第九十五話 「知りたくない真実」
宇宙船は静かに月へ向かっていた。エンジンの低い振動だけが、船内に響いている。
ニーナは窓の外を見つめながら、恐ろしい可能性と向き合っていた。
もし直感が正しければ。
夫ガランとの絆の証、大事な息子を、十六年も放置していたことになる。この世の艱難辛苦、社会の底辺での苦労、奇天烈な宇宙人との戦い。それらすべてを、母親である自分が見過ごしていたことになる。
手が震えた。
おまけに、その息子は殺し屋集団に襲われて片肺を潰された。大事な、好きだった女の子を目の前で殺されて、悲しみと憎悪に塗れて苦しんだ。重要な臓器が機能していない体で、それでも生きてきた。
それが事実だと知ったら。
「発狂する……」
小さく呟いた。まず間違いなく、正気を保てない。
そして、つい最近。
その息子を金具で縛り付けて、非人道的な扱いをした。トイレにも行かせず、飲まず食わずにさせて、それに気づかず。挙げ句の果てに、息子に殺されそうになって……
ニーナは自分の手を見た。
先祖代々伝わる剣で、内臓が見えるまで、自分の手で、なます切りにした。
当時は家族を守るために怪物と戦っている気持ちだった。でも、この手に残る感触が、夫との愛の証、奇跡の結晶を切り刻む感触だったと分かったら。
「いや……」
ニーナは顔を両手で覆った。
「調べなくていい……」
声が震えていた。知りたくない。知ってしまったら、もう元には戻れない。
ラムザは姉の様子を見て、なんとなく事情を察した。
「姉上……」
声をかけようとしたが、やめた。分かっても、姉には教えない方がいい。そう心に決めた。
正直なところ、ラムザには若干の確信があった。銀河的に見ても、あんな高出力の法力を持っている生き物など、自分たちカーカラシカの血統しかいなさそうだ。それが何よりの証拠だった。
塩化爆弾からの生き延び方も、想像はつく。
濃度たっぷりの塩水の中に浸かれば、ある程度塩化爆弾の影響から逃れられる。姉の夫ガランは、頭のいい男だった。それはよく覚えている。
おそらく、咄嗟に倉庫かどこかに行って、小さいメルを塩の備蓄の中に押し込んだのではないか。なんとか息子だけでも助けようと。
実際、そうやって助かった者の例も、少ないがあった。
もちろん、無傷では済まない。体に大きな損傷を負うことになる。内臓の損傷、遺伝子情報の損傷。すべてが符合する。
そして、あの異常な法力の強さ。それこそが、あの化け物が姉の息子である最良の証拠だった。
ラムザは竹彦を見た。
少年は今、窓に顔を近づけて地球を見ている。赤い帽子が少しずれて、横顔がよく見える。やはり、ガランそっくりだ。
「どうする……」
ラムザは心の中で呟いた。真実を明かすべきか、それとも永遠に隠すべきか。
その頃、若者たちは窓際に集まっていた。
「地球が……あんなに小さく」
キヨシが感嘆の声を上げた。
「なんか、こうしてこういう船に乗ってると、ありがたみがあるわね」
サヤカがしみじみと言った。
「あのアンティークな車で見ても、なんか奇天烈すぎて実感わかないもん」
山口も頷いた。
「そうそう! ちゃんとした宇宙船だから、『宇宙に来た!』って感じする」
「でも」
二宮が小さく笑った。
「竹彦さんには普通なんでしょうね」
竹彦は肩をすくめた。
「毎日宇宙に皆さんも出てるじゃないですか」
マリアがパンフレットを開いた。
「月面基地の観光コースは三つ」
相変わらず、観光のことしか頭にないようだった。
「地下都市、採掘場、そして地球展望台」
「全部行きたい!」
山口が目を輝かせた。
アスカが伸びをした。
「まあ、せっかく来たんやから、楽しまんとな」
京介も微笑んだ。
「そうだな。歴史的な瞬間を、存分に味わおう」
トニー所長が時計を確認した。
「あと三十分で到着予定です」
サムライたちも、それぞれ思いを巡らせていた。日本の未来、カーカラシカとの関係、そして宇宙への道。
竹彦は、ふと振り返った。
ニーナとラムザが自分を見ているのに気づいて、また帽子を深く被った。
「なんなんだろう……」
小声で呟いた。あの二人の視線が、妙に気になる。まるで、何か重要なことを隠しているような。
これ以上面倒なことは起きて欲しくない。
宇宙船は、ゆっくりと月に近づいていく。
灰色の天体が、窓いっぱいに広がり始めた。




