第七十七話 「降伏の準備」
アマガワ事務所の会議室は、葬式のような雰囲気に包まれていた。
マリアは机に向かい、何度も何度も文章を書いては消し、書いては消しを繰り返していた。謝罪文。それも、命乞いに等しい内容のものだった。
「偉大なるカーカラシカ国の皆様へ……いや、違う」
マリアは紙を丸めて捨てた。もう何枚目だろうか。ゴミ箱は既に溢れかえっている。
「尊敬すべきニーナ女帝陛下……」
また書き始める。その手は微かに震えていた。いつもの無表情な彼女からは想像もつかない姿だった。
アスカが苛立たしげに立ち上がった。
「なあマリア、ほんまにこれしかないんか?」
彼女は拳を握りしめた。
「竹彦の敵討ちとか、そういうのは考えへんの?」
マリアは顔を上げた。その目は赤く充血していた。徹夜で謝罪文を考えているのだろう。
「したい。いつかは必ずしたい」
彼女の声は、いつもの無感情な調子だったが、どこか疲れが滲んでいた。
「でも今は謝る」
「生き延びて、どうすんねん」
アスカは泣きそうな顔で言った。
「うちらの兄弟みたいなもんやろ…」
「竹彦は、心の兄、けど今はこうするほかない、アスカ」
「生きていれば、いつか機会が来るかもしれない」
トニー所長も頭を抱えていた。
「まさか、カーカラシカがあそこまで強大だったとは……」
彼の声には絶望が滲んでいた。
「ニホンの地理的優位も、報酬も、もう全部どうでもいい。あんな化け物と科学力を持つ国だったなんて、誰が想像できた?」
キヨシは窓の外を見つめていた。東京の街は平和に見える。しかし、その平和がいつまで続くのか……
「竹彦が子供扱いなんて、想定外すぎる」
キヨシの声は震えていた。
「セツナに負けて、そのセツナが手も足も出ないラムザがいて……どうやって勝てって言うんだよ」
山口はまだ時折涙ぐんでいた。
「竹彦くん……本当に死んじゃったのかな……」
「死んでない」
マリアが言った。
「多分、生かされてる。銀河連盟への手土産として」
「それって、もっと酷いんじゃ……」
サヤカが呟いた。
二宮がお茶を配りながら言った。
「でも、生きてるなら希望はありますよね?」
「私たちで必ず助けよう」
その時、キヨシの携帯が鳴った。おじさんからだった。
「もしもし……はい……はい……そうですか」
キヨシの顔がどんどん青ざめていく。
「分かりました」
電話を切ったキヨシに、全員の視線が集まった。
「サムライの会合も、もう降参らしい」
キヨシは力なく椅子に座った。
「おじさんが言ってた。ラムザと竹彦の戦いの映像を見たらしくて……」
彼は続けた。
「セツナを子供扱いする竹彦を、さらに子供扱いする連中に勝てるわけないって。もう意気消沈だって」
事務所に重い沈黙が流れた。
「でも、変なんだよな」
アスカが首を傾げた。
「なんでカーカラシカから何も言ってけえへんの?」
確かに奇妙だった。産業スパイの証拠を握っているはずなのに、カーカラシカからは何の通告もない。
「最高のタイミングでカードを切るつもりなのか」
京介が推測した。
「それとも……」
「眼中にない」
マリアが言った。
「多分、それ」
彼女は新しい紙を取り出した。
「私たちなんて、相手にする価値もない。ただの虫けら」
その言葉に、誰も反論できなかった。
マリアは再び筆を取った。
「偉大なるカーカラシカ国、並びにニーナ女帝陛下へ。この度は、我々の身勝手な行動により……」
書きながら、マリアは心の中で呟いた。
「竹彦、ごめん。今は、これしかできない」
「なあ」
アスカが突然言った。
「もし竹彦が生きとったら、俺らがこんなことしとるの見て、なんて言うやろな」
皆が顔を見合わせた。
「多分……」
キヨシが小さく笑った。
「『僕のことは気にしないで、皆さんが無事ならそれでいいです』とか言いそう」
「そうね」
山口も涙を拭きながら微笑んだ。
「竹彦くんなら、きっとそう言う」
「だからこそ」
マリアが顔を上げた。
「私たちは簡単に死ぬわけにはいかない、絶対に報復を遂げるためには生きていないといけない」
謝罪文を書き続けるマリアの背中は、小さく見えた。




