第八話「アメとムチと銃声と」
猫を無事に飼い主に返した後、キヨシは一人で事務所へ向かった。他の部員たちは用事があるらしく、先に帰っていた。
歩きながら、キヨシは今の状況を整理していた。
宇宙人。UFO。裏返る猫。べちょべちょする粘液。どれも異常だ。でも、目を瞑れば案外普通の青春なのかもしれない。地域の事務所でお弁当を作るアルバイト、迷い猫の捜索、稼いだお金で道の駅での買い食い。しかも国民的歌手と一緒に。
「目を瞑れば、楽しい青春だ」
キヨシは自分に言い聞かせた。猫が裏返ることも、べちょっとすることも、全部目を瞑ればいい。これが俺の求めていた高校生活なのかもしれない。
事務所のドアを開けると、一階のロビーにはアスカだけがいた。彼女はいつもの巨大な包みを床に置いて、何かを取り出しているところだった。
「こんにちは」
「おー! キヨシ君やん! お疲れさん!」
関西弁の明るい挨拶が返ってくる。アスカは包みから取り出したものを、ゴトンと音を立てて床に置いた。
それは、金属の塊だった。
いや、ただの金属ではない。どう見ても兵器だ。アメリカンコミックに出てくるような、ヒーローや悪役が持っていそうな、明らかに何かを発射するための装置。早い話が、巨大な銃だった。
銃身は優に1メートルを超え、その太さは人の太ももほどの太さがある。表面には見たことのない文字が刻まれ、所々に青く光る部分があった。
アスカはそれをガチャガチャと分解し始めた。慣れた手つきで部品を外し、中を覗き込む。
「ちょっと錆びとるな……」
彼女は片手でその銃を持ち上げた。床から持ち上がる瞬間、ゴンという重い音が響く。どう見ても100キロは超えているはずなのに、アスカは軽々と扱っている。
布で銃身を磨きながら、何か油のようなものを塗り込んでいく。その姿は、まるで愛車を手入れする整備士のようだった。
キヨシは心の中で自分に言い聞かせた。慣れてきた。何も見なかったことにすればいい。
「これ、食べる?」
アスカが振り返り、ポケットから飴玉を取り出した。大阪のおばちゃんのような気さくさで差し出してくる。
「あ、ありがとうございます」
キヨシは飴を受け取った。包み紙には見慣れない文字が書かれていたが、気にしないことにした。
「座りいや」
アスカがソファの横を叩く。笑顔は魅力的で、長い黒髪と整った顔立ちは確かに美人だ。本来なら隣に座れることを喜ぶべきなのに、目の前のアメコミ的兵器のせいで緊張感が半端ない。
恐る恐る座って飴玉を口に入れる。最初は普通のフルーツ味だと思った。しかし、舐めているうちに妙な感覚が広がってきた。
頭がふわふわする。視界の端がぼやけて、色が鮮やかになっていく。まるで60年代のサイケデリックアートのように、世界が歪んで見え始めた。
「竹彦、学校ではどないなん?」
アスカが世間話を始める。銃の手入れをしながら、まるで近所のおばちゃんのような口調だ。
「名前、キヨシ君やったよな? この前頭撃ったけど、大丈夫やった? 痛みとか残ってへん?」
「だ、大丈夫です……」
しかし、飴の効果なのか、キヨシの口は勝手に動き始めた。
「竹彦君は学校でちょっと……いや、かなり変わってる人だと思われてます。東京一のサイコパス野郎って呼ばれてて、みんな怖がってます。でも本人は礼儀正しくて、なんか不思議な人で……」
言葉が止まらない。
「山口さんは本当に可愛いです! ファンなんです! CD全部持ってます! 初回限定版も通常版も! 握手会も行きたかったけど、勇気が出なくて……でも今日一緒に猫探しできて、すごく嬉しかったです!」
アスカが楽しそうに笑う。
「ええやん、青春やな」
「それ、なんですか?」
キヨシは巨大な銃を指差した。普通なら絶対に聞かない質問だが、今は歯止めが効かない。
「銃ですよね? 明らかに地球の技術じゃないですよね?」
「ああ、これ?」
アスカがニヤリと笑う。
「興味ある?」
ガシャンという音と共に、弾倉が取り外された。中に入っている弾丸は、500mlのペットボトルくらいの大きさだった。先端は鈍く光り、表面には複雑な模様が刻まれている。
「やっぱ男の子はこういうの好きやな」
アスカが愉快そうに笑う。その笑顔は魅力的だが、手に持っているものを考えると恐ろしくもある。
「この事務所って、どういう場所なんですか?」
また勝手に口が動く。
アスカは銃を磨く手を止めず、答えた。
「見ての通り、何でも屋や。宇宙人相手の商売から、普通の探し物まで」
