第八十三話 「生きていた仲間たち」
空飛ぶ車が戦場の上空に現れた。窓から身を乗り出した事務所のメンバーたちが、必死に叫んでいる。
「やめろー! 殺すなー!」
「竹彦! 上見ろ! 上だ!」
「お願い、やめてー!」
山口の涙混じりの声が、破壊された宮殿に響き渡った。
竹彦は、今まさにニーナの首を掴もうとしていた手を止めた。憎悪に燃えていた赤い瞳が、ゆっくりと上を向く。
「あ……?」
不思議そうな表情が、血まみれの顔に浮かんだ。車の中から身を乗り出している仲間たちの姿が、朦朧とした意識の中に飛び込んでくる。
「み、みんな……?」
憎悪で濁っていた瞳に、徐々に正気の光が宿り始めた。まるで長い悪夢から覚めたかのように、竹彦は何度も瞬きをした。
車が広場に着陸すると、キヨシが真っ先に飛び降りた。
「うわー、あっぶなかったぁ! まじで間に合ってよかった!」
安堵の息を大きく吐きながら、キヨシは膝に手をついた。心臓がまだバクバクと鳴っている。
アスカも車から飛び降り、竹彦に駆け寄ろうとした。しかし、数メートル手前で急停止する。
「うわっ!」
慌てて鼻をつまんだ。
「くっさ! なんやこれ! やばい! あかんわ! 鼻が取れるで!」
アスカは大げさに後ずさりしながら叫んだ。一週間も風呂に入れず、排泄すらままならなかった竹彦から発せられる異臭は、想像を絶するものだった。
「竹彦。生きていた」
マリアが車から降りてきた。いつもの無表情な顔だが、その声には安堵が滲んでいる。しかし彼女もすぐに鼻をつまんだ。
「臭い。近寄らないで」
山口が恐る恐る近づいてきたが、竹彦の姿を見た瞬間、顔が青ざめた。全身が切り刻まれ、脇腹からは内臓が少し見えている。胸には剣が貫通したままだ。おびただしい血が地面に広がっている。
「ひっ……」
山口の意識が遠のき、その場に崩れ落ちた。
京介が慌てて山口を支えながら、竹彦を見て複雑な表情を浮かべた。
「生きて……いるのか? これで」
普通なら即死している傷の数々。それなのに竹彦は立っている。人間の限界を超えた光景に、京介も言葉を失った。
「まじでゾンビみたい……」
サヤカが呟いた次の瞬間、彼女の顔が緑色に変わった。
「うえっ……」
胃の中身を盛大に吐き出してしまう。二宮が慌てて彼女の背中をさすった。
「大丈夫? サヤカちゃん」
「最悪……こんなグロいの見たことない……」
竹彦は仲間たちを見回した。皆、確かに生きている。誰も死んでいない。その事実が、ゆっくりと彼の頭に浸透していく。
「あ、あれ……みなさん、生きてたんですか?」
「ウチらがそう簡単に死ぬか!」
アスカが鼻をつまんだまま叫んだ。
「第一、それはこっちのセリフや! お前が殺されたと思ったで! 一週間も音沙汰なしで、ニュースで捕まったって聞いて、みんなでどんだけ心配したか!」
事務所のメンバー全員が大きく頷いた。山口は気絶から覚めて、涙を流しながら竹彦を見つめている。
竹彦は、掴んでいたニーナの襟を離した。周囲を見回す。あちこちに倒れ伏している皇族の戦士たち。皆、重傷を負いながらも、まだ息はある。彼らは地面に這いつくばりながら、竹彦を睨んでいた。
「化け物め……」
「人間じゃない……」
恐怖と憎しみの混じった罵声が飛ぶ。竹彦の表情が曇った。
「そ、そうでしたか……てっきり、みんなが殺されたと思って……」
竹彦の顔に、安堵の表情が広がった。仲間が生きている。それだけで、彼の中の殺意が急速に冷めていく。
「聞いたんです……看守が、アンナムの連中を二、三人殺したって……」
