第九十六話 「月面基地の重力」
月面基地のエアロックが開くと、そこには想像を超える光景が広がっていた。
「うわあああ!」
地下都市への階段を降りようとしたキヨシが、軽く足を踏み出したつもりが、そのまま天井まで飛び上がってしまった。
ゴン!
鈍い音と共に、頭を強打する。
「いってぇ!」
そのまま、ゆっくりと床に落ちてきた。月の重力は地球の六分の一。普通に歩くつもりが、まるでスーパーマンのように跳ねてしまう。
「だっせー」
サヤカが笑いながらも、自分も慎重に一歩を踏み出した。すると、やはりふわりと浮き上がる。
「きゃー!」
慌てて壁を掴んだ。
山口も二宮も、恐る恐る歩き始める。まるで、水中を歩いているような不思議な感覚だった。
「これは……難しい」
京介も苦笑しながら、手すりを掴んで進んでいく。
アスカは豪快に跳ねていた。
「おお、これはおもろいで!」
天井すれすれまで跳び上がり、器用に着地する。
「トランポリンみたいや!」
その中で、竹彦だけは普通に歩いていた。重心を低く保ち、小さな歩幅で進む。明らかに慣れている様子だった。
「竹彦、ずるい!」
山口が壁にしがみつきながら抗議した。
「コツ教えてよ!」
「膝を曲げて、地面を蹴らないように」
竹彦は簡潔に答えた。
「滑るように進むんです」
マリアは、そんな騒ぎには目もくれず、カメラを構えていた。
「地下都市の構造、興味深い」
パシャパシャと写真を撮りまくる。天井のドーム構造、壁面の補強材、床の特殊コーティング。すべてが彼女の興味の対象だった。
「観光客みたい」
二宮が微笑んだ。
「観光客」
マリアが即答した。
地下都市は、想像以上に広大だった。商業エリア、居住エリア、研究施設。すべてが地下で完結している。人工の太陽光が天井から降り注ぎ、まるで地上にいるような錯覚を覚える。
ニーナとラムザは、少し離れた場所から一行を見守っていた。特に、竹彦の一挙手一投足を観察している。
竹彦はそれに気づいていた。
「また見てる……」
小声で呟き、マリアに近づいた。
「マリアさん、あの二人、様子がおかしくないですか?」
マリアはカメラから目を離さずに答えた。
「パラノイアになってる」
「え?」
「被害妄想。よくある症状」
マリアは呆れたように続けた。
「彼らがまた襲ってくるなんて、あり得ない。酒でも飲んで落ち着いて」
「でも……」
竹彦は振り返った。ニーナとラムザはまだこちらを見ている。その視線は、敵意というより、何か別の感情を含んでいるようだった。
「きっと、油断したところで襲ってくるつもりだ」
竹彦は確信していた。一週間の地獄を思い出す。
「考えすぎ」
マリアはバッサリと切り捨てた。
「写真撮影の邪魔」
竹彦は諦めて、他の仲間たちのところへ戻った。
「おお、竹彦!」
キヨシが手を振った。やっと重力に慣れてきたようだった。
「この感覚、最高だな! 地球に戻りたくなくなる!」
「調子に乗ると、また頭打ちますよ」
竹彦が注意すると、皆が笑った。
採掘場へ向かう通路を歩いていると、技官が説明を始めた。
「こちらでは、月の地下深くから貴重な資源を採掘しています。ヘリウム3は、将来の核融合発電の燃料として……」
その時だった。
けたたましい警報が鳴り響いた。
『警告! 警告! 未確認飛行物体接近!』
赤い警告灯が点滅し始める。
技官の顔が青ざめた。
「まさか……」
通信機から慌ただしい声が聞こえてくる。
『バンディットだ! 鳥頭の奴らが三隻で来てる!』
「バンディット?」
キヨシが聞き返した。
「宇宙海賊です」
技官の声は震えていた。
「でも、こんな公然と襲撃してくるなんて初めてだ……」
窓の外を見ると、確かに奇妙な形の宇宙船が三隻、月面基地に向かって飛んでくる。船体には、不気味な鳥の紋章が描かれていた。
「どうしよう……」
技官は完全にパニックになっていた。
「防衛隊は?」
ラムザが尋ねた。
「い、今、地球に出払っていて……」
絶望的な状況だった。
その時、マリアがカメラをしまった。
「恩の売り時」
冷静な声で言い放つ。
全員がマリアを見た。
「は?」
「カーカラシカに恩を売る最高の機会」
マリアは淡々と続けた。
「宇宙開発の大詰めで助ければ、将来的な利益は計り知れない」
竹彦は呆れた。
「そういう問題じゃ……」
でも、確かに理にかなっていた。
アスカが拳を打ち鳴らした。
「よっしゃ! やったろうやないか!」
京介も頷いた。
「確かに、ここで逃げるわけにもいかない」
キヨシは少し青ざめていたが、覚悟を決めた様子だった。
「俺たちがやるしかないか」




