第六話「宇宙的日常」
アマガワ事務所の二階で、キヨシは目の前の光景を理解しようと必死だった。
所長と呼ばれる細身の男性が、ホワイトボードに今日の仕事を書き出している。その内容が、キヨシの常識を根底から覆すものばかりだった。
『本日の業務』
・コズミックキャットの捕獲(至急)
・ペロンペロン氏の捜索(飼い主:グリッグ様)
・地球ご当地弁当の製作(20個)
・次元ポストの修理
「えーと、コズミックキャットは昨日目黒で目撃されたから、そろそろ品川あたりかな」
所長が眼鏡を直しながら呟く。
「コズミックキャットって……」
キヨシが恐る恐る尋ねる。
「宇宙の猫」
マリアが端的に答える。
「逃げると面倒」
「普通の猫と何が違うんですか?」
「瞬間移動する」
二宮がニコニコしながら説明する。
「あと、たまに透明になるの」
キヨシは聞かなかったことにしようとしたが、無理だった。
壁にかけられた薄型テレビには、明らかに地球のものではない映像が流れていた。緑色の肌をした生物が、触手を振り回しながら何か演説している。字幕には『銀河連邦選挙速報』と書かれていた。
「あ、選挙やってんだ」
サヤカがテレビを見ながら言う。
「グニョグニョ党、今回も負けそうだね」
「グニョグニョ党……」
机の上には、ガラスの球体の中に小さな都市の模型が浮かんでいた。よく見ると、その都市の中を米粒ほどの小さな乗り物が飛び交っている。
「それ、アンドロメダの首都の模型」
山口萌が説明する。
「お土産でもらったやつ」
お土産。宇宙からのお土産。キヨシの頭がくらくらしてきた。
「おーい、弁当の準備するで」
アスカが大きな箱を持ってきた。中には奇妙な形の容器が並んでいる。七角形や、メビウスの輪のような形、そして明らかに三次元では説明できない形状のものまであった。
「今日のリクエストは?」
部長が尋ねる。
「納豆、梅干し、たくあん」
アスカがメモを見ながら読み上げる。
「あと、なんやこれ……『できるだけ臭いやつ』って書いてあるわ」
「くさやかな?」
竹彦が提案する。
「シュールストレミングは?」
サヤカが悪戯っぽく笑う。
部員たちは楽しそうに、宇宙弁当の準備を始めた。キヨシも手伝わされ、納豆をかき混ぜたり、梅干しを容器に詰めたりした。
*
作業中、事務所のドアが開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、一見普通のサラリーマン風の男性だった。しかし、よく見ると右手と左手が逆についている。
「ああ、タナカ様」
所長が迎える。
「お弁当の準備、できてますよ」
タナカと呼ばれた男性は、明らかに日本語ではない言葉で何か話し始めた。音としては「グルグルピョンピョン、ザザザ」としか聞こえない。
「はい、はい。地球の珍味セットですね」
所長は普通に理解している。
「来週も同じでよろしいですか?」
男性は頷き、財布から万札を数枚出した。その財布も、開く方向が通常とは逆だった。
「毎度ありがとうございます」
男性が帰った後、キヨシは呆然と立ち尽くしていた。
「慣れた?」
山口萌が珍しく話しかけてきた。
「いや、全然……」
「最初はみんなそう。でも、案外楽しいよ」
確かに、部員たちは楽しそうだった。宇宙人相手の商売を、まるで普通のアルバイトのようにこなしている。
一通り作業が終わると、所長が封筒を配り始めた。
「はい、今日の分」
中を見ると、三千円入っていた。
「え、いいんですか?」
「もちろん。働いてもらったからね」
所長が微笑む。
「うちは労働基準法はちゃんと守ってるから」
宇宙人相手の仕事で労働基準法。このギャップに、キヨシは笑いそうになった。
*
「さて、今日どこ行く?」
サヤカが伸びをしながら言う。
「ゲーセンは?」
二宮が提案する。
「いや、東京タワーの上の道の駅がいい」
山口萌が言い出した。
東京タワーの上。キヨシは聞き間違いかと思った。
「あそこ、新しい店できたんでしょ?」
「宇宙せんべいの店な」
アスカが煙草を吸いながら言う。
「この前行ったら、めっちゃ美味かったで」
「じゃあ決まり!」
部長が手を叩く。
竹彦が申し訳なさそうに言う。
「すみません、僕はちょっと残業があって……」
「了解!」
サヤカが答える。
「じゃあ先行ってるね」
「行ってらっしゃい!」
竹彦が手を振る。
一行は屋上へと向かった。キヨシも流されるまま付いていく。
屋上に出ると、そこには奇妙な車が置かれていた。普通の車のようで、どこか違う。タイヤが微妙に浮いているし、排気口の位置もおかしい。
「みんな乗って」
マリアが運転席に座る。
「ちょっと待って、君免許持ってるの?」
キヨシが慌てる。
「宇宙免許」
マリアが無表情で答える。
「地球のは、ない」
それは余計に不安だ、とキヨシは思ったが、もう遅かった。全員が乗り込み、ドアが閉まる。
マリアがハンドルの横にあるレバーを引くと、エンジン音が響いた。いや、エンジン音というより、何か電子的な唸り声のような音だった。
次の瞬間、車がふわりと浮いた。
「うわあああ!」
キヨシの叫び声を他所に、車はゆるゆると上昇していく。まるでUFOのように、音もなく東京の空を飛んでいく。
窓の外を見ると、東京の街並みが小さくなっていく。ビルの谷間を抜け、高層ビルの屋上を越え、どんどん高度を上げていく。
「これ、絶対に白昼夢だ」
キヨシは目を固く閉じた。これは夢だ。絶対に夢だ。宇宙人なんていない。空飛ぶ車なんてない。東京タワーの上に道の駅なんてあるわけがない。
「着いたよ」
山口萌の声で目を開けると、そこは確かに東京タワーの上だった。いや、正確には東京タワーの先端から少し浮いた空中に、透明な床の施設が浮かんでいた。
『天空道の駅 東京スカイ』
看板にはそう書かれていた。中には土産物屋や食堂が並び、観光客らしき人々が歩いている。ただし、その半分くらいは明らかに人間ではない何かだったが。
「宇宙せんべい、買いに行こ!」
サヤカが走り出す。
「待って、これ本当に大丈夫なの?」
キヨシが必死に問いかける。
「大丈夫」
マリアが淡々と答える。
「たぶん」
たぶん、という言葉が妙に不安を煽った。
キヨシは震える足で透明な床を踏みしめた。下を見ると、東京の街が広がっている。高所恐怖症ではないが、これは別次元の恐怖だった。
「慣れるよ」
部長が優しく肩を叩く。
「最初はみんなこんな感じだから」
店の中に入ると、『本日のおすすめ:アンドロメダ産はちみつ』という看板があった。店員は普通の人間のようだが、たまに第三の目が瞬きしている。
キヨシは諦めた。もう何も考えないことにした。これが現実なら現実で、夢なら夢でいい。
「これ、美味しいよ」
山口萌が差し出した宇宙せんべいを齧ると、意外にも普通に美味しかった。少し甘くて、ピリッとスパイスが効いている。
東京タワーの上から見る夕焼けは、確かに美しかった。たとえそれが、UFOもどきに乗ってきた場所だとしても。
キヨシは宇宙せんべいを齧りながら、自分の人生が大きく変わったことを、少しずつ受け入れ始めていた。