「はぁ? 誰がそんなデマ流したんや」
アスカが呆れたように言った。
「確かにウチと京介の兄ちゃんは怪我したけど、すぐ治ったし。死んだやつなんて一人もおらへんで」
「それよりお前」
アスカが竹彦の下半身を指さした。
「なんやそれ。服に何か茶色いのがへばりついとるで」
竹彦の顔が真っ赤になった。彼は恥ずかしそうに俯きながら、小声で説明した。
「あ、あの……捕まってから、ずっとトイレにも行けなくて……」
アスカの目が大きく見開かれた。
「うわ! そういうことか!」
そして急に納得したような顔になる。
「そりゃあ殺したくもなるわな! 一週間もそんな扱い受けたら、ウチでもブチ切れるわ!」
マリアが懐から折りたたまれた紙を取り出した。カーカラシカへの謝罪文である。彼女は淡々と読み始めようとした。
「この度は、我々アマガワ事務所の者が……」
パシッ。
サヤカがマリアの頭を軽く叩いた。
「それはいい! 今じゃない! 空気読んでよ!」
「……了解」
マリアは紙をしまった。
京介が竹彦の傷を見て、深刻な表情を浮かべた。
「その傷……病院に行った方がいい。いや、病院でいいのか? 人間の医者で対応できるのか?」
「事務所に救命ポッドがある」
マリアが答えた。
「それに入れる。多分治る」
「多分って……」
キヨシが不安そうに呟いた。
その時、ニーナがよろよろと立ち上がった。腹部を押さえ、苦痛に顔を歪めながらも、竹彦から後ずさる。彼女の金髪は返り血で赤く染まり、高貴な衣装もボロボロだった。
竹彦がニーナに気づいた。一瞬、憎々しい表情が顔をよぎる。まだ怒りが完全には収まっていない。復讐の炎がくすぶっている。
ニーナは力尽きて片膝をついた。もう戦う力は残っていない。竹彦と目が合う。
しかし竹彦は、ふいっとそっぽを向いた。そして何も言わずに、よろよろと車の方へ歩き始めた。歩くたびに血が滴り落ち、赤い足跡が地面に刻まれていく。
「謝罪は必ず後日」
マリアが短く言って、竹彦の後を追った。
アスカが慌てて皇族たちに向き直った。明るい関西弁で、ペコペコと頭を下げる。
「大将がえらい迷惑かけました! すんません!」
そして急に真顔になって尋ねた。
「誰か死にました?」
ニーナはなんとか顔を上げて、倒れている家族たちを見回した。ラムザは腕を折られて呻いているが、まだ息はある。ドゥムジも意識を失っているが胸は上下している。双子も、マルドゥクも、皆重傷だが生きていた。
近くで肋骨を押さえていた戦士の一人が、苦痛に顔を歪めながら答えた。
「ラムザ様は……無事です」
他の戦士たちも、骨を砕かれた体で小さく頷く。
ニーナが掠れた声で確認した。
「死者は……いないな」
アスカの顔がパッと明るくなった。
「ほっ、よかった! じゃあ今日はこれで!」
そしてまたヘラヘラと笑いながら、大げさにお辞儀をした。
「えろうすんません! ほんまに! また今度ちゃんと謝りに来ますわ!」
全員が急いで車に乗り込んだ。皆、鼻をつまみながら、竹彦からできるだけ離れた席に座る。
「窓! 窓全開で!」
「死ぬ! マジで死ぬ!」
「竹彦、お願いだから車の外側にぶら下がって!」
騒々しい声が車内に響く中、エンジンが唸りを上げて車体が浮上し始めた。
カーカラシカの人々は、あちこちからその光景を撮影していた。スマートフォンを掲げ、動画に収める者もいる。血まみれの化け物と、それを連れ去る奇妙な一団。この日の出来事は、後に伝説として語り継がれることになる。
車が空高く舞い上がり、東の空へ消えていく。破壊された宮殿に、静寂が戻った。




