第七話「コズミックキャット」
翌朝、キヨシが教室に入った瞬間、田中が飛びついてきた。
「お前……!」
肩を掴まれ、激しく揺さぶられる。田中の目には涙すら浮かんでいた。
「よく生きて帰ったな! まさか文芸部から生還するなんて……奇跡だ!」
「いや、そんな大げさな……」
クラス中の視線がキヨシに集まっていた。まるで戦場から帰還した英雄を見るような、畏怖と尊敬の入り混じった眼差しだった。
「で、どうだった? 何があった? 拷問とか? 洗脳とか?」
田中が身を乗り出す。
キヨシは昨日、部長から釘を刺されたことを思い出した。『この部活のことは、他の生徒には言わないでほしいんだ。刺激が強すぎるからね』と。宇宙人の話なんてしたら、確実に頭がおかしくなったと思われるだろう。
「案外、普通の部活だったよ」
教室がざわめいた。
「普通? あの七夕竹彦のいる部活が?」
「嘘だろ……」
「もしかして記憶を改竄されてる?」
騒然とする教室に、ドアが開いた。
「おはようございます!」
七夕竹彦の明るい声が響く。教室の空気が一瞬で凍りついた。
「お、おはようございます!」
クラス全員が反射的に返事をする。まるで軍隊の朝礼のような一糸乱れぬ挨拶だった。そして蜘蛛の子を散らすように、全員がキヨシから離れていく。
竹彦はキヨシの席まで歩いてきた。相変わらずの爽やかな笑顔だが、周囲の生徒たちは息を殺している。
「キヨシさん、おはようございます! 今日の部活は近所の公園に集合ですから」
「あ、はい……」
竹彦が自席に戻ると、クラスメイトたちの視線が再びキヨシに集まった。ただし、今度は別の意味での視線だった。
『あいつ、本当に入部したのか……』
『親しげに話しかけられてる……』
『もう人間じゃないのかも……』
キヨシは内心で呻いた。これはきつい。魔窟の住人として認定されてしまった。もう普通の学校生活は送れないかもしれない。
*
放課後、指定された公園に集まると、部員たちが既に集合していた。小さな噴水のある、住宅街の中の静かな公園だった。
「みんな、今日は猫の捜索だ!」
部長が写真を配り始める。見た目は普通の三毛猫だった。白と茶色と黒の毛が混じった、どこにでもいそうな猫。
「コズミックキャットのミーちゃんです。飼い主のグリッグさんが大変心配しています」
部長は鞄から妙に長い袖のついたゴム手袋を取り出し、全員に配った。肘まですっぽり覆う、まるで獣医が使うような手袋だった。
「これ、引っかかれないため?」
キヨシが装着しながら尋ねる。
「引っかきはしないけどね」
サヤカが手袋を嵌めながら答える。
「べちょってするから」
「べちょって?」
「そう、べちょって」
二宮も頷く。
「触ると粘液みたいなのが出るの」
どんな猫だよ、とキヨシは心の中で突っ込んだ。
「その液体、毒とか?」
恐る恐る聞いてみる。
「いや、べちょってするだけ」
サヤカがあっけらかんと答える。
「ただ、洗っても落ちにくいかな。石鹸じゃ無理で、専用の洗剤が必要」
部長が補足する。
「あと、消えた時はべちょっとした跡を探してくれ。地面に落ちてるはずだから、それを辿れば見つかる」
消える。やっぱり普通の猫じゃない。
「それから、裏返った時は怒っている証拠だから、このエサを与えて宥めてくれ」
部長が配ったのは、どう見ても普通のキャットフードだった。『まぐろ味』と書かれた、スーパーで売っているようなやつ。
裏返る。裏返るって何だ。猫が裏返るって、どういう状況なんだ。
「慣れていない部員は二人一組の方がいい」
部長が続ける。
「キヨシ君は萌ちゃんと組んで」
キヨシの心臓が跳ねた。あの国民的歌手、山口萌と二人きり。三日前なら狂喜乱舞していただろうが、今は状況が異常すぎて素直に喜べない。
他の部員たちは慣れた様子で散っていく。公園を出て、住宅街へと消えていった。
「じゃあ、行こうか」
山口萌が振り返る。テレビで見るのと同じ美しい顔だが、表情は相変わらず無愛想だった。
*
二人は公園を出て、路地裏を歩き始めた。夕方の住宅街は静かで、たまに自転車が通り過ぎるくらいだった。
「あの……」
キヨシが意を決して話しかける。
「いつからこの部活に?」
「一年の入学してすぐ」
山口が前を向いたまま答える。
