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第八十七話 「機内の小競り合い」


 プライベートジェットは雲海の上を滑るように飛んでいた。機内では、ほとんどの乗客が寛いでいたが、一角で不穏な空気が漂い始めていた。

 セツナは竹彦の斜め前の席に座り、じっと彼を見つめていた。その頬は風船のように膨らんでいる。


「ムゥー!」


 小さく唸り声を上げながら、赤い瞳で竹彦を睨み続ける。まるで威嚇する小動物のようだった。

 竹彦は最初は無視していたが、あまりにも視線が痛くて、とうとう振り返った。普段は温厚な彼も、カーカラシカへ向かう不安と、過去の記憶が蘇って苛立っていた。


「なんですか、さっきから」


 声には明らかな不機嫌さが滲んでいる。いつもの丁寧な口調とは違い、刺々しさすら感じられた。

 セツナはふんと鼻を鳴らした。そして、わざとらしく視線をそらしながら言った。


「別にー。ただ、また閉じ込められて、うんちでも漏らさないか不安だっただけよ」


 機内が一瞬、凍りついた。

 あまりにも直球な、そして残酷な皮肉だった。一週間の地獄のような拘禁生活を、最も屈辱的な形で揶揄したのだ。

 竹彦の顔が見る見るうちに赤くなった。そして、ガタンと立ち上がる。


「なんですって?」


 竹彦がセツナの前に立った。その目には、久しぶりに怒りの炎が宿っている。普段の彼からは想像もつかない、威圧的な雰囲気が機内に広がった。

 セツナは一瞬怯んだ。体が本能的に後ずさりしそうになる。しかし、プライドが許さなかった。負けじとキッと睨み返す。


「何よ、図星だったの?」


「セツナさん、それは失礼すぎるわ……」


 ユキヒメが娘を止めようとしたが、セツナは聞く耳を持たなかった。


「だって本当のことでしょ? この前なんて、全身くさくて、みんな鼻つまんでたじゃない」


 竹彦の拳が震えた。あの屈辱的な一週間を思い出す。暗闘の中で、排泄すらままならず、人間としての尊厳を奪われた日々。そして、それを笑いものにされている今。


「おいおい、まあまあまあ!」


 キヨシが慌てて二人の間に割って入った。


「今回は旅行だから! 楽しい旅行! 前のことは水に流して、ね?」


 竹彦は冷たい目でキヨシを見た。


「前は水に流してもらえませんでしたけどね」


「ちょっ…」


「超面白い」


 その皮肉に、キヨシは言葉を失った。マリアは、手をたたいて喜んだ。確かに、カーカラシカは些細な産業スパイの件で、竹彦を一週間も非人道的に扱った。それなのに、今更水に流せというのは都合が良すぎる。


「ちょっと、やめてよ!」


 山口が飛んできた。彼女の顔は青ざめている。


「ここで暴れられたら、飛行機落ちちゃう! みんな死んじゃう!」


「そうだよ!」


 サヤカも加わった。


「せっかくの豪華な飛行機なんだから、仲良くしようよ!」


 二宮も優しく竹彦の袖を引いた。


「竹彦さん、深呼吸して。セツナちゃんも、もう挑発しないで」


 皆に説得されて、竹彦は渋々席に戻った。しかし、その表情は相変わらず不機嫌だった。セツナも黙り込んだが、まだ頬を膨らませている。

 機内に気まずい空気が流れた。サムライたちも、若い世代の諍いに困惑している様子だった。


「子供じゃないんだから……」


 マサヨシが小声で呟いた。

 長い飛行時間が、さらに長く感じられた。

 やがて、飛行機はカーカラシカ国際空港に到着した。窓から見える景色は、以前とは打って変わって平和そうだった。聖火祭の傷跡も、もうほとんど見えない。

 タラップを降りながら、竹彦は深いため息をついた。


「本当に来てしまった……」


 肩を落とし、まるで処刑場に向かうような足取りだった。あの恐怖の一週間を過ごした国に、また足を踏み入れることになるとは。


「いい加減に開き直って楽しんで」


 マリアが竹彦の背中を押した。


「あなたが皇族をボコった。謝意を見せないといけないのはあなた」


 竹彦は振り返って反論した。


「一週間、トイレに行くこともできなくて、水も飲ませてくれなくて、眠らせてもくれなかった。お面で視界は真っ暗だった。謝るのはあっちです……」


 声は次第に小さくなっていった。思い出すだけで、体が震えそうになる。


「竹彦、ここは我慢や、気持ちはよーわかるで…うちらのために頑張ったんやもんなぁ」


「…」


 竹彦は俯きながらもアスカの声に耳を傾けているよう。竹彦とのもっとも付き合いの長い人物の一人だ。


「向こうも、お前にビビっとるんや、どうどうしとればええ、ここはうちらにまかせえ!」


 アスカが明るく言った。


「過去は過去や。今日は観光やで!」


 トニー所長が皆を集めて説明を始めた。


「ニーナ女帝との面会は明日の予定です。今日一日は観光に充てることになっています」


「やった!」


 マリアが珍しく感情を表に出した。手にはしっかりと観光パンフレットが握られている。


「バビロン宮殿跡、空中庭園、カーカラシカ国立博物館……」


「そんなに楽しみなの?」


 京介が苦笑した。

 一行はぞろぞろと空港を出て、用意されていた大型バスに乗り込んだ。

 バスの中で、セツナは竹彦から一番離れた席に座った。時々チラチラと彼を見ては、また頬を膨らませている。

 竹彦も窓の外を見つめたまま、誰とも話そうとしなかった。


「まーさっきのはセツナちゃんが悪かったわよねー」


 サヤカが小声で二宮に言うと、二宮はクスクスと笑った。


「でも、仲直りできるといいですね」


 バスはバビロンの街を走り始めた。道の両側には、復興した建物が並んでいる。人々は普通に生活を送っており、先日の戦闘があったとは思えないほど平和だった。

 しかし、時折見える建物の修復跡が、あの日の激戦を物語っていた。

 竹彦は複雑な表情で街並みを眺めていた。自分が破壊した街。自分が傷つけた人々。そして、自分を一週間も苦しめた国。

 すべてが、複雑に絡み合っていた。


「さあ、最初の観光地に着きましたよ!」


 ガイドの明るい声が響いた。

 カーカラシカでの一日が、始まろうとしていた。

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