第七十五話 「孤独な戦士の子守歌」
バビロンの中央宮殿、大広間には豪華な食卓が並べられていた。年に一度の聖火祭、カーカラシカの皇族たちが仕事を置いて集まる特別な日だった。
セツナは屈辱に震えていた。負けた。あの小さな少年に、完膚なきまでに負けたのだ。
ニーナ女帝は上座に座り、満足そうに家族たちを見渡していた。かすれた声ながら、その存在感は圧倒的だった。
ボム家からは、ラムザとその妻イナンナ、娘のアンドラ。そして弟のドゥムジとその息子ウトゥ。
イシュタル家からは、当主エンキドゥとその妻ニンリル、双子の息子ニヌルタとニンギシュジダ。
ナブ家からは、老当主ナブ・アヘとその息子マルドゥク、孫娘のイシュタル。
ベオルブ家からは、女当主シャマシュとその娘ティアマト、息子のエンリル。
そして新たに加わったキモン家から、ユキヒメとセツナ。
「……乾杯」
ニーナがかすれた声で杯を上げた。その瞳には、亡き夫ガランと、共に死んだと信じている息子メルへの思いが宿っていた。
「家族に」
全員が杯を合わせた。カーカラシカの血を引く者たちの、年に一度の団欒が始まった。
「ニーナ様」
エンキドゥが立ち上がった。
「新型飛空艇の開発、順調です。来年には必ず銀河連盟に到達できます」
「……良い」
ニーナは小さく頷いた。
マルドゥクも続けた。
「我々が地球の正統な支配者として、銀河経済に参入する日も近い」
皆が喜びの声を上げる中、セツナだけが俯いていた。
ニーナは優しくセツナの頭を撫でた。そして杯に酒を注いでやった。
「……大丈夫」
セツナは涙ぐみながら頭を振った。
「申し訳ありません、ニーナ様。私、負けてしまって……」
ラムザが豪快に笑った。
「セツナ君、気にすることはない。増幅器なしであいつと戦うのは無理だったろう」
彼は自分の杯を掲げた。
「確かにあれは銀河の化け物だった。だが、ニーナ様が改良してくださったアーティカルアームがあれば、銀河連盟の化け物とも対等に渡り合えると証明された!」
「乾杯!」
皆が再び杯を合わせた。
その時、エンリルが立ち上がった。ベオルブ家の若者は、美しい声の持ち主だった。
「ニーナ様のお好きな歌を」
彼は深く息を吸い、歌い始めた。
*その剣は炎、その瞳は深淵*
*恐れ逃げまどう、民の叫び声*
*戦う者たちも、塵となりゆく*
*我らは求めた、真の英雄を*
*千年王に挑む、炎の戦士を*
広間に、古い歌が響き渡った。孤独な戦士の子守歌。メルベルと千年王ギシュガルの物語を歌った、カーカラシカ最古の歌の一つだった。
*だが英雄は選んだ、汚名という道を*
*愛する者のため、全てを捨てて*
*予知夢が示した、甘き微睡みの罠*
*世界を覆う、蜜のような闇*
ニーナは目を閉じて聴いていた。この歌を、ガランもよく歌っていた。そして幼いメルも……
*されど戦士は知っていた、運命の鎖を*
*断ち切る方法は、ただ一つだけ*
*父の剣は折れ、名誉は地に落ちた*
*臆病者と呼ばれ、裏切り者と罵られ*
セツナも歌を聴きながら、昼間の戦いを思い出していた。あの褐色の肌の少年。まるで本当にメルベルのような……
*それでも彼は微笑んだ、家路を歩みながら*
*真実を胸に、静かに生きると決めて*
*不滅なるものはない、千年王も同じ*
*物語は終わり、英雄は消えた*
「素晴らしい」
イナンナが拍手した。
「エンリル、相変わらず見事な歌声ね」
*だが温かき家で、家族と共に*
*新たな朝を迎える、名もなき男がいる*
*乾杯をしよう、失われた時に*
*苦難の日々は、今終わりを告げる*
皆が歌に合わせて杯を掲げた。
*血と炎の意思で、愛を守り抜いた*
*奪われた母の愛を、父の勇気を今取り戻そう*
ニーナの目に、涙が浮かんでいた。しかし、誰もそれを指摘しなかった。
*眠れ、疲れし戦士よ*
*お前の戦いは終わった*
*母の腕の中で、愛する者の傍で*
*永遠の安らぎを、今ようやく得る*
歌が終わると、しばらく静寂が流れた。
*これは子守歌、孤独な戦士への*
*これは物語、名もなき英雄の*
*これは約束、必ず帰るという*
*これは希望、愛は全てに勝つという*
「美しい歌だ」
老ナブ・アヘが呟いた。
「何度聞いても心に響く」
涙を拭うイナンナ。夫のラムザがそっと肩を抱いた。
「ガランとメルのことを思い出すな」
ドゥムジが静かに言った。
皆が頷いた。この場にいる者たちは皆、塩化爆弾で家族を失っていた。ニーナは夫と息子を、他の者たちも親や兄弟、子供たちを……
エンキドゥが杯を上げた。
「失われた者たちのために」
全員が静かに杯を合わせた。
ニーナは一族を見渡した。彼女は夫と息子を失ってから、宇宙開発に心血を注ぐことで寂しさを紛らわせてきた。そのことを、皆が知っている。だからこそ、今夜は仕事の話も置いて、ただ家族として団欒を楽しもうとしていた。
「……ありがとう」
ニーナのかすれた声に、皆が微笑んだ。
「さあ」
シャマシュが明るく言った。
「今夜は楽しみましょう。家族が集まれる貴重な夜よ」
ティアマトが料理を取り分け始めた。
「このスープ、母が作ったのよ。昔ながらのレシピで」
「美味しそうだ」
マルドゥクが笑顔を見せた。
セツナも少しずつ元気を取り戻していた。ユキヒメが娘の背中をさすりながら、優しく話しかけている。
宴は穏やかに続いた。明日のことは明日考えればいい。今は、生き残った家族たちとの時間を大切にしようと、皆が思っていた。




