第八十六話 「プライベートジェットの旅」
治療ポッドの蓋がゆっくりと開いた。青白い液体が排出され、中から竹彦が姿を現す。
「あー……よく寝た……」
大きく背伸びをしながら、竹彦は一週間ぶりに外の空気を吸った。体の傷はほとんど治り、以前の力が戻ってきている。
用意されていた服を着て、一階へと上がっていく。階段を登る足取りは軽やかだった。
「みなさん、おはようございます」
竹彦が事務所のメインフロアに姿を現すと、歓声が上がった。
「竹彦!」
「やっと起きた!」
「おかえり!」
山口が涙ぐみながら駆け寄ってきた。サヤカも二宮も、皆が笑顔で竹彦を迎える。
「心配かけてすみません」
竹彦が申し訳なさそうに頭を下げた。
トニー所長が前に出てきた。手には豪華な封筒を持っている。
「竹彦君、実は君が寝ている間に、カーカラシカから招待状が来てね」
「招待状?」
「月面基地への招待だ。もちろん君にも来ている。ほら、これ」
竹彦宛ての手紙を差し出された。竹彦はそれを見て、明らかに嫌な顔をした。
「どうせ車で行けば、月なんてすぐじゃないですか……」
小声でぼやいた。あの場所には、できれば二度と行きたくなかった。
「おバカ」
マリアが即座に反論した。
「今からカーカラシカ様に媚を精一杯売る。一応あなたがオーナー。あなたがいないとおかしなことになる。何も方針とは矛盾しない。安全安心経営」
そして冷たく続けた。
「この前の失敗も、産業スパイに加担したせい。竹彦が指示をしくじったとも言える」
「えっ」
竹彦が驚いた顔をした。
「だって、あれの発案はマリアさんだったし……」
「記憶にない」
「そんな……」
アスカが笑いながら竹彦の肩を叩いた。
「まあまあ、終わったことや。今度は楽しい旅行やで」
「でも……」
竹彦はまだ抵抗していたが、結局皆の説得に負けて、もう一度カーカラシカ国に足を踏み入れることになった。
数日後、羽田空港の特別ゲートに、アンナム・ファミリーのプライベートジェットが待機していた。白と金で彩られた豪華な機体は、まるで空飛ぶ宮殿のようだった。
「すげー!」
キヨシが感嘆の声を上げた。
「これがマフィアの飛行機か!」
「アンナム・ファミリーの、ね」
マリアが訂正した。手にはしっかりと観光パンフレットを握りしめている。
「今度こそ観光! 月面の低重力体験、地球を見下ろす展望台、カーカラシカ料理の食べ歩き」
「食い気かよ」
サヤカが呆れたように言った。
東京でサムライ四家の代表者たちも合流した。ハブ家からキヨタカ、ホウジョウ家からマサヨシ、トクガワ家からヨシナオ、チョウソカベ家からモトチカ。皆、厳かな表情でジェットに乗り込んでいく。
「これが時代の流れか」
マサヨシが感慨深げに呟いた。
機内は想像以上に広かった。革張りのソファ、バーカウンター、さらには小さな会議室まである。全員がそれぞれの席につき、くつろぎ始めた。
「いやー、これは快適や」
アスカがソファに深く沈み込んだ。
「ファーストクラスどころの話やないで」
山口は窓の外を眺めながら、うっとりとした表情を浮かべていた。
「空の旅って素敵よね」
サヤカは早速バーカウンターを物色し始め、二宮は持参した本を開いている。京介は静かに目を閉じて休んでいた。
しかし、竹彦だけは不満そうだった。
「絶対に車の方が楽なのに……」
ぶつぶつと文句を言い続ける。
「車なら10分で着くのに、飛行機だと何時間もかかる……」
「竹彦さん」
モリーが苦笑しながら言った。
「普通の人は空飛ぶ車なんて持ってないんですよ」
「それに」
トニー所長が付け加えた。
「こうして、みんなで一緒に移動して親睦を深めるのもいいじゃないですか」
「そう、ですね…」
竹彦はため息をついた。
機体がゆっくりと動き始め、滑走路へと向かう。エンジンの音が高まり、やがて機体が浮き上がった。
「イタリアまで12時間」
マリアが説明した。
「そこで一泊してから、カーカラシカの特別便で月へ」
「12時間も!」
竹彦が絶望的な声を上げた。
「車なら1時間で……」
「うるさい」
マリアが竹彦の口を塞いだ。
「文句言わない。これも仕事」
機内では、それぞれが思い思いの時間を過ごし始めた。サムライたちは今後の方針について静かに話し合い、若者たちは映画を見たり、ゲームをしたりしている。
竹彦は窓際の席で、相変わらずぶつぶつと呟いていた。
「どうせまた面倒なことになるんだ……」




