11話 違い
こっちの世界に来てからハルトは早起きになった。
正確にはならざるを得なかった。朝はレングに叩き起こされ朝食前に訓練。
朝食を終えたらそのまま僅かな休憩を挟むが夜までずっと訓練。
夕飯食べたら食後の運動。
強く慣れたのはいいが、毎日ボロボロだった。
集落からでた今も早起きなのには理由がある。
夜遅くまで起きていてもやることがない。
地球ではゲームなどでむしろ夜の時間を延ばしてもらいたいくらいだったけど、こっちにはそういった娯楽がない。
魔石を利用した電球のようなものがあるので夜遅くまで起きていることは可能だ。
実際エスセリアレは昨日の夜は随分と遅くまで仕事をしていた。
寝巻き用の薄手の服――簡略化された浴衣のようなもの――のままギルドの屋上に向かう。
ギルドの屋上には物干し竿がある。
エスセリアレから使っていいと許可をもらっていたので夜のうちに一張羅を洗って干しておいたのだ。
太陽はまだのぼっていないが空は明るみ始めている。
鳥の声が聞こえたりするのは地球と変わらない。
気分をよくしたハルトは体を動かす。
といっても激しいものではなく準備体操のようなもの。
いっちにー、さんしーと声に出して身体を捻ったりする。
朝の涼しく綺麗な空気の中での運動ほど心を癒す物はない。
心も体もリフレッシュをしたハルトは干してあったシャツとズボンをもって部屋に戻る。
軽くタオルで汗を拭いてから、愛用の衣服に身を包む。
やっぱりこれが一番落ち着くとハルトはかっこうつけてみる。
こちらの世界の服も悪くはない。
生地は地球にはないモンスターの毛皮を使用したものが多いが、どれもいい生地で肌を傷つけることはない。
現在時刻は大体午前五時くらいか。
時計がないのはやはり不便で買いたいと思うのだが結構値が張る。
バックパックと同等か、それ以上。
なくても困ることはないので、買うのは先延ばしにしている。
出発はかなり早い。
今日の日程は朝一番のハルカニア北入り口でにあるスクル行きの馬車があるので、それに乗る。
ここから北の位置にあるスクルはここの数倍大きい街だそうだ。
ハルカニアもちっちゃくないのに数倍大きいとなると……想像がつかない。
素材用のバックパックをズボンの右ポケットにしまい、食料用は左ポケット、アニムスブレードは腰に差す。
準備は整った。
ハルトは部屋を出て、静かな廊下を音を立てないように歩く。
階段にやってきて、三階から一階まで降りる。
すでにそこにはイーティとエスセリアレが待っていた。
エスセリアレは優雅に背筋を伸ばして、立っている。
相変わらず所作の一つ一つが美しいのだが、本性を知っているハルトはすごい猫かぶりだな程度にしか感じない。
一方のイーティは眠そうに欠伸を手で隠したり、長い髪の所々の寝癖を必死に手で押さえつけたりと急がしそうだ。
「あら、寝坊しなかったのね?」
ギルド一階の壁にかかっている時計が指す時間はⅤ。つまり五時だ。
うん、ある程度はあってたな俺の勘。
ハルトは時計のない生活を長く送っていたおかげで今何時くらいかなと分かるようになっていたのだ。
なくても困ることはない、進化のようなものだ。
「まぁな。でもあんたは確か結構遅くまで何かしてたよな? 眠くないの?」
「あら、気遣ってくれてありがとうね。でも、私は問題ないわ」
上から下までを眺めるが、確かに元気そうだ。
「イーティは問題ありそうだけどな」
「イーティは寝坊したから叩き起こしたわ」
叩き起こすって言葉そのままなのだろう。
吹き飛ばして起こした可能性もある。
ぶるぶると震慄がハルトを襲う。
しばらく話をしていたが、エスセリアレが時計を見る動作に気づく。
「そろそろ時間ね。私は仕事があるからここまでしか見送れないから……イーティをよろしくね」
にこっと大抵の男がノックアウトする艶然をハルトはさらりと流して、「わかった」と返事をする。
「イーティ、行ってきなさい。……もう、悪戯はしないわよね?」
悪戯といったときのエスセリアレの表情がやけに怖かった。
猫かぶり怖い。普通の猫な女の子がいいな。
ハルトは獣人の女の子を思い出す。
「い、イエスですわ。ええ、もうしませんわ。ええ、……たぶん」
「何か言ったかしら? 最後に聞き捨てならない言葉が耳に残ったのだけど?」
余計な抵抗心を見せないでくれ、イーティ。
ハルトはこんな場所で一方的な虐殺を見たくない。
「な、なんでもないですわ。それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。風邪には気をつけるのよ」
「分かりましたわ、ママ」
「だから、ママはやめなさい!」
家族っていいよな。
今俺の家族はどうなっているんだろう。
ふと思った。
ハルトのやりたいことを優先してくれるいい父母で。今、どうしてるんだろうな。
俺のことを探してくれてるかな?
