耳元で囁かれる、逃げ場のない愛
バルトロメウス王子の叫び声が遠ざかり、再び静寂が訪れたヴァレンシュタイン邸。
アイリスは、セドリックによって強引に寝室へと連れ戻されていた。
バタン、と重厚な扉が閉められ、鍵がかかる。
背後から伸びてきたセドリックの腕が、アイリスの腰を折れそうなほど強く抱きしめた。
「……セドリック様? もう『害虫』はいなくなりましたわ」
「……あいつに、名前を呼ばれた」
低く、地を這うような声。セドリックはアイリスの肩に顔を埋め、深く、飢えた獣のように彼女の残り香を求めた。
「あの無能に、君の名を呼ばれただけで、俺の心臓はどす黒い怒りで焼け死にそうだった。……アイリス、今すぐ耳を洗いたい。あんな男の声が、君の記憶に残っていることが許せない」
「そんなこと言われましても……」
アイリスが困惑して振り返ろうとすると、セドリックの大きな手が彼女の頬を包み込み、正面から視線を固定した。
そこにあるのは、世界を支配する大公の威厳ではなく、愛に狂い、捨てられることを極限まで恐れる一人の男の「執着」だった。
「君を、ロシュドール家の屋敷ごと買い取って、地下深くに閉じ込めておくべきだった。そうすれば、誰の目にも触れず、君は俺だけを見ていられたのに」
セドリックの指先が、アイリスの唇をなぞる。そのまま彼は、彼女の耳元に唇を寄せ、熱い吐息と共に呪いのような愛を刻みつけた。
「……忘れて。あの男のことも、これまでの不条理な日常も。君の全てを、俺の愛で塗り潰させてくれ。君が望むなら、この国の王座だって明日には君の足元に用意しよう。だから……俺を置いて、外の世界へ行こうなんて思わないでくれ」
最強の男の、あまりにも脆い懇願。
アイリスは、自分の足首で微かに熱を持つ銀のアンクレット――セドリックの魔力そのもの――を感じていた。
彼の重すぎる愛は、毒のようであり、同時にこの上なく甘い蜜のようでもあった。
ロシュドール家で常に「完璧な令嬢」であることを求められ、利用されるだけだったアイリスにとって、自分という存在そのものに狂ってくれる男の腕の中は、不思議なほど安らげた。
「あの、セドリック様……」
アイリスがそう呼んだ瞬間、セドリックの体が、ぴくりと跳ねた。
「……セドリック、と呼んでほしい。『様』なんて他人行儀な壁は、もういらないんだ」
アイリスが呆れたように、けれど拒まずに彼の名を呼ぶ。
その瞬間、セドリックの瞳に歓喜の火が灯り、彼は堰を切ったようにアイリスの首筋に何度も口づけを落とした。
「ああ、アイリス……。俺の、俺だけのアイリス……。君を一生、この腕から離さない。……たとえ君が、俺を憎むことになったとしても」
アイリスは、逃げられないことを確信しながら、そっと彼の背中に手を回した。
こうして彼女は、自由と引き換えに、世界で一番甘くて重い檻の中に、自ら堕ちていくことを受け入れたのである。
お読みいただきありがとうございます。
セドリックの愛が、もはや「重い」の域を超えて逃げ場のないレベルに達してしまいました。
いよいよ次回、最終話。
「氷の檻」の中で、二人が辿り着く結末をぜひ見届けてください。




