第八十四話 「治癒と和解」
アマガワ事務所の地下医療室は、青白い光に包まれていた。中央に設置された巨大な円筒形の治療ポッドの中で、竹彦が静かに浮かんでいる。
「やっと眠れたか」
アスカが安堵の息をついた。事務所に戻ってから、最低限の洗浄を済ませた竹彦を治療ポッドに入れるまでが一苦労だった。意識が朦朧としている彼を支えながら、皆で協力してなんとかここまで辿り着いた。
透明な液体の中、全裸の竹彦は呼吸用のチューブを口に固定され、ゆらゆらと漂っている。一週間ぶりの安らかな眠りだった。極度の疲労と緊張から解放され、その顔には穏やかな表情が浮かんでいる。
「しかしまあ」
アスカがポッドを覗き込みながら呟いた。
「今回のも酷いけど、古傷もえらいことになっとるな。これ、全部戦いの傷跡か?」
竹彦の体には、無数の古い傷跡があった。五年前の白い林檎との戦い、そしてそれ以前の戦闘の痕跡。深い切り傷、銃創、火傷の跡。それらが幾重にも重なり、まるで戦いの歴史を刻んだ地図のようだった。
「このポッドは概ね治してくれる」
マリアが淡々と説明した。
「でも、完全に傷跡まで消すことはできない。機能回復が優先」
「どのくらいかかるんや?」
「普通の人間なら一ヶ月。竹彦なら一週間程度」
「一週間か……」
京介が腕を組んで考え込んだ。
「その間、カーカラシカとの関係はどうなる? あれだけ派手に暴れて、向こうも黙っていないだろう」
その懸念は、意外な形で解消されることになった。
翌日の昼過ぎ、ハブ家のキヨタカから連絡が入った。画面に映る彼の顔は、安堵と疲労が入り混じっている。
『カーカラシカから非公式に連絡があった』
キヨタカの声は静かだった。
『向こうも、あんな化け物をまた送り込まれたらたまらんということらしい。産業スパイの件は不問。生きているハブ家の者も全員解放される』
「マジか!」
キヨシが画面に飛びついた。
「みんな無事なの? 叔父さん!」
『ああ、二人は怪我をしているが命に別状はない。もう一人は……残念だったが』
キヨタカの表情が曇った。
『だが、これ以上の犠牲が出なかっただけでも僥倖だ』
マリアが前に出た。
「銀河連盟への加盟競争は」
『……諦めるしかないだろう』
キヨタカは苦笑した。
『カーカラシカの技術力は我々の想像を超えていた。もう追いつけん。だが、それでいい。少なくとも全面戦争は避けられた』
サムライの合議でも、同様の結論に達していた。日本の宇宙進出の夢は潰えたが、それよりも重要なのは国民の安全だった。
「でも」
山口が不安そうに言った。
「竹彦くんのこと、向こうは許してくれるの? あれだけ暴れて……」
『それについては何も言ってこなかった』
キヨタカが首を振った。
『おそらく、竹彦君を刺激したくないのだろう。銀河連盟からも警告があったらしい。「あの男を怒らせるな」と』
「銀河連盟が?」
サヤカが驚いた。
「竹彦って、そんなに有名なの?」
「SS級指名手配犯」
マリアが答えた。
「銀河で最も危険な存在の一人。今回の件で、さらに評価が上がったはず」
二宮がポッドを見つめながら呟いた。
「でも、竹彦さんは仲間のためだったんですよね。私たちが死んだと思って……」
「そや」
アスカが力強く頷いた。
「あいつは、ウチらのために命懸けで戦った。一週間も地獄みたいな扱い受けて、それでも仲間の仇を討とうとした。そんな奴を、ウチらが見捨てるわけにはいかん」
全員が頷いた。竹彦がどんな過去を持っていようと、銀河でどう呼ばれていようと、彼は大切な仲間だった。事務所のメンバーは特に結束が固いようだった。全員が竹彦のことを恐れていて、そして、かけがえのない大切な家族だと思っているようだ。
「とりあえず」
京介が場を締めた。
「竹彦が目覚めるまで、交代で見守ろう。一週間なら、すぐだ」
ポッドの中で、竹彦は穏やかに眠り続けていた。液体が静かに循環し、傷ついた体をゆっくりと癒していく。呼吸用チューブから、規則正しく気泡が立ち上る。
この一週間で、世界は大きく変わった。カーカラシカが銀河連盟への道を開き、日本はその後塵を拝することになった。しかし、少なくとも平和は保たれた。
マリアがポッドのモニターを確認した。生命反応は安定している。回復も順調だ。
「きっと元気になる」
その言葉に、皆が安堵の表情を浮かべた。
窓の外では、東京の街が平和な午後を迎えていた。まるで、昨日までの激戦が嘘だったかのように、穏やかな時間が流れている。
治療ポッドの青い光が、静かに明滅を繰り返していた。




