第六十三話 「白い林檎の虐殺」
キモン邸の広間は、セツナの話によって急速に空気が冷えていった。
「七夕竹彦って知ってる?」
セツナの無邪気な問いかけに、キヨシの背筋が凍った。盗聴器の向こうでは、事務所が騒然となっていた。
「あ、あぁ……知ってるけど……」
キヨシは慎重に答えた。セツナの表情が、子供のような無邪気さから、何か別のものへと変化していくのを感じた。
「知ってるんだ!」
セツナは嬉しそうに笑った。しかし、その笑顔には狂気の影がちらついていた。
「あいつってまじで極悪人だよね!」
事務所では、アスカが素早く動いた。
「おい、お前ら」
アスカは山口、サヤカ、二宮の肩を掴んだ。
「ちょっとマジで聞かん方がええで。外出とき」
「え? なんで?」
サヤカが抗議しようとしたが、アスカの真剣な表情を見て黙った。
「頼むから」
アスカの声には、普段の陽気さがなかった。
「これは……聞かん方がええ話や」
三人が部屋を出て行った後、事務所に残ったのはマリア、京介、アスカ、そして竹彦だけだった。竹彦の表情は、石のように硬くなっていた。
セツナは続けた。声には、奇妙な興奮が混じっていた。
「五年前、白い林檎って宗教団体があったの。知ってる?」
キヨシは首を横に振った。心臓が早鐘を打っていた。
「宇宙連盟でも一目置かれてた組織よ。戦士連盟の1級戦士が何百人もいて、信者は数万人。すごい力を持ってた」
セツナの瞳が、赤く輝き始めた。部屋の温度が上がっているような錯覚を覚えた。いや、錯覚ではない。セツナの法力が、空気を熱していた。
「でもね」
セツナの声が低くなった。
「たった一人の少年に皆殺しにされたの。当時13か14歳くらいの子供に」
キヨシは息を呑んだ。
「ほ、本当かその話? いくらなんでもそんなことできるわけが……」
「事情通なら誰でも知ってる話よ」
セツナはニヤリと笑った。
「女も子供も老人も、関係なく殺したって。それで無名だった少年が、一気に戦士連盟0級になった」
事務所では、竹彦が目を閉じていた。マリアは無表情のまま、じっと盗聴器から流れる音声を聞いていた。京介は腕を組み、深刻な表情で立っていた。
「なんでそんなことしたのかは、誰も知らない」
セツナは続けた。
「でもね、うちの母親も言ってるの。竹彦には気をつけろって」
そして、セツナの目つきが急変した。無邪気な少女の顔から、何か別のものへと。
「ねえ」
セツナの声が甘くなった。
「あなたの学校にそいつがいるらしいね」
キヨシの心臓が止まりそうになった。
「え、ええっと……」
「実はね」
セツナは身を乗り出した。
「うちの身内も何人かやられてるのよ」
その瞬間、キヨシは理解した。これは雑談ではない。これは……
「そいつをここに呼んでこれない?」
セツナの提案に、キヨシは凍りついた。メチャクチャ場が緊迫していることに、今更ながら気づいた。
「そ、そんなやばいやつ呼んだら大変なんじゃねえかな……」
キヨシは必死に言い訳を探した。しかし、セツナは聞いていなかった。
「そこに座らせてさ」
セツナは畳を指差した。
「後ろから、この剣で……」
彼女は腰の剣を少し抜いた。刃が妖しく光った。
「ぐさ! とやればいいんだよ!」
セツナの顔が紅潮していた。瞳孔が拡散し、犬歯が少し伸びているように見えた。まるで……
「鬼だ」
キヨシは内心で悟った。おじさんが言っていた通りだ。キモンとは、鬼の門。目の前にいるのは、幼い顔をした鬼の少女だった。
「キヨシくんもちょっとは剣を使えるんでしょ?」
セツナが迫ってきた。
「一緒にやろうよ」
チリチリと、法力が空気を焦がす音がした。部屋の温度は確実に上がっていた。セツナの顔は、どこか常軌を逸していた。
「あ、もう限界。帰ろう」
キヨシは瞬時に決断した。
「うん、そうね」
キヨシは努めて冷静に言った。
「じゃあ次遊びに来た時、打ち合わせしよう。うん」
そして立ち上がった。
「えー!? もう帰るのー?」
セツナが渋った。すると、あっという間に年相応の少女の顔に戻った。まるで何事もなかったかのように。
「晩御飯までに帰らないと」
キヨシは適当な理由をつけた。
「じゃあまた……」
そそくさと玄関の方へ向かった。しかし、複雑怪奇な屋敷の構造に迷いそうになった。
「玄関の方、わかる?」
セツナがニタニタと笑いながら聞いてきた。その笑顔が、キヨシには不気味でならなかった。
廊下で出会ったキモン家の使用人たちが、丁寧に道を教えてくれた。女性たちが「また来てくださいね」と笑顔で見送ってくれた。しかし、キヨシにはその笑顔すら恐ろしく感じられた。
ようやく外に出て、森に隠しておいた車に辿り着いた時、キヨシは大きく息を吐いた。
「生きて帰れた……」
震える手でエンジンをかけた。車が浮上し始めた時、車載無線から竹彦の声が聞こえてきた。
「キヨシさん……すみません。僕のせいで危険な目に……」
竹彦の声は、いつもと違って沈んでいた。
「お疲れ様でした。とりあえず、無事に帰ってきてください」
キヨシは車を急発進させた。北海道の雪景色が、窓の外を流れていく。頭の中では、セツナの狂気じみた笑顔と、数万人を殺したという竹彦の過去が、ぐるぐると回っていた。
「俺、一体何に巻き込まれてるんだ……」
空飛ぶ車は、東京へ向けて加速していった。
事務所では、重い沈黙が流れていた。
「白い林檎か」
京介が呟いた。
「確かに、五年前に突然消えた組織があったな」
マリアは無言で機械いじりに戻っていた。しかし、その手は少し震えているように見えた。
アスカは、竹彦の肩に手を置いた。
「過去は過去や」
外では、山口たちが不安そうに待っていた。
「大丈夫かな、キヨシくん……」
山口の心配そうな声が、廊下に響いていた。




