結婚初夜、「君を愛する!」と鼻息荒く迫られると それはそれで……
結婚初夜の寝室。
夜着に着替え、広いベッドの端に腰掛けながら、私―—アニエスは静かに自分の膝の上で重ねた手を見つめていた。
月はすでに高く昇り、夜もずいぶんと深まってきた頃合いだ。
婚姻の儀と、息の詰まるような祝宴をようやく終え、それぞれが身だしなみを整え終えてから、それほど時間は経っていない。
普通であれば、そろそろ新郎が訪ねてくる頃合いだろう。
(……とはいえ、来るのかしらね)
私は自嘲気味に息を吐いた。
私の夫となった男――レナードには、女の噂が絶えない。
常に冷静沈着。
その冷たい眼差しに、整った美貌をもつことから”氷の貴公子”と呼ばれている男だ。
何人もの女性と付き合ってはすぐに別れるといった事を繰り返しており、数々の令嬢を泣かせた遊び人とも噂されていた。
対して私は王立学園に在籍中、派手な社交に目もくれず、ただひたすら勉学に励んで学年首席の座を維持し続けただけの女だ。
令息たちからは陰で「可愛げのない、頭でっかちな地味女」と蔑まれていた。
華やかな女性たちに囲まれて生きてきたであろうレナードが、そんな私を歓迎するはずがなかった。
恐らくは実家の爵位と体裁のためだけに、私のような女を押し付けられた政略結婚なのだろう。
どうせ形だけの都合の良いお飾りの妻として扱い、別の女のところで愛を囁くに違いない。
きっと初夜も義務として冷淡にこなすか、あるいは「お前を愛することはない」などと言って白い結婚にするつもりかもしれない。
(それならそれでも別にいい。私は『お飾りの妻』として必要な仕事だけこなして、あとは自由にさせてもらうわ……)
愛など端から期待していない。
最低限、静かでまともな生活が手に入るなら、それでいい。
コンコンと、ノックの音が響く。
そして「入るぞ」という声と共に、ゆっくりと扉が開かれた。
顔を上げると、そこには夫となったレナードが立っている。
廊下から差し込む灯りで逆光となり、その表情は見えない。
彼は寝室に入りドアを閉めると、そのまま私に近づいて肩を掴み――。
「俺は一生、君を愛する!」
目を血走らせながら、興奮した様子でそう叫んだ。
通常の3倍かと思えるほど鼻の穴は広がり、フンフンと息巻いている。
性欲に塗れた赤ら顔が気持ち悪く、”氷の貴公子”の面影はそこにはなかった。
「ひっ、気持ち悪い!」
そのままベッドへ押し倒されそうになり、思わず肩を掴んでいる手を振り払い拒絶する。
「なっ……気持ち、悪い……?」
レナードは、私の言葉と態度にショックを受けている様子だ。
(あ、しまった。つい……)
今のは流石に失礼が過ぎた。
私は慌てて弁解する。
「あ、いえ、その……申し訳ありません。突然でしたから、驚いてしまって……」
しかし、レナードはどこか諦めたような顔つきで、シュンとしてその場で膝をついた。
「……いいんだ。いつもこうだ。今まで交際してきた女性たちも、そう言ってすぐに去っていった」
(えぇ……どういうこと?)
「え、えーと。それは一体、なぜなのでしょう?」
困惑しながらも、とりあえず適当に相槌を打つ。
「そんなの俺が聞きたい! いつも女性の方から言い寄ってくるのに、いざデートやキ……そ、その……でゅふ……チ、チッスをする時になると、俺から逃げ出すんだ!」
(うわ、気持ち悪っ! なんでキスのところだけ恥ずかしがってるのよ……)
「おかげで、未だにキ、キ……接吻はおろか、まともなデートすらしたことがないんだぞ!」
(多分、鼻の下デロデロに伸びきった顔が気持ち悪くて、皆逃げ出したのね……)
全てが繋がった。
彼は、数々の令嬢を泣かせてきた遊び人ではない。
ただその見目麗しさに、勝手な幻想を抱かれ近付かれては、幻滅され捨てられてきただけの哀れな男。
そう、”氷の貴公子”の正体は、見た目が良いだけの”恋愛弱者”だったのだ。
「聡明で、誰に対しても平等な姿勢を貫こうとする君なら、こんな俺でも受け入れてくれると思ったのに……」
両手と膝を床につきガックリと落ち込んでいるレナードを見下ろし、私は深くため息をつく。
その哀愁漂う背中を見て、なんだか可哀そうに思えてきた。
私は彼の隣にしゃがみこみ、背中を撫でながら、優しく声をかける。
「レナード様、先ほどの無礼お許しください。先ほどの言葉は、誤りなのです」
「……本当かい? 」
「……ええ。本当にただ驚いてしまっただけで、本心ではございません。私たちは、夫婦なのですから」
そう言って安心させるように微笑む。
この人はきっと悪い人ではない、ただちょっと気持ち悪いだけだ。
それに私の事を「頭でっかちな地味女」と軽視する様子もない、本当に心から愛し、大切にしてくれるだろう。
ならば、私も妻として、夫を愛する努力を怠るわけにはいかない。
「うぅ……っ、やっぱり君は思った通りの人だった。 俺の天使だ! うおー! アニエス! 愛しているぞっ!!」
ちょっと慰めただけで元気が出たようだが、その途端に性欲全開で叫びながら迫ってくる。
「やっぱり、気持ち悪いっ!」
私のことを抱きしめようとダイブしてきた彼をつい反射で躱してしまう。
べしゃり、と音を立て床へ顔面から滑り込んだレナード。
ゆっくりと「アニエス……?」と、捨てられた子犬のような目で恐る恐るこちらを見上げてくる。
鼻の頭がちょっと赤い。