彼女の声が少し真剣になる。
「ここにおるんは、みんな何か事情があって宇宙的なもんに関わって、普通の暮らしから外れた人間や」
「アスカさんは?」
「私か? 私は……まあ、ちょっと複雑やねん」
アスカは煙草に火をつけた。煙をゆっくりと吐き出しながら、遠い目をする。
「地球のある組織から足抜けした時に、竹彦と出会ってな。それからここで働くようになった」
「組織?」
「殺し屋集団や」
あっさりとした告白に、キヨシは息を呑んだ。しかし、サイケデリックな頭では、それも普通のことのように受け入れてしまう。
「今は用心棒ってとこやな。まあ、竹彦がおったら十分なんやけど、人手が足りん時もあるから」
*
その時、事務所のドアが開いた。
入ってきたのは、のっぺりとした顔の男だった。目鼻立ちがぼやけていて、まるで粘土で作った人形のような顔。スーツを着ているが、どこか違和感がある。
「いらっしゃーい」
アスカが適当に挨拶する。しかし、その手は銃から離れていない。
「ちょっとそこで待っててもらえます? みんな、じきに帰ってきますさかい」
男は無言で立っている。そして、ゆっくりとキヨシの方を向いた。
男が手を上げる。
男の手が、パカッと音を立てて開いた。
手のひらが瑞々しく展開し、内側から何か器官のようなものが現れた。ピンク色の肉が脈打ち、中央に黒い穴が開いている。明らかに武器だ。
「えっ!?」
キヨシが驚く中、アスカは特に慌てる様子もなかった。ソファに座ったまま、まるでテレビのチャンネルを変えるような気軽さで、巨大な銃を肩に担いだ。銃口を後ろ向きに、男の方へ向ける。
「あかんなぁ」
関西弁の呟きと共に、引き金が引かれた。
ドカアアアン!!
轟音が事務所を揺るがした。アスカの銃から青白い光が迸り、男の上半身を完全に吹き飛ばした。壁に大きな穴が開き、外の景色が見える。
しかし、それで終わりではなかった。
吹き飛ばされた肉片が、うぞうぞと動き始めた。まるで生きているように、床を這い回る。
アスカはキヨシの頭を掴み、強引に自分の後ろに引き寄せた。
「動かんといて」
ドン! ドン! ドン!
立て続けに三発。青い光が肉片を次々と消し飛ばしていく。焦げた臭いが事務所に充満した。
まだ動いている小さな肉片に、アスカは煙草の火を押し付けた。
「きゅううう……」
まるで生き物のような悲鳴が上がり、肉片がピクピクと痙攣して動かなくなった。
「おーい! マリアー! なんか来たでー!」
アスカが二階に向かって叫ぶ。すぐにマリアが降りてきた。無表情で肉片を見下ろす。
「また」
一言だけ呟いて、消火器のようなものを持ってきた。白い泡を肉片に吹きかけると、それらは溶けるように消えていく。
「掃除機、かけといて」
マリアはそれだけ言って、また二階へ上がっていった。
「なんだなんだ!?」
ドタドタと部員たちが集まってくる。山口、サヤカ、二宮、部長、そして竹彦。
「キヨシ君、大丈夫!?」
山口が心配そうに駆け寄る。
「なんかあった?」
アスカがまだ原型を留めている頭部を持ち上げる。
「こいつに見覚えある?」
部員たちは首を横に振る。しかし、竹彦が「あっ」と声を上げた。
「それ、キヨシさんをさらったやつですね! グレイ種の……」
「お前!」
アスカが竹彦の頭を叩く。ゴンという鈍い音がしたが、竹彦は平然としている。
「きちっと始末つけんかい! キヨシ君、危ないやろ! 追跡されとったんやで!」
「すみません!」
竹彦が深々と頭を下げる。
「処理が甘かったです……」
部長がキヨシの首筋を確認している。指で何かを探るように触れ、小さく呟いた。
「本物か……」
その言葉の意味は分からなかったが、キヨシは思った。
もうだめかもしれない。
飴の効果が切れ始め、現実が押し寄せてくる。目の前で宇宙人が爆殺され、その肉片が動き回り、殺し屋だった女性が巨大な銃を軽々と扱い、みんなそれを普通のことのように処理している。
「キヨシ君、座って」
山口が優しく肩を支えてくれる。震えが止まらない。
「最初はみんなこうなるから」
二宮がお茶を持ってきてくれる。
「慣れるよ、たぶん」
たぶん、という言葉が妙にリアルだった。
窓の外を見ると、壁に開いた大穴から夕焼けが見えた。オレンジ色の光が、床に飛び散った何かの痕跡を照らしている。
これが、俺の青春なのか。
キヨシはお茶を震える手で受け取りながら、もう普通の生活には戻れないことを、ようやく理解し始めていた。