「去年の四月から」
もう一年近く。それだけの期間、あの異常な世界にいたのか。
「どんなきっかけで?」
山口が立ち止まり、キヨシを見た。その瞳には、テレビでは見せない複雑な感情が宿っていた。
「私、歌手でしょ? 有名だし」
「はい、もちろん知ってます」
「宇宙的に見て、歌の上手い生き物って人気なの。特に地球人の歌声は、銀河でも評価が高いらしくて」
予想外の答えだった。
「それで、アブダクションの対象になりやすいんだって。コレクターとか、ペットにしたがる宇宙人とかがいて」
「ペット……」
「去年のコンサートの時、本当にさらわれそうになった」
キヨシの記憶が蘇った。一年前、山口萌のコンサートで起きた騒動。空中浮遊する演出と、会場を破壊していった謎のスタントマン。あれは演出じゃなかったのか。
「偶然その場にいた竹彦君に助けられて、それ以来、部活という体で守ってもらってる」
山口の声には、かすかな感謝の色があった。
「他の部員も似たような理由。サヤカはIQが高すぎて、宇宙の研究機関が欲しがってる。二宮さんは……よくわからないけど、何か特別な能力があるらしい」
二人は歩きながら、路地裏の地面を注意深く観察していた。べちょっとした跡を探しているのだ。
「実は、部長は竹彦君なんだけど」
山口が続ける。
「ああいうの苦手だから、今の部長に任せてる。部長も宇宙関係の何かで、自衛手段を持ってるみたい」
「竹彦君の自衛手段って……」
「見ての通り。殴る」
シンプルかつ効果的。確かにあの怪力なら、宇宙人だろうと関係ないだろう。
「私、副部長なの」
山口が少し誇らしげに言った。
「竹彦君を除けば、最古参だから」
キヨシは複雑な気持ちで山口を見た。テレビで見る国民的歌手が、宇宙人から逃げ回りながら高校生活を送っている。そして今、一緒にべちょべちょした宇宙猫を探している。
「あ」
山口が突然立ち止まった。視線の先、電柱の下に、確かに何か光るものが落ちていた。
近づいてみると、それは透明なゼリーのような物質だった。触ってみると、言葉通り「べちょっ」とした感触が手袋越しに伝わってくる。
「これだ」
山口が確信を持って言う。
「この先にいる」
*
二人は痕跡を辿って進んだ。路地を曲がり、小さな神社の境内に入る。夕暮れの境内は薄暗く、不気味な雰囲気が漂っていた。
「にゃー」
突然、猫の鳴き声がした。
振り返ると、そこに三毛猫がいた。写真と同じ、ミーちゃんだ。
「よかった、普通に見つか……」
キヨシが安堵した瞬間、猫の姿がぼやけた。そして次の瞬間、完全に消えた。
「消えた!」
「落ち着いて」
山口が冷静に周囲を見回す。
「べちょっとした跡を探して」
二人は地面を探した。すると、社殿の裏手に続く新しい痕跡を発見した。
追いかけていくと、今度は猫が木の上にいた。ただし、様子がおかしい。
「あれ……裏返ってない?」
キヨシが目を疑う。
猫の毛が内側になり、ピンク色の皮膚が外側に出ていた。まるで服を裏返しに着たような、異様な姿だった。
「怒ってる」
山口がキャットフードの袋を開ける。
「エサで宥めないと」
山口が慎重に近づき、エサを地面に置いた。裏返った猫は警戒しながらも、ゆっくりと木から降りてきた。
エサを食べ始めると、徐々に毛が元に戻っていく。まるで巻き戻しのビデオを見ているようだった。
「今だ」
山口が素早く猫を抱き上げた。猫は暴れることなく、むしろ安心したように鳴いた。
「にゃー」
「捕獲完了」
山口が珍しく小さく笑った。
「意外と簡単だったね」
キヨシは呆然と立っていた。裏返る猫。消える猫。べちょべちょする猫。そして、それを当たり前のように扱う山口萌。
「慣れるよ」
山口が猫を抱いたまま言った。
「最初は私も驚いたけど、案外楽しいから」
確かに、山口の表情は学校で見るより生き生きしていた。
帰り道、キヨシは猫を抱く山口の横を歩きながら思った。
この世界は確かに異常だ。でも、悪くない。むしろ、退屈な日常より面白いかもしれない。
「ありがとう」
山口が突然言った。
「一緒に来てくれて」
「え?」
「一人より二人の方が、楽しいから」
夕焼けに照らされた山口の横顔は、テレビで見るより、ずっと綺麗だった。