(ダメだわ、この人。すぐ調子に乗るタイプよ……! あと迫ってくる時の顔が気持ち悪すぎる……)
「も、申し訳ございません、レナード様。ただ……、そのように急に迫られると……。もう少し、ムードというか……」
「ぐっ……。すまない……愛が、抑えきれないんだ……! 君への……溢れんばかりの愛が!」
(愛されてるみたいだけど、それはそれで困るわね……)
「えぇと、まずは落ち着いてベッドに腰掛けませんか? お互いリラックスするために、少しお話ししましょう?」
「あ、ああ。わかった」
少し気まずい雰囲気の中、並んでベッドへ腰をかける。
思いつめたような顔をして黙っているレナードだが、そうしている横顔は美しかった。
(普通にしていれば、格好良いんだけどね……)
「アニエス、その……」
「? なんでしょうか」
彼が何か言いたそうに口を開きかけたが、もごもごとハッキリと口にしないので、その先を促す。
「そ、その……。て、手を……でゅふ……に、握っても、いいだろうか?」
卑しく媚びたようなにやけ顔で手を差し伸べてくる。
(どうしてこういう時だけ、こんなに気持ち悪くなるんだろう……)
「え、ええ……。夫婦ですもの……」
そっと差し出された手を握る。
私とは違う、男性特有の大きな掌。
普通なら、胸がときめくようなシチュエーションのはずなのに。
(手汗でびしょびしょ……)
「ほ、ほひゅ……や、柔らかい……フーっ、フーっ!」
(鼻息荒すぎるでしょ……)
しかし妙だ。
たしかに今回の結婚は、トントン拍子に話がまとまり、婚姻の儀も簡略化された形で大して時間はかからなかった。
とはいえ誓いのキスはしたし、その時のレナードはこんな状態ではなかった……。
触れただけのひどく冷たい接吻だったからこそ、噂通りの人なのだと思っていたのだ。
「あの、誓いのキスの時は、どうして普通でいられたのですか?」
確認のため、私の手を愛おしそうに撫でるレナードへ問いかける。
「ああ。あの時は喜びが限界を突破して意識が飛んでいた。放心状態だったんだ……そのせいで殆ど何も覚えていない」
「……だから私が声をかけても、反応がなかったのですね」
「なっ! すまないっ! 話かけてくれていたのか……くっ、過去の俺の大バカ野郎!」
本気で悔しがっているレナード。
(……まあ、それだけ私を愛してくれている、という事なのかしら)
「良いですよ、もう。終わったことですし」
「……アニエス。本当に君は優しいな」
レナードは私の手を握ったまま、顔を上げた。
月明かりに照らされたその表情は、どこか切なげで、息を呑むほど美しい。
その美貌を間近で見た私の心臓が、トクン、と小さな音を立てる。
「あの時、誓いの……キス……確かに俺たちは、したんだよな? だが、その大切な記憶がないんだ。……だから、やり直させてもらえないだろうか?」
まっすぐと私を見つめる真剣な眼差し。
自分の顔が火照っていくのが分かる。
そうだ、私たちは夫婦になったのだ。
そしてこれからお互いを愛し合い、支えあう。
これは、その為に必要なこと、何もおかしなことじゃない。
「……はい」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、レナードの顔が猛スピードで至近距離まで迫ってくる。
「むちゅぅぅ~~」
そこには、先ほどの面影は欠片もない、タコのように唇をこれでもかと尖らせて前進してくる、ただの性欲の化け物がいた。
「キス顔が気持ち悪いっ!!」
迫り来る唇オバケの恐怖に、私は思い切りその右頬を張り飛ばした。
スパァァァン!! と新婚初夜の寝室に小気味よい音が響き渡る。
「へぶっ!?」
私はベッドから飛び起きると、自分の体を守るように両腕で抱え込む。
「なんでそんなに下心丸出しなんですか! もっと普通にしてください!」
「そんなこと言われてもっ!」
「あーもう、わかりました! 目を瞑って仰向けになっててください! あとは私の方でなんとかしますから!」
学年主席を守り続けたのだ。
実践はないが、知識だけなら人並み以上だと自負している。
「はぅ……。 アニエスぅ……っ! ハァ、ハァ」
「喘ぎ声も気持ち悪いっ!!」
こうして、悪戦苦闘しながらも、私たちはなんとか初夜をすませたのであった。
◇◇◇
一か月後。
私たちは、夫婦として良好な関係を築いていた。
レナードの私への溺愛っぷりは凄まじく、彼の残念な部分を知らない人たちからは、羨ましがられるくらいだ。
「……ではアニエス、王宮(仕事)に行ってくるよ」
玄関ホールへ見送りにきた私と対面したレナードは、非の打ち所がない完璧な貴公子の顔をしていた。
真っ直ぐに通った鼻筋。長い睫毛に縁取られた、冷徹さを感じさせる切れ長の瞳。
凛としていて、ため息が出るほど格好良い。
(ほんと、普通にしてれば完ぺきなのよね……)
妻として、いつものように私が「いってらっしゃいませ、旦那様」と微笑んだ、その瞬間。
「あ、あの……アニエス。その……い、いってきますのチ、チ、チッスを……」
途端に崩壊する顔面。
広がる鼻孔に、すぼめられる唇。
(……相変わらず気持ち悪い)
でも。
私は彼の首に両腕を回し、引き寄せるようにして唇を重ねた。
「おぅふ」
その口から、情けない吐息が漏れる。
(ちょっとだけ、かわいい……かな?)
でゅふ……。
ほ、星が……欲しいんだよねぇ……。
※この作品はaiちゃんとの共同作品となります。