二人のやりとりを見ていたハルトはより一層地球に戻りたい気持ちが強くなった。
「んじゃ、あんたのお子さんはしっかり送り届けるよ」
ハルトは人に頼られることは嫌いだ。
頼られる=信頼するということになる。
ハルトには信頼に答えるだけの力はない。肉体面ではこの世界においてハルトは最強に近い存在だ。
だが、肉体と精神の強さが違いすぎる。
でも、今回だけは頑張ってみよう。
誰かが傷つかないで済むのなら――と。
目の前の家族の絆が引き裂かれないように努力しようと思った。
「よろしく頼むわ」
エスセリアレの信頼した笑顔を受けて。
やっぱり頼られるのって苦手だなと感じた。
並んで外に出たハルトは、道が分からないのでイーティに任せて後を追う。
「そういや、イーティはいつの間に準備を整えたんだ?」
昨日はエスセリアレに説教をくらっているところしか見てなかったハルト。
「ママが、準備をしておいてくれたのですわ」
「へぇ」
さすが、『ママ』だな。
くっくっくと笑いながら、ハルトはイーティの装備を見る。
ドラゴンと戦ったときにつけていた剣を腰に下げている。
鎧は壊れたのか、篭手だけを装備したすごい軽装だ。
ハルトは人のことなど言えた身分ではないが、心配になってくる薄い防御膜。
「ちゃんと感謝しろよ」
「分かってますわ……だから、ここで働きたいのに……」
「働きたい?」
そういえばこの街に来たのも母のギルドに入りたくて、だったな。
随分と先を考慮しているイーティから目を逸らしたくなる。
「小さい頃にママに拾ってもらってそれからずっと迷惑かけてばっかだったの……だから、力になりたくて――」
「結果迷惑かけた、と」
「うぐっ」
何かが詰まる音を出したイーティの方は見ずに、ハルトは……。
「別に、悪い意味でいったわけじゃねぇぜ? 俺だって、たぶん同じようなことやったと思う」
周りの人を見て、周りの人の失敗したところは実行せず、成功したところだけを実行する。
今回、イーティが成功していたらハルトはどこかで同じようなことを行っていたはずだ。
失敗は怖い、失敗はすべてを無に帰す。
だから、今回のイーティの真似はしない。
「そう、ですの?」
「まぁな。難しいこと考えなくていいんじゃないのか? できなければ別にいいじゃねぇか」
ハルトはたぶん、恐れているんだ。
イーティは夢を持っていて、そこに真っ直ぐに進んでいる。
やり方は間違えていたかもしれないけど懸命に一途に。
でも、ハルトは――目的はあっても夢はない。
地球に帰りたいのは、色々理由はあるが故郷だからが一番適していると思う。
そして将来の夢なんてものは一度も持ったことはない。
夢を持つ人間が羨ましくて、妬む人間がハルトだ。
将来の夢なんて誰かに話したりしたくないし、そもそも話せない。
イーティはハルトのないものをすべて持っている。
それが、羨ましくて怖かった。置いてかれるような錯覚を感じた。
だから、自分と同じように前に進まず、足踏みさせるためにさっきの冷水を浴びせるような言葉が口から出たのだろう。
――最低だな、俺。
力はあっても心は弱い。
力があることさえ、ハルトには恐怖の対象だ。
「できなければ、別にいい。ですわ?」
「語尾がおかしーぞ」
ハルトはいつものキャラを演じるためにニヒルな笑いを浮かべる。
そもそも、ハルトが弱いのはこれがすべてかもしれない。
自分の感情は決して表に出さない。
いつも演じているへらへらしたキャラはすべて本当の自分を隠すための仮面のようなもの。
だからこそ自分の感情を前に出す人間がバケモノみたいに感じるのかもしれない。
ハルトは道を知らなかったがイーティよりも前に歩き出す。
後ろにいたくない。物理的にでも自分の方が上の人間だと証明するためにひたすら先を歩いた。
「それは、ちょっと違うと思いますの」
ハルトは、無視すればいいものをイーティの言葉に振り返る。
「できなければ、別の方法を模索する。失敗が怖くて前に進めないのは臆病者ですわ」
――臆病者。
ハルトに対して言ったのか、イーティが自分に言ったのか分からないが、ハルトの心に深く残った。
剛毅な性格のイーティには意味のないことだったらしい。
「失敗が怖くないのか? 図太い神経だねぇ」
「なら、ハルトは失敗したらすべてあきらめるんですの? そんな臆病な人間なんですの? だとしたら、少し拍子抜けですわ……ドラゴンを倒した姿はかっこよかったですのに」
「臆病、ねぇ」
臆病が悪いこととは思えないけどなと言い訳を作る。
戦いでは適度な臆病は必要だ。無鉄砲に死を恐れない戦い方では一生かかっても強くはなれない。
事情を何も知らないくせに好き勝手言わないでくれと論駁してやりたいが、それはハルトも同じだ。
何も知らないでイーティと会話した時点でその権利はない。
「ハルトは……」
妙に気落ちした声のイーティからハルトは視線を外す。
顔を見られたくなくて、相手の顔も見ていたくなかった。
「いえ、なんでもありませんわ」
自己解決したのか、それ以上は聞かずにハルトの横に並び案内を始める。
後ろから追うわけにも行かずに前に抜き出るわけにもいかず、隣でずっと色々なことを考えていた。