み――ブラックドラゴンは魅了の魔法を使える――訓練をつけてもらった。
もしもハルトが魅了魔法に負けたら好きにしていいという理由つきで。
ハルトは自分の人生がかかっているという精神状態で。ブラックドラゴンはハルトを自由に扱うために。
互いに本気をぶつけ合った結果、かなり高度な訓練を行えた。
そのおかげで、完璧とまではいかないがハルトは心を掌握されることはない。
階段をゆっくりと降りてくる美女の、木を踏み鳴らす音を聞き何人かの男が床に崩れ落ちる。
幸せそうな顔つきで。
わずかにざまぁみろと思ったハルト。
ハルト自身、彼女の一挙手一投足に目が離せていないが。
「なんでこんなことが起こっているのかしら?」
一度ハルトに顔を向けて、それからハルトを囲っている人たちへ視線を投げる。
目が合った瞬間に心がはねた。
可愛い。手をつなぎたい。抱きしめたい。キスしたい。自分の物にしたい。
様々な感情が身体の中で渦巻き、ハルトは――慌てて自分の顔を叩く。
(あ、あぶねぇ。飲み込まれるところだった)
「そ、その。そこの冒険者が犯罪者で……」
獣女はさっきよりも態度が小さい。
本来魅了魔法は異性に対して絶対的な力を誇るというのに女性にまで通じている。
美女が使用している魅了魔法のレベルはかなり高いようだ。
ハルトは見惚れかけながらも警戒心を高める。
「犯罪者? 何をしたのかしら?」
「素材を盗み、ました……」
「そう」
まだ、ハルトが犯人だとほざく獣人の女の子に歯噛みする。
いい加減にしてくれとため息を漏らす。
ゆっくりとだが再び怒りが戻る。
ハルトはその怒りを抑えるようなことはしない。怒りの感情を利用して魅了魔法に対抗するために。
とにかくあらゆるものに怒りを覚える。
なんであそこに時計あるんだよ。なんでそこの男イケメンなんだよ。なんで俺はモテないんだよ。
かなり理不尽ではあるが、ハルトの心を怒りが占領していく。
同時に悲しい気持ちも生まれたが気のせいだとハルトは首を振る。
魅了魔法は心の穴をついて攻撃するようなものなので、心を完全に一つの感情で埋めることが出来れば多少効きづらくなるのだ。
女性はすたすたとハルトの方へ歩いていく。
目の前で改めてみると美女が本当に美しいのが実感できる。
顔は文句なしに可愛いくもあり綺麗であった。
光を負かす銀色の髪に勝気に燃え盛る紅蓮の瞳。
潤いをもった唇がさらに彼女の美しさをあげる。
緑色のワンピースを着ている。足がちらちら見えるのに、ハルトはさらに鼓動を早くする。
少しの間だけど旅をしたイーティもかなりの美人だったが。
目の前の彼女は、遥かに超えていた。
ただそこにいるだけで相手を欲情させるチートに近い魅力。
綺麗な曲線を描いた大きい瞳は俺を値踏みするように、細められる。
一番気になったのは耳が鋭く長いことだ。
鋭い耳が彼女の品格をさげることなく、さらに昇華されている。
ハルトのゲーム知識を使い、答えを出すのなら、エルフが一番近いな。
「あなた泥棒?」
彼女は、ハルトが犯罪者じゃないと分かっているのか、からかうように笑う。
笑顔に頬が赤くなるのを感じたハルトは服の上から太股をつねる。
「だから、違う――違います。誤解なんです」
相手の雰囲気から年上だと判断したハルトは即座に敬語へと切り替える。
「誤解?」
「そこの女が勝手に泥棒にしたてあげたんです」
僅かに不満を含ませて言う。
素材を売ろうとしただけなのに攻撃されたのだからハルトが怒るのは当たり前だ。
誰だってやってもいないことで罪を着せられたら怒るはずだ。
いちゃもんをつけてきた獣女を指差すと、獣人の女の子はさっきまでと打って変わり殺気だつ。
まだ、疑っているようだ。
「嘘を吐くなー!」
「あなたは黙っていなさい」
ぴしゃりと言明して獣人の女の子を眼中から外すように、ハルトのほうへ何度見ても飽きない容貌を見せてくる。
近場で直視してくるのでハルトは熱が上昇してくるのを感じ顔を逸らす
男として恥ずかしがっている姿を見せるわけには行かないんだ、絶対に。
「つまり、あなたが冒険者として登録したばかりなのにBランクモンスター級の素材を持ってきたのがおかしい、と」
さっきカウンターの上を見ていたのかある程度の事情は理解できていたようだ。
「あなた、名前は?」
「ハルト、です」
「私は、ここのギルドマスターでエスセリアレ・ウィンドリアよ。無礼は謝るわ。その素材を持って三階の私の部屋に来て」
微笑されてハルトは身体から湯気が出たような気がした。
「へ? あ、あぁ」
ハルトはいそいそとバックパックに荷物をつめる。
と、とと無意識のうちに急いでしまい素材をバックパックから外して地面に落とす。
慌てて拾い上げる。
美女に部屋に来てくれないか、と言われて喜ばない男はいないと思う。
ハルトもわずかに浮き足立っていた。
「ふふふ。もう、いいかしら」
エスセリアレが一言呟くと、場の空気が変わった。
静かな場所が、がらりと百八十度回りざわざわし始める。
「エスセリアレさんの部屋だと!?」「あの怪しい男はもしかして……彼氏か?」「いやいや、自己紹介してたぞ。というか、ずるい! 俺も一度くらい入ってみてぇ!」
騒がしいなんてものじゃない。
欲望交じりの童貞冒険者たちは涙を流しながら、ハルトへ敵意を含んだ睨みをぶつける。
先程とは敵意の意味が変わっているが。
超絶うるさい今の状況は魔法を解除したからだ。
魅了によりほぼ操られているような状態だった人々が解放されたのだ。
好き勝手騒ぐに決まっている。
魅了魔法を解除してくれるのは気を張らなくて済むのでいいけど、場が息を吹き返すのはやめてもらいたい。
とにかくこれ以上いるのは自分にとって不利益でしかなり得ない。
ハルトさっさとエスセリアレの後を追っていくことにした。
エスセリアレの髪から発生する花の香りを追いながら木できた階段を踏み登っていった。